第42話.家族(後編)
ゴルディの書斎を出ると、廊下にぽつんとシュゼットが立っていた。
ドアを開けてすぐ、少し灯りの暗くなった壁際にもたれかかって、本当にぽつんと。
(び、びっくりした……!!!!)
ゴルディとの感動の和解を終えて少し気のゆるんでいたルクレシアは、大きく体をのけぞらせてあとずさった。シュゼットだと気づいて悲鳴をあげるのは耐えたけれども。
「ルクレシアお姉様。護衛のわたしが、お姉様から離れたらいけないと思って……」
言われたとおり部屋に戻ったものの、そのことに気づいて書斎の前で待っていたのだとシュゼットが告げる。
理由はわかった。なぜ頬を赤らめてもじもじと言うのかはわからないが。
「レイさんのいないあいだは、お食事やお風呂のときにもいっしょにいるようにします」
(そういうことね)
一瞬でもじもじの理由がわかってしまったルクレシアは天井を仰いだ。
護衛というなら湯殿で同時に裸になってはだめだろう。
しかし、シュゼットには借りもある。
この妹分の存在がルクレシアを強い気持ちにさせたのは本当だ。
「わかったわよ。じゃあ今日はいっしょに夕食を食べて、いっしょにお風呂に入って、いっしょのベッドで寝ましょう」
「……!!」
「今日だけよ」
顔を輝かせたシュゼットに釘を刺すと、シュゼットは「はい!」と元気よく返事をした。
約束どおり夕食もお風呂もベッドもシュゼットといっしょにして、ルクレシアは灯りの消えた天井を見上げていた。
護衛がレイのときは、当然ルクレシアと同衾などしないし、同じ部屋にも入らない。レイが廊下に控えているとわかっていても、気配を感じたこともない。
それが今夜は、左手はしっかりとシュゼットに握られているし、隣りからは健やかな寝息が聞こえる。
昨夜に引き続きそばに他人の気配のある就寝は、なんだか不思議な感じがする。
シュゼットの寝息に引き込まれ、自分自身もうつらうつらとしながら、ルクレシアはゴルディの話を考えてみた。
あのあとゴルディは、彼とザカリーの顔立ちにどことなく共通点がある理由も教えてくれた。
もともと同じ王家が治めていたウェルデアとニコルデアは、分裂後の王家だけでなく付き従う貴族も親類の関係の者が多いそうだ。
一族丸ごとどちらかの国へ移った例もあるが、宗家と分家で主を違えた家もある。
分裂が起きたのはウェルデアが滅ぶ数代前で、そう遠い話ではないから、自分とザカリーは親戚すじなのだろうとゴルディは言った。
「これがわしの若いときの絵姿じゃ」と見せられた肖像のゴルディはザカリーにそっくりというほどでもなく、どちらかといえば目についたのは、
(おじい様、ショッキングピンクの頭してる……)
ということだった。
もちろん地毛なので染めたわけではない。ルクレシアの紫の髪と似たようなものだ。ただ、昔から、というか昔は今よりももっと派手好きだったらしいゴルディは、ショッキングピンクの髪をのばして金の髪飾りをつけ、何重にもネックレスを巻いていた。
現在の状況は装飾品が減った結果なのだ、ということをルクレシアは知った。だいぶ落ち着いて丸くなったらしい、あれで。
自分はザカリーの実の娘で、ウェルデアの戦乱の際にゴルディに拾われた。
今日得た情報は、何も証拠立てるものがないけれども、きっと事実なのだろうとルクレシアは思う。
なぜなら、このゲーム世界の設定やシナリオには人の心がないからだ。
ザカリーは自分に娘がいることすら知らないのだろう。そうでなければルクレシアを見て何か考えるところがあるはずだ。
ルクレシアも、前世の記憶をとり戻さなければ偶然に髪色が被ったいけ好かないおじさんとしか思っていなかった。
この父娘のすれ違いにもシナリオ企画者をぶっ飛ばしたくなるような裏設定があるに違いない。
(万が一にでも会うようなことがあれば……生まれてきたことを後悔させてやるわ……)
そんな物騒な誓いを立てながら、ルクレシアは眠りについた。
***
ルクレシアはふたたび、暗闇の中を歩いていた。まとわりつく闇に顔をしかめ、振り払おうとしても逃れられない。
いつしかその手は小さな子どものものになっていた。
袖を飾るのはドレスのフリルではなく、擦り切れたシャツ。ゲームの中の煌びやかな世界ではなく、ルクレシアの魂がもといた場所。
『お金と、家族が欲しい……ッ』
アルフォンスに会った際、唯一思いだした前世の記憶。その望みとゲーム知識以外、ルクレシアに残っているものはない。
すすり泣く少女に誰かが近づいてきた。そして、秘密を打ち明けるように、囁く――。
暗闇が拭い払われ、次に目を開けたルクレシアが見たのは、瓦礫の山だった。
泣くこともできずにルクレシアは呆然と立っていた。やっぱり何も覚えていなかった。どうして自分がここにいるのかも、これからどうすればいいのかも。
「驚いたな、生き残りか?」
頭の上から声が降ってきた。振り返ると、ひょろりと背の高い男がルクレシアを見下ろしている。
「どうして子どもが一人でこんなところに」
それに答えられるだけの記憶も知識も、ルクレシアには持ちあわせがない。
何も言わず、怯えもせず、ぼんやりと自分を見つめるだけの少女に男は気の毒そうに眉をさげた。
男の手がふところをさぐる。
「ほら、何か欲しいものはあるかな」
内ポケットからは色々なものが出てきた。キラキラと輝く硬貨に箱入りのマッチ、色紙、大人の指先ほどの小さな小瓶、チョコレートやキャンディといった甘いお菓子。
そのどれもが子どもにとっては楽しげな玩具かおやつで、こんな場所でそんなものを持ち歩いている男がどんな商売をしているのかは推して測れるというもの。
近づいてはいけない人間だ。
気をつけなさい、と言った誰かの声がよみがえる。でも、その人はもういない。
「……」
「ん?」
少女の唇が小さく動いた。長く声を発していなかった喉は枯れて、うまく音を作れない。
身を屈め、少女との距離を詰めた男の耳に、ようやくかすれた声が届く。
「かぞくが……ほしい」
男は目を見開いた。
そんなことを言われるとは思っていなかった。
目の前に並べられたすべてを選ばずに、少女は家族が欲しいと言った。そのひと言が、彼女が思った以上に、そして男が思っていた以上に男の心に響いたのだった。
「名前はなんと言うんだい」
「……」
黙って首を振る少女を抱きあげ、男は笑った。
「わからないか。ならわしがつけてやろうな。とっておきの名前にしよう。任せておけ、わしの名づけのセンスは抜群だぞ」
目の高さになった男の顔がよく見える。すでに皺の刻まれ始めた顔は、笑うとくしゃりとして見えた。
ゴルディだ。
髪はほとんど白いが、うっすらと桃色がかっていて、細くて柔らかく、子犬のようだと思う。
(ああ……そうか)
夢うつつの中でルクレシアは悟った。
これがルクレシアとゴルディの出会いだ。幼いルクレシアは新しい生活にすっかりと馴染み、この記憶を忘れたか、または自ら蓋をしたか。
(おじい様は、わたくしの願いを叶えてくださったのだわ)
長い年月をかけて、そしてその長い年月のあいだも、ゴルディはルクレシアの願いのすべてを叶えてくれた。
幼いルクレシアが、心の底から願ったもの。
それはきっとゴルディの願いでもあったのだろう。




