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いじめられっ子JKは転生先で悪役令嬢としての人生を捨てて善良に生きる

作者: 成井シル

 彼女は、日記を書くことにした。


 「また」と言うべきか、「あらためて」というべきか。


 まだ頭が混乱している部分もあるけれど、現実として受け入れて。


――――――


 「ラシャンテ第一王女殿下」と呼ばれることには、少しずつ慣れてきた。でも、そう呼ばれるたびに「ああ、ここは私が元々いた世界じゃなくて、あの『プリンセス☆レボリューション』の中の世界なんだな」と思う。


 こうやって、元の世界でやっていたように日記を書くことを決めたのも、自分の身に起きた不可思議な現象を、書くことによって現実として捉え直せると思ったからだ。


 私は、真木まぎ 雪華せっかだった・・・

 日本の高校二年生で、家はちょっと人気のある喫茶店。

 将来は私がお店を継ぐんだ、なんて張り切っていた。

 だから、箔が着くほどの有名な私立高校に入って、どんどん盛り上げるぞ、なんて夢見てた。

 でも、出来なかった。

 信じられないくらい邪悪な人間達と出会ってしまって、孤独に耐えかねて、私は薬をたくさん飲んだ。


 今は、すごく後悔してる。


 お父さんとお母さんに会えなくなる、ということを真剣に考えられていなかった。

 もちろん『続き』があるなんて思わなかったから、仕方ないと言えば仕方ないんだけど……

 この世界、シャングリラ王国に来て一週間になるけれど、元の世界が恋しくて仕方ない。

 二人に会いたい。

 親友の桜っちゃんにも会いたい。

 でも、もう出来ない。

 私がバカだった。


 唯一、救いの可能性があるとすれば、入れ替わったんじゃないか、ということだ。

 私がラシャンテになったように、ラシャンテが雪華になったという可能性。

 彼女ラシャンテの性格なら、私(雪華)をいじめてきていた主犯格の加賀かが まといにも負けないだろう。

 負けないどころか、取り巻きの女子達にも、周りの男子達にも、容赦なく反撃して、完膚なきまでに叩きのめすに違いない。

 それならその方がいいのかもしれない、と思うと――やっぱり、ちょっと切ない。


 だから――というわけではないけれど、私は私で、ラシャンテ゠リュ゠ヴァーンとして生きていくことを決めた。

 ここが『プリレボ』の世界でなかったら、そう思えなかったかもしれない。

 でも、『プリレボ』は、何十回もクリアしたゲームだ。

 設定資料集も買って読み込むほどに、心底ハマったゲームだ。

 いつ何が起きるかが分かっているわけだから、きっとうまくやれる。


 問題があるとすれば、それは自分――『ラシャンテ゠リュ゠ヴァーン』という人物そのものだ。

 典型的な悪役キャラ。

 主人公は、下町で生まれ育った悲劇の姫君リセノワールの方だ。

 母の死をきっかけに宮廷に入ったリセが、そこで出会った素敵な男性と恋に落ちるという筋書き。

 ありとあらゆる困難をものともせず、リセは一人の殿方と添い遂げる。

 二人の婚約は、国中に喜ばれる。

 攻略ルートは五つ用意されていて、どの人生ルートでも幸せになる。

 一方、悪役であるラシャンテは、必ず死ぬ。

 国中の人間に嫌われ、疎まれ、死を歓迎されて、断頭台の露に消えるのだ。

 隠し攻略ルートに至っては、婚約者であるはずのアランデュカスがリセと結ばれてしまう。


 まぁ、それも仕方ない……と思ってしまうようなキャラクターが、このラシャンテだった。。

 自分がプレーしているときも、このキャラクターにはいつもイライラさせられた。


 ラシャンテ゠リュ゠ヴァーン。

 歴史に名を残す女王となるべく、知識、教養、ひいては武芸までをも体得した女丈夫。

 そして、ありとあらゆる贅を尽くした悪女。


 牛人ミノタウロスが焼いたパン。

 森人エルフが詰めたワイン。

 鉱人ドワーフが細工したアクセサリー。


 傲慢――

 浪費――

 悪辣――


 そんなラシャンテの天下は、妾腹の姫君リセの存在が明らかになったことで終わる。

 宮中や民衆の中に、純朴可憐な妹姫の方が次の王国の継承者にふさわしいのではないか、という論調が高まったのだ。

 これを危惧したラシャンテは、婚約者のアランデュカスと共謀し、様々な策謀を張り巡らした。

 宮殿に出入りする邪な商人とも手を組み、企てが過激になっていった。

 それがラシャンテの運命を決定づけた。

 官僚の汚職、市民の反体制運動、王の急逝。

 それらすべての責を負わされて、ラシャンテは断頭台にかけられるのだ。


――――――


「タイムリミットは3年、か……」


 日記を書く手を止めて、雪華――ラシャンテはひとりごちた。

 元の世界では想像も出来なかったような広い自室の、装飾に彩られた縁の窓から外を見る。

 朝焼けが綺麗だ。

 時間の概念は元の世界と一緒らしく、時計もある。

 見下ろして見える中央広場には大きな時計台があって、5時を指している。


「今から3年後、あの時計台の下にギロチンが設置されるんだ……」


 ギロチンなんて、名前を知ってはいても、実物を見たことはない。

 それなのに、なんとなく、首筋が冷たくなる。

 ラシャンテは首を振って、昨夜定めた三箇条を思い出して口に出す。


「リセと仲良くする。人に優しくする。手に職をつける」


 一つ目の「リセと仲良くする」は、死なないための努力だ。

 民衆が『ラシャンテ』に抱く敵意ヘイトは、最終的な理由のほとんどが「リセに敵対したから」だった。

 となれば、リセと仲良くすることで死を回避できる可能性は高い。

 それに、と思う。

 自分せっかとしても、リセに嫌われたくない。

 何十回も『プリレボ』をクリアしたのは、男性キャラにハマってというよりも、主人公のリセのことが好きで、彼女を応援したい気持ちが強かったからだ。

 女王になりたいという願望もないのだから、リセの恋路を邪魔するそもそもの理由がない。

 「リセと仲良くする」のは、自分の課題というよりも、純粋な希望かもしれない。


 二つ目の「人に優しくする」は、いじめられないための努力だ。

 お姫様、お貴族様の生活なんて、よくは知らないし、興味もない。

 だから、リセが結婚したら――彼女が誰を選んで、どの人生ルートのエンディングを迎えるかは分からないけれど――面倒事にならないよう、庶民になりたいと申し出るつもりだ。

