第23話.なんか思ってたのと違う(前編)
じりじりと迫る男と、ルクレシアは対峙していた。紫の髪がふんわりと揺れる。
場所は、クリエ通りから数本外れた路地にある、使われていない民家。ガラの悪い男たちに追いかけられたルクレシアが、たまたま鍵のかかっていないドアを開け、逃げ込んだ――と、男たちは信じている。
男が振りおろしたナイフを避け、つかまえようとした次の男の両手も交わして、ルクレシアはさらに奥の部屋へと逃げた。
(そういえば前世の記憶を取り戻したのは、六年前、誘拐されたときだったわね)
なんとなくなつかしい気持ちになりつつ、ルクレシアは窓から逃げようとする素振りをしてみせた。男の声が焦ったものになる。
「何してんだ、早くしろ!」
三人目の男が続きの隣室からルクレシアたちのいる部屋へ踏み込んできた。
三人いれば誰かしらは情報を持っているだろう。こんなものでいいかしらと当たりをつけて、
「レイ――」
あいかわらず頼りっぱなしの専属執事の名を、ルクレシアが呼んだときだった。
「うおおおおああああ!!!!」
「あんたたち、ルクレシアお姉様に何すんのよおおおお!!!!」
廊下からドアをぶち破って飛び込んできたのは、ネインとシュゼット。
ネインは剣のかわりに棍棒を握りしめ、即座に部屋の中央にいた一人をぶちのめした。数秒後にはもう一人。さて残る一人は、と視線を移した瞬間に、男が悲鳴をあげた。
ナイフを持った右手が、ナイフごと凍りついていた。
「なっ、なんだよこれええええ!!!!」
(うるさいわね)
ルクレシアは顔をしかめる。
「氷魔法ですっ!!」
律儀に答えつつ、シュゼットはさらに男の足を氷漬けにする。床から離れなくなった足に男がふたたび悲鳴をあげた。
そのころになってようやく、戸棚の背後に隠れていたレイが姿を現すと、ため息をつきながら男どもを拘束していった。縄で縛られた男が自由を失ったことを確認してから、シュゼットは氷漬けになっていた手足を癒やしてやった。
そうしながら、目を細めて呆れの視線を男に向けている。
「だめですよお? 暗殺者なら、入った建物の扉は都度封鎖して、救出の足止めをしないと。それから手が氷漬けになったところで立ち止まるなんて最悪です。せめて標的に襲いかかるか、すっぱり諦めて逃げるか。判断が遅れたから何もできなかったじゃないですか」
(あんたは暗殺者じゃなくて聖女なのよ、シュゼット)
言っていることは正しいが、言っている人間が問題だ。
腕組みをしたルクレシアは遠い目になった。
(どうしてこんなことになっちゃったのかしら?)
前世の記憶を取り戻し、ここが乙女ゲーム『シュゼットの歌声は永遠に』の世界だと知ったルクレシアは、シナリオどおりにアルフォンスと婚約。それからついつい放っておけずにシュゼットをはじめとした貧民街の子どもたちを確保し、オルピュール家で教育を始めた。
あれから六年。ルクレシアは十八歳、時期的にはもうすぐ本編が始まるというところなのだが。
シナリオは修復不可能なところまでめちゃくちゃになってしまっていた。
***
オルピュール家の屋敷に戻ったルクレシアは、いつものように湯浴みをして埃を落とし、それから控え室で正座をさせられているシュゼットとネインの前に現れた。
成長したシュゼットは十六歳、ネインは十五歳。
シュゼットは、ふわふわの亜麻色の髪をかわいらしく編み込み、ぱっちりとした青い目でルクレシアを見上げている。
その隣のネインは騎士らしく両のこぶしを膝に置き、歳よりも幼く見える顔つきを懸命に引きしめてルクレシアへ視線をそそぐ。
「いろいろと聞きたいことはあるけれど――」
ルクレシアはため息をついた。
「一番は、どうしてあの場に来たの」
「ルクレシアお姉様が誘拐されたと聞いて! 次期王太子妃を守るのは、近衛騎士の役目です!」
ネインがハキハキと答える。先に答えをとられたシュゼットが悔しそうな顔をする――いや、これは、すべてをぶちまけてしまいそうなネインに対する苛立ちか。
「誰に聞いたの」
「シュゼットに!」
「どうしてシュゼットが知っているの」
「ネイン! 言うなあっ!!」
「お姉様の腕輪が、シュゼットの魔石とつながっているからです!!」
「言うなって言ってんでしょ!?!?」
悲鳴じみた声をあげるシュゼットに、ルクレシアはもう一つため息をついて腕輪を外した。
シュゼットがびくりと身を震わせる。
たしかに腕輪は、昨日シュゼットが贈ってくれたものだ。貴石をつなぎあわせたもので、真ん中のものだけは透明感を持って輝いていた。これが魔石だったのか。
ルクレシアには魔力を感知することができない。
「言ったわよね。変なものだったら捨てるって。魔法を学ばせたのは盗み聞きのためじゃないのよ」
「あうう……でもだって、お姉様が囮捜査なんて……お許しください、お姉様……魔法は解除しますから!」
「罰として今日は口を利きません」
「おね゛えざまあ゛あ゛あ゛ああ゛!!」
シュゼットが頭を抱えて崩れ落ちる。『シュゼ永遠』のパッケージでは、もっと憂いを帯びた表情だった。ゲーム内でも大声をあげることは少なく、常に聖女らしく振舞っていたものだった。
その隣で、ネインがからかうように舌を出す。
「ネイン」
しかしひょうきんな顔は氷のようなルクレシアの一言で凍りついた。
「あなた、今日は非番だからメイベルと遊ぶ約束をしていたのでしょう? なのにメイベルをうちの屋敷に置いて、シュゼットと飛びだしていったそうね」
ルクレシアは背後を振り向いた。そこにはバイロに付き添われたメイベルがいる。
兄と同じ赤毛を揺らしながら、まだ成長しきっていない両手をこぶしに握り、メイベルはぐっと眉根を寄せる。
「わ、わたし……」
「こんなところに女の子を一人残して、怖かったに決まってるじゃない」
メイベルがオルピュール家に来たのは初めてのことだ。顔見知りはシュゼットしかいないのに、そのシュゼットと兄がいなくなってしまったのだから、心細かったことだろう。
そうルクレシアは思ったのだが、
「わ、わたし、シュゼットさんのことは大好きだけど、ルクレシアお姉様のことも大好きだから、ネインお兄様にもがんばってほしいし……」
「なんの話?」
メイベルが気にしているのは違うことであるらしい。かしげかけた首を横に振って、ルクレシアは厳しい表情を作った。
折りしもそこへ、レイが入室してくる。報告の準備ができたということだ。
ルクレシアは部屋の四人に背を向けた。
「とにかく! わたくしに構うのはやめて! いいわね!」
「お嬢様、そりゃあネインぼっちゃんにもシュゼットにも可哀想ですよ……お二人ともお嬢様を心配して」
「あんたには関係ないのよ!!」
怒鳴りつけられたバイロが口をつぐむ。
隣で目を見開くメイベルに一瞬罪悪感がよぎったものの、
「……行くわよ、レイ!」
それ以上声をかけることもなく、ルクレシアは部屋を出た。
(まったく……どうしてこんなことになっちゃったのかしら!?)
誰にも答えられない疑問を口の中で呟きながら。