第37話.聖女の名案
ルクレシアは、暗闇の中を歩いていた。
やけに息苦しい、まるでねっとりと絡みつくような闇だった。
これは濁った人間の悪意だ。手足をとられ、体の動きが鈍くなる。重い、泥の中に沈み込んでいくような、肌に染みついて身の内まで腐らせていくような……。
これまでどおり、身を小さくして、息をひそめて、やり逃すしかないのだろうか。
(――いいえ?)
ルクレシアは首を振る。
(わたくしは〝オルピュール家〟の〝ルクレシア〟よ?)
悪意ならいくらでも肌で感じてきた。命を狙われたことだって一度や二度ではない。
けれど、そのどれもをそよ風のように受け流し、生ぬるいと笑ってきたはずだ。
弱気な自分があまりにも似合わなくて、ルクレシアは気づいた。
(これは夢ね)
不愉快な夢ならば起きるだけだ。
さっさと暗闇に見切りをつけ、ルクレシアは目を開いた――。
視界に飛び込んできたのは、見知らぬ天井だった。自室でもゴルディの部屋でも別荘1でも2でも3でもない。
それが王宮の、アルフォンスの寝室だと思いだすと同時に、ルクレシアは悪夢の原因も知った。
自分に手足を絡みつかせているシュゼットである。
「ルクレシアおねえさまあ……♡ 一生おそばに……うへへ」
ルクレシアの首すじに顔を埋め、シュゼットはよだれを垂らしながら寝言を呟いている。そしてシュゼットが猫撫で声でルクレシアの名を呼ぶたびに、
「うぐぐぐぐ……!!」
と、こちらも眠っているはずのアルフォンスが、もう一つのベッドから唸り声をあげている。
「……」
「あんっ」
とりあえず、ルクレシアはシュゼットを振りほどいた。
それからベッドをおりると、アルフォンスの額にもチョップをかましておいた。
***
アルフォンスの部屋で朝食をすませ、朝の身支度を整える。
淑女の嗜みとして、異動の際は予備のドレスを運ばせているので着替えは問題なかった。まさか泊まりになるとは思わなかったが、行った先で急遽お茶会や晩餐会に参加する、というくらいのことは想定している。
「さて――アルフォンス様暗殺計画のことだけれど」
ルクレシア、アルフォンス、シュゼットの集まったテーブルで、ルクレシアが口火を切った。
ちなみにレイは従者の分限と護衛の任を守り、ルクレシアとアルフォンスのあいだ、数歩下がったところに立っている。
「そうした計画があるということを知れたのはプラスだったわ。でも、表立った対策はとれない」
「どうしてですか?」
「証拠がないからよ。わたくしが話を聞いただけ、それを理由に告発を行えば、逆にオルピュール家が宰相を潰しにいったと受けとられるでしょう」
首をかしげるシュゼットに説明してやると、シュゼットはさらにしばらく考え、「はい!」と挙手をした。
「はい、シュゼット」
「ザカリーとアウグストを捕まえて裏で自白させたらよくないですか? あうっ、あうっ」
ビシバシと二度打ちおろされたチョップにシュゼットが額をさする。
「だから、そんなに簡単にはいかないのよ。あと『裏で』とか言わない」
秘密裏に、オルピュール家が所持している屋敷の地下室にでも閉じ込めて、という意味だと推察されるが、聖女が使っていい言葉ではない。
「おじいちゃまならそうするかなって……」
案の定シュゼットはゴルディの名を出した。
ゴルディはルクレシアと同じく、妹分となったシュゼットのことも溺愛しているが、いったい何を教えているのだろうか。
「ザカリーは宰相、アウグストは教会の幹部よ。いなくなればすぐに誰かが気づくし、それがオルピュール家の差し金で行われたと露見すれば立場が悪くなるのはこちら」
「宰相という立場もあり、父上はザカリーを信頼している」
アルフォンスもため息をついた。
「内心でなにを考えているにしろ、宰相としては有能な男だ」