 確証はないけど、優しいリセの性格を考えれば、姉の私の気持ちを優先してくれるだろう。

 ただ、問題はその後だ。

 民衆に嫌われた状態で庶民になったとして、針の筵のような毎日を送るのは避けたい。

 もう、陰口を言われたり、物を壊されたり、孤立させられたりするのは、嫌だから。


 三つ目の「手に職をつける」は、生きていくための努力だ。

 無事に庶民になったとして、何か食べていくための技術を身につけておかなければやっていけない。

 とはいえ――


「私に出来ることなんて、料理くらいだもんなぁ」


 ラシャンテは青色を増し始めた空を見て呟く。

 この世界で『外食』というサービス業が成り立つのか、分からない。

 それに、成り立つとして、両親がどうやって経営していたのか、料理以外の部分についてはほとんど何も知らないのだから、やっていけるかどうか分からない。

 となると、どこかのお屋敷で専属料理人のような道だろうか。

 でも、元王女を雇う貴族がいるだろうか。

 リセなら使ってくれるかもしれないが、妹の庇護に預かり続ける人生というのも情けない話だ。


「とりあえず、出来ることからやってくしかないか」


 ラシャンテは、信じられないくらい肌触りのいいパジャマを脱いで、これまた質の良いインナーを着た。

 本当は、メイドさんにコルセットをつけてもらわないといけないのだけれど、初日でギブアップした。

 あんなものをつけて食事をとったら、どんな料理を食べても味が分からなくなってしまう。

 衣裳係を呼ばず、勝手に服を選んで袖を通す。

 宮殿の造りはしっかり頭に入っている。

 ――まさか、本当に歩き回ることになるとは思わなかったけれど。

 ラシャンテがまっすぐ向かったのは厨房だった。

 リズミカルにまな板が歌っている。

 くつくつと鍋のお湯が笑っている。

 ガランガランと、少し荒っぽく調理器具たちが踊っている。


「おはよう――」


 ございます、という続きを飲み込んで、ラシャンテは言った。

 初日にさんざん失敗した。

 自分ラシャンテは第一王女、国で王様に次いで二番目の権力者なのだから、敬語を使うべき相手などいないのだ。

 それなのに、見知らぬ人たちについつい敬語で話してしまって、随分狼狽えられてしまったものだ。


「おはようございます、ラシャンテ王女殿下!」


 厨房に居た十人ほどのコックたちが、一斉に声を上げる。

 その内の一人が、姿勢を正す勢いが余っておたまを落としてしまった。


「気にせず続けて。焦げたらいけないし」


 ラシャンテはそう言って、若いコックが落としたおたまを両手で優しく拾いに行き、そっと手渡した。


「調理器具は大事にしてね」


 コックが顔を真っ赤にして、大きな声で返事をした。


「殿下」

「ヒネモス司厨長」


 声をかけられて、ラシャンテは応えた。

 長年王家に仕えている、立派な顎髭をお腹のコック長だ。


「ここ一週間、毎朝ご視察に足を運んでいただいて光栄でございます」


 ラシャンテは照れくさそうに頬を掻いて笑う。


「そんなにかしこまらないで。視察なんて大したものじゃなくて、ただ、私がキッチンの雰囲気が好きなだけだから」

「その言葉も何よりの励ましです。特に、若い衆にとって」


 ヒネモスが豪快に笑う。


「でも、来るたびにレジェが何かを落としてしまって、申し訳なくなってしまうわ」

「ハハ、あいつはまだまだ見習いですし、宮廷を歩いたこともほとんどない奴ですから……それにしても、殿下、よくそんな者の名前までご存じでしたね」


 伊達にお年玉をはたいて設定資料集を買ってないわ、という言葉をぐっと呑み込んで、ラシャンテは曖昧に笑う。

