第17話.聖女シュゼット(前編)
「誰だ……?」
「変な声はあの紫髪の女からだな」
「やっけにキラキラした男もいるぞ」
「攫って売れば、高く売れるか?」
こそこそと囁きあう声は不躾で、鋭い視線も感じる。
アルフォンスは怒りに赤くなっていた顔を青ざめさせてルクレシアを見た。
先ほど告げた言葉のとおり、ルクレシアは平然とした顔で立っている。バイロらに襲われたときもしかり、王都の裏社会を知るルクレシアにとってこの程度のことは恐怖ではないのだ。
「穏便に、とおっしゃったのはお嬢様ですよ」
主人に対するため息を隠さないレイに、ルクレシアが眉を寄せる。
「わかってるわよ。これはわたくしが悪いわ。でも、レイ、お願いね」
主人の不始末の尻拭いをするのが従者の役目である。
アルフォンスの腕を引くと、ルクレシアはレイの背後に隠れた。
わけがわからないといった顔をしているアルフォンスに黙っているよう身振りで示す。
「ねえ、あんたたち。美形が三人もいて視点が定まらないのはわかるけど、この男の顔は知ってるでしょ」
そう言えば、物陰の気配が動いたようだった。
「ん?」
「んん??」
見る間に、廃屋の陰からひょっこりとふたつの人影が現れる。怪訝な顔をしつつこちらをうかがう彼らは、ルクレシアと同じか、小さいくらい。
一人は、黒髪に黒い瞳の、痩せた小柄な少年。
もう一人は赤茶けた髪に緑の瞳の、背の高い少年。
警戒心の強い子猫のように近づいてきた彼らは、背の高いレイを見上げるなりパッと顔を輝かせた。
「あっ、レイ様だ!」
「レイ様!!」
「キャンディは!?」
ズボンにまとわりつく子どもたちに、レイは無言で内ポケットからキャンディをとりだすとひとつずつ手に握らせてやった。わらわらと十数人の子どもたちがどこからともなく現れてはキャンディを受けとって消える。
(あいかわらずどうなってるかわからない内ポケットね……)
ひととおり配り終わると、最初に姿を見せた二人だけが残った。ここのリーダー格であるようだ。バイロ一団しかり、集団にはリーダーがいるものだ。
「ど、どういうことだ?」
「言ったでしょう、オルピュール家は炊き出しや仕事の紹介をしているって。レイも当然こうした場所には詳しいですし、住人とは顔見知りです」
まだ様子がわかっていないアルフォンスに、ルクレシアはそっと囁く。
ルクレシアが大声を出さなければ、彼らとの折衝だけですんだのだ。高笑いのせいで関係のない住人まで呼びよせてしまった。
そもそもルクレシアがメイフェア地区へ来たのは、目的のものがあると――正確には、目的の者がいるとレイの報告を受けて、である。
「レイ様、今日はどうしたのー?」
「〝ヨソモノ〟はまだいるか?」
「いる! あいつを捕まえにきたのかー?」
「レイ様なら持っていっていいぞ!」
レイの問いに二人は屈託なく答えると、くるりと踵を返した。
「こっちだ!」
先導する二人について奥へと進むうちに、周囲の光景はますます荒れたものとなっていく。
ルクレシアもメイフェア地区へ入るのは初めてだ。オルピュール家が深く入り込んでいるほかの貧民街に比べ、教会の裏手という立地のせいで、メイフェア地区は明らかにすさんでいる。
やがてたどり着いたのは、いまにもくずおれそうな木造りの家。柱にはカビが生え、腐った壁が必死に屋根を支えている。
入り口には丸太が積まれて、扉が開かないようになっていた。
「ここに閉じ込めてるんだ!」
「こっから中が覗けるぜ」
黒髪の少年が近くの木箱にのぼり、高いところにある壁の穴を指さした。
にこやかに笑う子どもたちに邪気はない。言わんとしていることを察したアルフォンスの顔がふたたび青ざめていくのを、ルクレシアはなんともいえない気持ちで見守った。
「ここに彼女がいるのね?」
「はい。確かめましたところ、お嬢様のおっしゃっていた特徴と同じです。それから」
腰をかがめ、レイはルクレシアにしか聞こえないよう耳元で囁く。
「彼女がなにか呟いたとき、体が光ったように見えました。そのことは誰も気づいておりません」
「そうね。なら間違いないわ」
ルクレシアの言葉に、レイは身を起こすと扉に向きあった。
「壊してもいいか?」
「いいよー!」
そんな一言を交わすなり、バキリと音を立てて扉は破壊された。
丸太を動かすのが面倒だったらしい。
レイが屋内へ入る。崩壊はしそうにないことを確認すると、ルクレシアに手をさしだした。
丸太を越えて踏み込んだ屋内は埃っぽく、破れ屋根からところどころ日の差し込む廃屋には、彼らの言うとおり一人の少女が体を丸めて座り込んでいた。
「おい、ヨソモノ! お前はレイ様が連れていくぞ!」
「よかったなー、売られる前にレイ様がきて!」
(……シュゼットだわ)