王家を生かさず殺さずで存続させてきた手腕があり、オルピュール家の介入を見るや、ザカリーは与えられた金を使い、きちんと国政を立て直した。だから国王や貴族たちからの心証はいい。
有能でなくては秘密裏に事を進め、クーデターなど起こせない。
(まあ、メタ的に考えると二周目で攻略対象にもなるのだし……)
アルフォンスやレイ、ウィルフォードとタメを張れる程度のスペックはあるのだ。
ただ、現状ではそのスペックをもって敵対してくるわけで。
変につつくと、国王・宰相・貴族VS王太子・オルピュール家の争いに発展しかねない。
しかし手を打たないで、ただ見ているわけにもいかない。
ゲーム本編が始まって、まだひと月ほど。ザカリーとはもうしばらく膠着状態だと思っていた。けれどもザカリーは動いた。
宰相ともあろう男が、追い詰められてやけっぱちの行動ではないだろう。
勝てる見込みがあるのだ。
「ものすごく不躾な話をいたしますが、アルフォンス様が暗殺された場合、王位はどのような状況に?」
「ぼくの従弟が王太子になるだろうね。彼は政治に関わりたくないと言って数年前から王都を離れ、直轄領で暮らしているが……」
そういえばそんな人物もいた。
現国王に息子はアルフォンス一人だが、王弟殿下にも息子がいるのだ。
王位継承順位でいえば第二位なのだからなんて責任感のない、と憤ってもいいくらいだが、没落寸前の王家を金塊で殴り飛ばし次期王太子妃の座に収まったルクレシアも原因の一つだろう。
政治に関わりたくないというよりはオルピュール家に関わりたくないのが本音かもしれない。
「ザカリーにとっては扱いやすい人物、ということですね……」
ルクレシアは呟いた。
政治に疎く、おそらく宰相であるザカリーが実権を握るなら口出しをしてこない、けれど王位継承権はバッチリある。
ルクレシアと結びつきを強めつつあるアルフォンスを排して、と考えるのは順当といえる。
「だから、あんなに婚約者らしくふるまうことはなかったのに……演技にしてもやりすぎで」
言いかけて、ルクレシアはハッと口をつぐんだ。
ルクレシアに心を配るアルフォンスの態度が演技ではなく本心であったことは、昨日明かされたのだった。
――ぼくは君が好きってことだよ。
アルフォンスの声が耳によみがえる。やさしくて、甘くて、なぜかエコーまでかかっているような気がする。
「……!!!!」
真っ赤になって口をぱくぱくとさせるルクレシアに、アルフォンスは満足げに頷いた。
「うん、効果は出ているな」
「お姉様! お気をたしかに! ああっ、わたしに記憶消去魔法が使えたら!」
「……ひとまず、考えなければならないのは、現状をどうするかです」
動揺する心を抑え込み、ルクレシアは告げる。
「金をバラまいて何かしらの罪の証拠を捏造し、ザカリーを別件逮捕させるとか……」
「……シュゼット、家に戻ったらおじい様といっしょに少し話があります」
聖女らしからぬ台詞を次々と発するシュゼットに、ルクレシアは頭を抱えた。
完全に育て方を間違えている。
(これじゃシュゼットに対するアルフォンス様の好感度が……ああいえ、アルフォンス様はわたくしのことを……っ!)
そしてまたアルフォンスの告白を思いだし、真っ赤になった顔をあげられずにぷるぷると震えるルクレシア。
(おちついて、おちつくのよわたくし。とりあえず家にもどったらシュゼットに説教して――)
アルフォンスの安全を確保できない限りは、オルピュール家には戻りにくいのだが。
それにしても、監禁、尋問、捏造、別件逮捕は酷い、とため息をつきかけて、ふと脳裏に閃くものがある。
「別件逮捕……そう、その手があったわね」
呟いたルクレシアを、アルフォンスとシュゼットが見る。
「アルフォンス様。ウィルフォード・リージズを呼ぶことはできますか?」
「筆頭魔導師の? 呼べるが……彼とも知り合いなのか?」
驚いた顔になるアルフォンスに、ルクレシアは「では、お願いします」と答えただけだった。