 それからラシャンテはメニューについて聞き、コック達の手際の良さに感心し、その感情を言葉にし、もうすぐ出来上がるというところで侍従長に見つかってしまった。


「殿下! また厨房などにいらっしゃって……油汚れがつくからお控えくださいと申したはずですよ」


 グレーのお団子頭をした、いかにもメイドのリーダーですといった風貌の女性が厨房で声を張り上げた。


「うん。だから、ソワニエに言われた通り、汚れてもいい服を選んだわ」

「それは狩猟用の服で……確かに汚れてもよいものではありますが……しかしですね……」

「分かってる。すぐに部屋に戻って、衣裳係のフォニアに選んでもらうわ。じゃあ、朝食楽しみにしてるわ、みなさん」


 足早に去っていったラシャンテを見送って、古参の二人は顔を見合わせた。


「まったく、どうしたことなのでしょう。この一週間、ラシャンテ様は人が変わられたようですわ」

「なに、いい変化じゃないか。殺伐剣呑とした王女様より、ああして家来のことを気にかけてくれる王女様の方が、俺はいいと思うね。大体、俺達一人一人の名前を呼ぶことなんて、今まであったかね」


 顎髭を大事そうに撫でながら、ヒネモスは言葉を継ぐ。


「妹君のリセノワール様が宮廷に入られた影響なんじゃないのか?」

「いえ、どうもその直前からのようなのです」


 ソワニエが首を振る。


「わたくしが聞き及んだところ、リセノワール様入廷のお召し物は当初、随分と質の悪い物だったようです。こう言ってはなんですが、ラシャンテ様であれば、そうするだろうとは思っていました。それに、王侯貴族の企てとしては優しいほどです。ところが、何を思うところがあったのか、直前になって殿下自らドレスを用意し直すように命じたとかで……」


 腕を組んで首を傾げるソワニエに、ヒネモスは鼻から大きく息を出す。


「一時の気の迷いか、はたまた……」


 ふたりはまた、顔を見合わせて首を傾げるのだった。




「お前さんの「奇行」があちこちで話題になっているようだぞ」


 朝食後、書庫で本を読み漁っているラシャンテの元にやってきたのはアランデュカスだった。

 数冊の本を選んでテーブルに座っていたラシャンテの目の前に座るなり、そう言った。

 嫌悪感を表情に出さないように、ラシャンテは精一杯笑顔をつくる。

 3年後、ギロチン台の綱を斬るのは、この婚約者なんだよな。

 そう思うと、整っているはずの顔も冷たく見え、まるで鋭い刃をずっと突き付けられているような気持ちになった。


「まぁ、これまでのことを考えると、色々言われても仕方ないかな、とは思ってるけど」


 ラシャンテは小さく息をついて言った。

 それを見て、アランデュカスが笑う。


「庭師ひとりひとりに声をかける、侍従にいちいち感謝する、剣術訓練を早々に切り上げる、さらには毎朝厨房へ行って手伝いまでしているというじゃないか」

「調理の手伝いはしてないわ」


 まだ、と心の中で付け加えて、ラシャンテは読みかけている本を閉じた。


「さらには毎日書庫に来て読書、読書か……稀代の女王になってみせると息巻いていた剛毅な第一王女殿下はどこへ行ってしまわれたのか」


 喫茶『シャングリラ』かな。

 いや、時間的には花高ハナコーで授業を受けてるかも。


「それで、何か話があって来たんじゃないの」


 ラシャンテが首を傾げると、アランデュカスは憮然とした。


「何かもなにも、例の妹君のことだ。下町育ちの妾腹庶民風情が宮廷に入り、あまつさえ王位継承権の第2位にあるのだぞ。どうにかして王宮から追放させなければならないと、あれほど話していたではないか」

