第20話.宰相ザカリー・ベルクレイス
レイの先導でルクレシアとアルフォンスは王宮へ戻ってきた。
名を教えたせいかシュゼットはやたらとルクレシアになつき、ルクレシアがメイフェア地区を去ると聞いて残念そうな顔になり、また会えると告げれば目を輝かせていた。
(かわいかったなあ……)
さすがはヒロインである。なんというか、愛されオーラみたいなものが出ていた。ボロボロの身なりを脱却し、磨きあげれば絶対に輝く。
(レイをとられるのは困るけど、仕方ないわね)
シュゼットならば仕方がない、という諦めもついた。
これまでなんとなくそばにおいていたレイの有能さを、ルクレシアは思い知った。
前世の記憶をとり戻し、レイが自分から離れるという可能性に気づかなければ、レイの能力を理解せずに適当に扱っていただろう。
(できればシュゼットとアルフォンス様が結ばれてくれるのが、一番いいんだけど)
誰のルートへ進んでも、ルクレシアの悪事が暴かれ断罪されるのは決定事項だ。夢のリゾート生活は遠ざからない。
ただアルフォンスとシュゼットが結ばれれば、国は安定するし、ラスボスの攻略難易度もさがる――。
「いかがでしたか、アルフォンス殿下」
さぐりを入れようと尋ねたルクレシアに、考え込んでいたアルフォンスは顔をあげる。
「ああ、うん……迷惑をかけてすまなかった。反省している。ぼくはもっと真剣に考える必要があるみたいだ。いまの状況も、これからの身の振り方も」
「いえ、そうではなく、シュゼットのことです」
「え? 彼女がなにか?」
アルフォンスは怪訝な顔をした。ときめいたり、また会いたいと思ったりはしないらしい。
そのときノックの音が響き、ルクレシアとアルフォンスは同時に振り向いた。
「アルフォンス殿下、いらっしゃいますか?」
聞こえてきた声は案内をしてくれた侍従のものではない。もっと低く、どこか冷たさを感じる声。
「ああ、いる。入ってくれ」
体をこわばらせるルクレシアとは反対に、アルフォンスは警戒心のない声で告げた。
開いた扉の向こうには、一人の男が立っていた。濃い紫の髪を後ろに流し、銀縁眼鏡の向こうには細く鋭い視線が光る。
「侍従が、何度か呼びかけたもののお返事がないと心配しておりました。いったいなにをされていたのですか」
「ああ、すまない。国政について議論していたんだ。熱くなってしまって、声が聞こえなかった」
「国政について? 議論? オルピュール嬢とですか」
「そうだ。民の暮らしについて聞いていた」
しれっとごまかして見せるアルフォンスに、ルクレシアは驚いた。意外と政治家の素質があるのかもしれない。
内心でそんなことを考えつつ、にこりとほほえんで男を見上げる。男もまた表情に若干の侮蔑を浮かべながらルクレシアを見る。
ルクレシアは笑顔を崩さなかった。
「……ザカリー・ベルクレイスと申します。宰相を務めております」
無言で見つめあうこと数秒、ザカリーは観念したように頭をさげた。
名乗るのは下位の者から。ルクレシアがそのことを知っているか、知っていたとして自分を宰相の格上に位置づけるかどうかを、ザカリーはうかがっていたのだ。
「ルクレシア・オルピュールです。どうぞお見知りおきを」
軽い会釈を返し、ルクレシアはあらためてザカリーを見つめた。
宰相ザカリー・ベルクレイス。
最後の攻略対象だが、彼のルートに入れるのはニ周目以降。なぜなら――、
(わたくしはあくまで当て馬令嬢。ラスボスはこの人なのよねえ……)
『シュゼ永遠』本編は本性を現したザカリーを倒したのち、「でも、あの方とも……和解できたのかもしれない」という聖女シュゼットの呟きとともに幕を閉じる。
そして二周目では、シュゼットの願いどおり、ザカリーは隠し攻略対象キャラとなり、ザカリーを攻略した上でのエンディングが、完全な大団円となるのだ。
(その場合にはわたくしも追放されないんだったような?)
どうも曖昧な記憶に、ルクレシアは首をかしげる。
(まあどっちにしろ、これは一周目でしょうし。わたくしは断罪されるわね)
そしてリゾート生活だ。むしろ大団円エンディングに入ってもらっては困る。
内心で頷くルクレシアを、ザカリーは冷淡な視線で眺めている。好感度がゼロのときの表情だ。
ルクレシアの脳裏にとある画像が浮かんだ。
前世の『シュゼ永遠』の考察サイトに掲載されていたその画像は、ルクレシアの立ち絵とザカリーの立ち絵を並べたもので、長くつりあがったふたりのまなじりや、口元の曲線などを比べたものだ。
とくに問題とされていたのは珍しい紫の髪。ゲームなんだからどんな色でもいいだろうとは思うが、紫の髪色を持つ者はゲームに登場するキャラクターの中でもルクレシアとザカリーだけ。
そしてザカリーは恋人と生き別れになったという重めの過去を背負い、出自や経歴については謎が多い。
彼は、オルピュール家にゆかりのある者では――というか、ルクレシアの父親なのでは? と一部では囁かれていた。
(その場合、制作スタッフの良識を疑うけどね!?)
娘を当て馬に、父親をラスボスにしようと考えたのはプロデューサーなのかプランナーなのかシナリオライターなのか。
自分がなってみると理不尽を感じるものだ。
結局のところどうなのかは、ゲームではわからない。
ただ、王太子アルフォンスの婚約者となったルクレシアが、こんなふうに宰相ザカリーと対面したことはあったに違いない。
前世の記憶を持たなかったとしたら――ここが乙女ゲームの世界であることも、自分たちが父娘であるという考察が存在することも知らなかったとしたら、自分はどう思っただろうか。
(……いけすかないおじさんだと思っただけでしょうね)
ザカリーは目を細めてルクレシアを見下ろしている。ひとかけらの好意も抱いていないことが明らかな視線だった。
間違ってもシュゼットがザカリールートに入らないよう、注意しなければ――と内心で決意する。
「あまり殿下のお時間をいただくのも心苦しいですし、それではこれで」
当たり障りのない辞去の挨拶を述べると、ルクレシアは貴族用のスマイルをにこりと顔にのせた。
「アルフォンス殿下、楽しい時間をありがとうございました」
「ああ、ぼくも楽しかった。ぜひまた話がしたい」
(アルフォンス様、本当に演技がお上手でいらっしゃるわね)
ぎゅっとルクレシアの手を握り、いかにも名残惜しそうに言うアルフォンスに内心で舌を巻く。
「ベルクレイス侯爵も、ごきげんよう」
「またお目にかかる日を」
今度はルクレシアから頭をさげ、一応ザカリーを立ててやると、ザカリーも深々と頭をさげた。
ルクレシアは気づいていなかった。
アルフォンスが熱っぽい視線をその背に向けていることも、顔をあげたザカリーの目が仄暗い色をたたえていることも。
ただ、ルクレシアについて部屋を出たレイだけは、密かに背後の二人に視線を送っていた。