第4話.〝成金〟オルピュール家(後編)
レイに連れられていくバイロたちを見送ってから、ルクレシアはふたたびゴルティの書斎へ入った。
孫娘の再訪を予測していたゴルティは平然とした態度で出迎えた。
レイを筆頭に、これまでもルクレシアはあぶれ者たちを使用人として雇い入れ、ゴルティの許可を得ていた。だがほとんどの者が王都出身の少年少女で、イヴェールという辺境の、しかも三十路の見えた元兵士の男を七名も配下に望むことは初めてだった。
なにかあることを顔合わせで見てとったゴルティは、彼らがルクレシアを裏切らぬよう、ことさら強く脅しをかけたのだ。
「おじい様、先ほどはありがとうございました。ほかにも折り入ってお話がございますの」
愛孫の頼る言葉に、ゴルディは相好を崩す。
その背後には、『鳴かぬなら 金塊で殴れ ホトトギス』という標語が掲げられていた。物心ついたころから謎だったが、前世の記憶を取り戻した今となっては、元ネタがわかる。
金で解決できないことはない、というのがゴルディの信条だし、ルクレシアも同意である。
「なんなりと言ってごらん、愛するルクレシア」
「では単刀直入に申しますね」
標語から視線を戻し、ルクレシアは正面から祖父を見つめた。蜂蜜色の瞳が輝く。
十二歳とは思えぬ迫力に瞠目するゴルティへ、
「おじい様やわたくしが国外追放を命じられた場合、どうなりますか」
宣言どおり、臆することなくルクレシアは未来の可能性を告げた。
ゲームのシナリオに従うなら国外追放であって、処刑されるわけではない。とはいえ財産を没収されてただの平民として放りだされれば、ゴルディもルクレシアも路頭に迷う。そこから先は命の保証はない。
さらに、オルピュール家の何百人といる使用人の将来にも関わるし、オルピュール家が睨みを利かせていたことで大人しくしていた裏社会の派閥争いなど、様々な問題が噴きだす。そうなれば王都全体の問題である。
数秒の沈黙が書斎をよぎっていった。
蕩けそうな笑顔を驚きの表情に変えていたゴルディは、やがて顔を伏せると、執務机に置いた手をこぶしに握りわなわなと震えはじめた。
(さすがのおじい様にもショッキングな話題だったかしら)
ルクレシアがそう反省したところで、
「ルクレシア……」
ゴルディが顔をあげる。その顔は――予想を裏切り、喜色に輝いていて。
「さすがじゃ、ルクレシア! なにか大きなことを成し遂げようというんじゃな!? 貴族どもや、場合によっては王族の鼻すら明かすようなことを!?」
「あー……まだ、そうなるかもしれない、くらいのことですわ」
どうどう、とルクレシアは両手をゴルディに振った。
ハイリスクにはハイリターンが伴うことを知るゴルディは、リスクの大きさよりも、ルクレシアの企んでいるらしい〝なにか〟にテンションあがってしまったようだ。
「近ごろのわしは、安寧の上に寝そべりすぎていた。たまには血沸き肉躍る計画を成し遂げねばならん。ぜひおじい様も仲間に入れておくれ。胸が高鳴るぞ。なにが必要だ? 金か? 兵か? 誰ぞの首か?」
少女のように頬を染め、大量の宝石をぶら下げた胸元を抑えるゴルディに、ルクレシアはちょっと引いてしまった。
だが孫の内心には気づかず、ゴルディはウキウキと話を続ける。
「おお、そうじゃ。国外追放となった場合じゃな。別にどうもならん。ここハイラム国では控えておるが、隣のホーデンブルク国やキングラント国にはすでに貴族籍を買ってある。逃げ場はどこにでもある」
「え、そうなの?」
ホーデンブルク国やキングラント国というのは、どちらもいまいるハイラム国よりずっと大国で、安定した政治が続いている。文化も進んでいて、各国の王族や貴族がバカンスをすごす平和っぷり。