「まぁ、話してはいたけど……実際会ってみたら、すごくいい子だし、そこまでしなくていいかな、って」


 リセの顔を思い浮かべる。

 ゲームでプレーしていた時は、主人公として操作しているからそこまで分からなかったが、本当に可憐で純朴な、かわいらしい女の子だった。

 生い立ちがどうであれ、彼女の輝くようなエメラルドの瞳に見つめられると老若男女を問わず虜になってしまうだろう。

 実際、今目の前にいる婚約者も、ルート次第ではそうなってしまうわけだし……


「案外、アランも心を奪われるかもしれないわよ」

「何を馬鹿げたことを。俺は君と婚約している身だぞ」

「それはそうなんだけど……」

「失礼します」


 書庫に入ってきたのは、ラシャンテよりも少し年上の若い黒髪の司書だった。

 優秀な司書官で、能力の高さを認められて筆頭を務めている。

 ゲームでは、ライブラリーやオプションの設定で顔を見せるだけの脇役なのだが、整った顔と存在感で人気があり、彼を攻略するルートが存在するという都市伝説があったほどだ。


「ラシャンテ殿下。ご要望のあった記録をまとめてまいりました」

「ありがとう、イルミナ。もっと時間がかかると思っていたけれど、やっぱりあなたは優秀ね」


 ラシャンテが笑って受け取ると、イルミナは顔を赤くして目を逸らした。


「い、いえ……司書官として当然のことをしたまでです。今後も、なんなりとお申し付けください」


 イルミナは深くお辞儀をして、奥の書架へと入っていった。


「それは?」

「城下町を含む、主要な街で営まれているお店や組合についてまとめてもらったものよ」

「商売でも始めるつもりなのか?」


 アランデュカスは鼻で笑ったが、ラシャンテは大真面目に頷いて応えた。


「なんなら、今日は昼前から城下の散策に行くつもりだったけど、一緒に行く?」

「城下に? まさか、庶民の空気など合わんよ。俺は俺としてやるべきことはあるしな」


 知ってる、とラシャンテは心の内で冷たい視線を送る。

 彼のやるべきこととは、自分の手の内にある者達をリセに近づけ、醜聞をでっちあげるという画策だ。

 本来なら、この書庫での会話がその共謀の現場になるはずだったのだが、相手であるラシャンテがその話題にしなかったので、これからどうなるかは分からないが……


「それじゃあ、私はそろそろ行くわ」

「おう。せいぜい、ドレスの汚れを増やさぬようにな」


 ラシャンテは、イルミナがつくってくれたレポートの束を大切に抱え、書庫を出た。

 これはあとで読んでみるとして、城下視察の準備をしなくては。

 ゲームでは、城下視察はリセが選択できる行動のひとつで、能力アップのイベントが発生したり、意中の相手とのフラグを立てたりと重要な要素になっていた。

 ラシャンテとしては、それと同じ効果を狙うのではなく、リセと接触する機会にしたい。

 仲良くなって命を拾うため、という現実的な理由もあるし、純粋に、彼女と関わりたい、という想いもある。

 そのためには、シャングリラ王国の第一王女としてではなく、一人の町娘として街中に出るのが理想的だ――


「――っていう話は、昨日の内にしてたと思うんだけど。フォニア、これは……?」

「ご用命のとおり、町娘に見えるお召し物を準備いたしました」

「ええ、確かに、質素な上下でいいと思うわ……宝石さえついていなければ、だけど」


 ラシャンテの言葉に、衣裳係のフォニアがきょとんとする。

 栗色の髪と、同じ色の大きな目が、もっと大きくなった。


「も、申し訳ありません。殿下のお好きなサファイアを選んでつけたのですが……今日のご気分は、ルビーでしたか。それとも、アメジスト。エメラルドは、リセノワール様の色だから避けなさいと先月おっしゃっていましたし……」


