第40話.向きあうものは
ルクレシアの護衛にはシュゼットがつき、アルフォンスの護衛として王宮にレイを残していく。その体制を、アルフォンスも渋々承諾した。
首謀者が宰相ザカリーである以上、王宮内もまったく安全とは言えないのだ。刺客だっていくらでも手引きできる。
「たしかに危険を考えれば、ルクレシアはぼくと別行動のほうがいいか」
「そうですよ。お姉様が巻き込まれたらどうするんですか」
アルフォンス自身の危険はどこか他人事のような口ぶりの二人の隣で、ルクレシアとレイも話しあっている。
「レイ、あなた分身の術は使える?」
「さすがに少々厳しいものがありますね」
「そうよね。ではアルフォンス様の護衛をしながらザカリーの経歴を洗いだせる?」
「それでしたら、お時間をいただければ」
ザカリーの名に、アルフォンスが振り向いた。
「ザカリーは、ウェルデアから流れてきたと聞いたことがある」
「ウェルデアから、ですか」
「ウェルデア?」
アルフォンスが口にした地名を、ルクレシアもシュゼットもくり返す。
きょとんと首をかしげているシュゼットに、ルクレシアは説明してやった。
かつて、ウェルデアは国の名だった。だが今は違う。
理由は単純、攻め滅ぼされ、併合されたからだ。
ウェルデアを滅ぼした国は、ニコルデア。ニコルデアはルクレシアの命を狙った暗殺者たちの出身国であり、国自体も他国からの略奪によって成り立っているようなならず者国家といってよい。
ただ、国が消滅するほどに深く侵略されたのはウェルデアだけだ。
「ウェルデアとニコルデアはもとは同じ王家が治めていたのよ。それが王朝の分裂により二つの国に分かれ、ふたたび一つに併呑された」
シュゼットに説明してやりながら、ルクレシアはふと自分の記憶の片隅を何かがかすめていったのを感じた。
けれど、その何かはすぐに霧散してしまう。
「ウェルデアの貴族には優秀な者が多かったから、各国の王家は賓客として迎え入れ、匿ったというわ。逆に、ウェルデア出身と偽って自分を重用させた者もいたくらい」
ウェルデアの貴族だと名乗ってしまえば、疑われたところで真偽はわからない。確かめたくとももう国家の記録すらニコルデアに奪われて、残っているのか定かではないのだから。
宰相と昇りつめるだけの手腕を見せたザカリーがウェルデアの貴族であったと言うなら、それはとてもそれらしい話なのだ。
(でも、その場合、わたくしもウェルデアの出身ということに……?)
つかみそこねた何かがまた戻ってきた、そんな気がしてルクレシアは眉根を寄せる。
出自。
籍の上ではクロスビー伯爵令嬢となっているけれども、ルクレシアはオルピュール家の孫娘、もとはといえば平民だ。
ただ――。
胸に湧いた疑問の正体を、ルクレシアははっきりと自覚した。同時に、それを問うべき相手はこの場にいないということも。
紫の髪をかきあげると長い息をつき、気持ちを切り替える。
「わたくしは帰ります。では、任せたわよ、レイ」
「は」
レイは胸に手をあてて拝命を示した。
「それではアルフォンス様、ごきげんよう」
「ルクレシア、君も身のまわりには注意するんだよ。君はぼくの大事な婚約者なんだから」
アルフォンスに退室の挨拶をしたら、手をとられて口付けられた。別のことを考えていたせいでうっかり、王太子然としたアルフォンスの行為を、ルクレシアは真正面から見てしまった。
流れるような優美な仕草に思わず顔が赤くなってしまったうえに、口をへの字にまげて、ルクレシアは何も言えずに部屋を出た。
閉まるドアの隙間からくすくすという笑い声が背中を追ってくる。
命を狙われているというのに、やっぱりアルフォンスも図太い神経の持ち主かもしれない。
***
シュゼットとともに馬車に乗り込んだルクレシアは、小さく息をついた。
向かいの席にはシュゼットが座っている。
せっかく二人きりになったのにいつものような鬱陶しい絡み方をしてこないのは、ルクレシアの眉間に寄った皺が簡単にはほどけないことをシュゼットも察しているからだ。
「……シュゼット」
「はい、お姉様」
呼べば、シュゼットは両の手を膝に置いてピッと背すじをのばす。
まっすぐに自分を見つめてくれる妹分はかわいい。目なんて睫毛が長くてくりっくりだ。
そのかわいい表情を曇らせてしまうかもしれない、と思いながら、ルクレシアは問う。
「あなた、自分の生まれがどこだか言える?」
シュゼットが目を瞬かせた。
ただ、その瞳の奥に心配したような色はなく。
「わたしの、生まれ……ですか。うーん……なんだかすごくボロボロだったような……壊れた建物とか、見た覚えはあるんですけど。国や領地の名前ですよね。それはわかりません」
首をひねるシュゼットは、単純に質問の答えを思い悩んでいるようだ。
ルクレシアが発見したとき、シュゼットは〝ヨソモノ〟として片言を話していた。ここハイラム国の王都へ流れつく前には異国の地で生まれ、何年も彷徨っていたはずだ。
(幼いころに人買いに売られたか、攫われたか……足のつかないように隣国へ運んで、そこで脱走した、とか)
厭な話だが、それもまたよくある話だ。
物心つく前に生まれ故郷から離されてしまった場合、生まれた村の名も、国の名もわからなくなることがある。教えてくれるような大人が周りに誰もいないのだから当然だ。
「そうよね……公的な記録のない限り、生まれはわからない。誰かにそうと言われたことを信じるしか」
「ルクレシアお姉様?」
呟くルクレシアにシュゼットは怪訝な顔になる。
「シュゼット――あなたはわたくしの家族よね」
ルクレシアは顔をあげた。
不躾な質問のあとにさらに突拍子もないことを尋ねたというのに、シュゼットはぱっと顔を輝かせる。
「はい! わたしの家はオルピュール家ですし、ルクレシアお姉様は大好きな家族です!」
えへへ、と照れくさそうに笑うシュゼットを見ていたら、ルクレシアの表情もゆるんだ。
「ありがとう。これで、心は決まったわ」
ルクレシアにも向きあわねばならないことがある。
(ひとつ――違うわね、ふたつかしら)
また不思議そうな顔になったシュゼットが何かを尋ねようと口を開く前に、馬車はオルピュール家の門を入り、正面玄関へとたどりついた。
今日からはレイがいないから、ルクレシアはさしのべられる手を待たずに自分で馬車をおりた。シュゼットには自室へ戻るように言いつける。
一直線に向かう先はゴルディの書斎だ。
ノックもそこそこにドアを開けたルクレシアを、ゴルディは叱らなかった。
「おお、ルクレシア! 急に王宮へ泊まると言いだすから心配したが、まあ外泊はこの年頃には必須のヤンチャ――」
「おじい様。教えていただきたいことがございます」
孫に甘い祖父の笑みを浮かべるゴルディを遮って、ルクレシアはぴしゃりと言った。
「わたくしのお父様とお母様についてです。――いえ、それ以前に、おじい様とわたくしについても」