第41話.家族(前編)
「わしと、ルクレシア?」
何を言っているのかわからない、とでも言うようにゴルディは目を見開いた。実際、そんなふうにごまかそうと思っていたのかもしれない。
けれどもルクレシアの真剣なまなざしを受けて、ゴルディはふっと目を細めた。
「お前が王妃の座が欲しいと言いだしたとき、いつかは気づくのだろうと思っておった。わしのかわゆい孫娘は、かしこくもあるからのう」
その言葉が示すのは、ルクレシアの疑問が正しかったということ。
あいかわらず金箔を貼りめぐらせてある壁を眺めながら、ルクレシアは小さく呟いた。
「おじい様とわたくしに、血のつながりはないのですね」
公的な記録のない限り、生まれはわからない。言われたことを信じるしかないのだ。
加えてゴルディもルクレシアも、平民と言いつつ一般人とも言い難い裏社会の重鎮なのである。わざわざ役所に行って戸籍を調べようとは思わない。
その籍も、ゴルディが金の力でクロスビー伯爵家へと移した。書類上の肩書は、この世界ではどうとでもなる。
ルクレシアはゴルディを見つめた。
目の前の老爺が持つのは白い髪と灰色の瞳。対する自分は紫の髪に蜂蜜色の瞳。
ルクレシアはその髪が、昔は自分と同じ紫だったのだろうと信じていた。
「わたくしの生まれは……?」
「ウェルデアだろうな」
そうした言い方をするということは、ゴルディもはっきりとは知らないのだ。
引っかかったのは、ザカリーがウェルデア出身だというところからだった。
ルクレシアが考察どおりザカリーの娘であるのなら。
ザカリーが本人の申告どおりウェルデア出身であるのなら。
そんな、真偽のわからない二つの前提を踏まえての、空想めいた推測から導き出される答えは、ルクレシアも同じくウェルデアで生まれていなければならない、ということ。
ザカリーがこの国にきてからルクレシアが生まれたのなら、離れ離れになる理由がないからだ。
記憶をたぐれば、ゴルディはルクレシアに生まれをはっきりと言ったことはなかった。
ただ物心ついたときにはこのハイラム国王都でオルピュール家は確固たる地位を持っていた。だからルクレシアは、ゴルディがずっとこの王都に住んでいたのだと思ったし、自分も王都で生まれたのだと思っていた。
「おじい様は、どこでわたくしを……?」
「十五年前、ウェルデアで、だ。当時はすでにニコルデアに呑まれ、どこもかしこも大混乱でな、儲け話があるかと出向いてみたが――」
そうした望みすら浅はかだったと思わせるほどに、現地はひどい有様だったという。
崩れた建物のそばにぽつんと立っていた少女を、ゴルディは連れ帰った。埃まみれではあったが長くのびた紫の髪に愛らしい容姿、フリルのついたワンピースが、彼女が愛されてきたことを語っていた。
ただし愛してくれた誰かは、もういなくなってしまったのだろう。
名の言えなかった少女に、〝成功〟と名をつけて、ゴルディは彼女を孫娘とした。
息子も娘もいないのにできた孫娘だった。
「……わしは、ニコルデアの貴族の出身だ。籍もない四男坊だったがな」
ゴルディの言葉にルクレシアは顔をあげた。この告白は、さすがのルクレシアも予想していなかった。
「わしには商才のほうがあって、貴族の世界で行きていこうとは思わなんだ。ハイラムにきたのはそれでだ」
ニコルデアの人々は総じて気性が強い。対してハイラムは……ザカリーやオルピュール家に手玉にとられていたのを見ればわかるとおり、立地や気候のよさに頼って、上に立つ者は頼りない印象がある。
ゴルディにとってものの数ではなかっただろう。
立ちあがると、ゴルディは深々と頭をさげた。
「すまなかった」
その謝罪は、嘘をついていたことだけではない。
ゴルディのついた嘘は一つだけ。ルクレシアを孫娘と呼んできたことだ。
でも、嘘ではなく、言わずに隠してきたことならたくさんある。
「顔をあげてください、おじい様」
慌てて言うと、ゴルディは姿勢を戻した。けれどもいつもより小さく丸まった背中はゴルディをうつむかせ、いつもより覇気のない表情は一気に老け込んで見える。
「ザカリーを知っていたのですね?」
考えてみれば、裏社会の顔役であるゴルディが、表社会の宰相であるザカリーを知らないはずはないのだ。
ルクレシアと同じ特徴を持ったザカリーを、ゴルディも血のつながりがあると推測した。
そして――隠した。
ルクレシアが王妃になりたいと言い出したとき、ゴルディは応援してくれた。自分は安寧の上に寝そべりすぎていたのだと。
今となっては、それが違う意味に聞こえてくる。
いざとなればハイラムを去り、ほかの国へ移れるようにしていたのも。
「すまなかったなあ」
しみじみと呟かれた再度の謝罪がルクレシアの問いに答えていた。
「あら、おじい様」
ふっとルクレシアは笑った。今までと同じように、かわいくて高飛車でわがまま放題で、溺愛されて育った孫娘の顔で。
「謝る必要はございませんわ。わたくし、これまでの生活に満足しておりますもの」
ルクレシアだってもう十八だ。多感な年ごろはすぎ、実生活の厳しさだって知っている。ウェルデアの廃墟でゴルディが拾ってくれなかったらどうなっていたかも想像がつくし、オルピュール家という組織を維持していくのがどれだけ大変かもわかる。
「今さら宰相の娘がよかったなんて薄情なことは言い出しませんよ」
「ルクレシア……」
「おじい様」
ルクレシアはゴルディの手をとった。宝石と金の指輪だらけの両手は子どもの頃から見慣れたものだ。
ただ、皺の寄って細くなった手には、金銀宝石は重そうだった。
「顔も知らなかった男女がいっしょになって家族になるのですよ。だったらわたくしたちだって、いくらでも同じことをしていいではありませんか」
ゴルディはぽかんとルクレシアを見つめた。
「この屋敷で、一つ屋根の下で暮らしている皆がオルピュールの家族でしょう。シュゼットも、バイロも、ネロやブルーノも」
レイは、まあ年季の入り方にそぐわぬ所属意識の低さのような気もするが。
――わたしの家はオルピュール家ですし、ルクレシアお姉様は大好きな家族です。
シュゼットのあの言葉がすべてだ。
(さすがゲーム主人公。いいこと言うわよね)
「ルクレシア……!」
ゴルディの灰色の目が、年甲斐もなくキラキラと輝いた、と思ったのは、涙で潤んだせいらしい。
「おお、ルクレシア! やはりお前はかしこくてかわいくて美しくて完璧で天使なわしの愛孫♡♡♡じゃあ!!」
「はいはい、おじい様」
感激のままがばりと腕をまわされて、ぎゅうぎゅうと抱きしめられた。
これでもかと老体を飾るアクセサリーがドレスの生地越しに突き刺さってくるが、ルクレシアは黙ってされるがままになった。