『シュゼ永遠』でもおまけの後日談で聖女シュゼットと攻略対象が新婚旅行に訪れるリゾート国なのだ。
「ああ。もちろんオルピュールの名は伏せてな。それからオルピュール家が断絶するような場合には、土地屋敷は王家に献上するようにも図らっておる。わしのおらぬこの町を守るには、どこかの庇護に入るしかないのでな」
ルクレシアの不安をずばりと言いきって、ゴルディは笑った。
「対策ばっちりじゃないですか」
「ワッハッハ、もっと褒めておくれ!」
感嘆の眼差しを向けるルクレシアに、ゴルディはにやりと笑った。
「〝オルピュール家〟の荷が重いなら、ルクレシアが無理に負うことはないと思っておった。お前が裏社会とは無縁の場所で一生遊んで暮らせるだけの地位と金を遺すくらい、造作もない」
そうだった、とルクレシアは内心で舌を巻く。いったん身内と認めたらひたすらに懐の深いゴルディが、そしてひたすらにルクレシアに甘やかしいゴルディが、自分の亡きあとのオルピュール家について考えないわけがない。
なんだかんだと孫バカのような顔をしていても、さすがは百戦錬磨の商人。撤退の計画もしっかりあるのだ。
「だがわしはかわいい愛孫をみくびっておったようじゃ。すまなかった。我が家よりもはるか上を、お前は狙っておったのじゃな」
くうう、と声をあげたゴルディは感動に滲んできた涙を拭った。情緒が不安定すぎてやや心配になりつつ、
(なるほどね……)
ルクレシアにもようやくゲームの裏側で起きていたことの全容が理解できた。
王妃の座を狙ったルクレシアは、聖女シュゼットによって恐喝や暗殺未遂といった悪事を暴かれ、国外追放となる。
オルピュール家が悪事で蓄えてきた財産はまるっと王家のものになり、政治は安定して民は幸せに暮らしました、というのがゲームのエンディングなのだが、もともとオルピュール家側にそうした想定があったのだ。
そしてまた聖女シュゼットが悪役ルクレシアを倒すことで、聖女の権威は爆発的にあがる。
これまでオルピュール家に怯えていた貴族やオルピュール家に管理されていた悪党どもは、聖女はオルピュール家より強いのだと受けとるわけで。
聖女の奇跡というより、裏社会のトップ交代を見せつけられるようなものだ。
(ルクレシアもオルピュール家も、それなりに重要な役割なのね)
ゲーム本編のストーリーしか知らないプレイヤーからは、王太子ルートの邪魔をする当て馬ポジションだと思われていたし、前世の記憶をとり戻したばかりのルクレシアもそう思った。
だが意外にストーリーの根幹をなす裏設定が組み込まれているようだ。
(悪役令嬢をこなしたほうがよさそうね。わたくしは痛くも痒くもないみたいだし)
あっさりとルクレシアは己の役割を受け入れた。
自分の地位を守るためならば、聖女として覚醒する前のシュゼットを始末する選択肢もある。
だがそれで引き起こされる問題にも、ルクレシアは気づいていた。
ルクレシアの脳裏を、濃紫の髪を撫でつけた面影がちらりとよぎる。その影を振り払い、ルクレシアはゴルディににこりと笑いかけた。
「では、おじい様。わたくしのお願いを聞いてくださいませ」
「おお、なんでも言え、ルクレシアよ」
成金悪役家の当て馬令嬢。
それがゲームプレイヤーから見たルクレシア像であり、すなわち事情を知らぬ民から見た姿であろう。
けれども甘んじて受けようではないか。その後に悠々自適なリゾート生活が待っているなら!
「わたくし、王妃になりとうございます♡」
蜂蜜の色の瞳を輝かせ、こてんと小首をかしげながら、十二歳のルクレシアは言い放った。