 別に用意された、たくさんのネックレス、イヤリング、指輪達も見て、ラシャンテは苦笑した。


「今まではそうだったかもしれないけど、今後はそうしなくていいわ。ドレスは必要最低限でいいし、街に出るときの服は二着もあれば十分。もちろん、質素にして、宝石なんてつけなくていいから」


 そこまで言って、ラシャンテはハッとしてフォニアを見た。

 表情が強張っている。

 いけない、とすぐに笑顔をつくる。


「でも、今までの私のワガママを把握してくれてありがとう、フォニア。これからもよろしくね」

「――は、はいっ! もったいないお言葉です……」


 目にいっぱいの涙を浮かべて、フォニアは深々と頭を下げた。

 安心の涙だろう。

 この反応を見ても、やはりこれまでのラシャンテが振りまいてきた『恐怖』は相当のものなのだと分かる。

 フォニアだけではない。

 宮廷内の、ほぼすべての人が、私――ラシャンテを見ると、表情を固くして、姿勢を正す。

 放蕩な第一王女の、気まぐれに変わる逆鱗を恐れて。

 元の世界のいじめっ子達の嫌な顔が脳裏をよぎった。

 私は、あんな風にはならない。

 ラシャンテの容姿になって、不思議と自信が漲ってきて堂々としていられるようになりはしたけれど、誰かを傷つけるような生き方は絶対にしない。


「手直しに、どれくらいかかりそう?」

「急ぎます。30分で、整えてみせます」


 わかった、と承諾してラシャンテはフォニアを退室させた。

 30分か。

 本を読むには短すぎるし……


 コン、コン、コン。


 ノックだ。


「えっと……どなた?」

「あ、あの……わた、わたくしです。リセノワールです」


 リセ?

 この時期にラシャンテの部屋を訪れるイベントなんて、あったっけ?


「どうぞ」


 重い扉を開いて姿を見せたのは、着慣れない草色のドレスに身を包んだ妖精のような乙女だった。

 う~ん、やっぱりリセってかわいい。

 おずおずと二歩、三歩と部屋に入ってきたリセは、入り口からすぐのところで足を止めた。

 お腹の前で手を重ねて、目上の人間と応対する姿勢をつくっている。


「リセ、もっと楽にしていいわよ。だって、一応、姉妹なんだし」


 ラシャンテが笑うと、リセはぎこちなく笑顔をつくった。

 緊張しているのだ。

 無理もない。

 宮廷内でも雷鳴を轟かせているラシャンテの名は、城下では大いに尾ひれがついて伝わっているのだから。

 設定資料集によれば、この段階で既に、ラシャンテは多頭龍を単身で打ち取れるほどの怪力と武術を身につけており、巨漢を指で弾くほどの怪物として認識されているはずだ。


「それで、どうしたの?」

「は、はい、あの……ラシャンテ第一王女殿下におきましては、本日もご機嫌麗しく……」


 しどろもどろになって口上を述べるリセに、ラシャンテは思わず噴き出してしまう。

 なんだか、てきぱき出来ない雰囲気が、元の世界の親友に似ている気がした。


「リセ、ここに座って」


 自室に置かれた丸テーブルの席に、リセを招く。

 驚きながらも、リセはしずしずと椅子に近づく。

 目上の人間より先に座ってはいけないというルールを思い出し、ラシャンテは腰を下ろし、リセに着席を促した。


「こうして腰を落ち着けて話すのは、実は初めてね」


 ラシャンテが笑い、言葉を継ぐ。


「ラシャンテ第一王女殿下なんて、かしこまった言い方、しなくていいわ。さっきも言ったけど、姉妹なんだし」


 それにファンだし、という言葉を呑み込む。


「そ、それなら、どのようにお呼びすれば」

「えっと……」


 言われてみると、どう呼ばれるのがいいだろうか。

 一人っ子だったしなぁ。

 急にこんなに可愛い妹が出来るなんて、考えもしなかった。


「お姉ちゃん、とか」

「オネエチャン……」


 リセの顔が真っ赤になる。

 正面のラシャンテ自身も、自分の顔が赤くなっているであろう熱を自覚していた。


「こ、公的な場ではお姉様、くらいの方がいいかもしれないわね」

「は、はい。そのようにします」


 互いに照れあって、一息ついて、ラシャンテがリセに言葉を紡ぐ。


「それで、なにを話しに来たの?」

「あの……ご存じの通り、今、わたくしは隣国の者と共に学業に励んでおります」

「『貴人と賢人の学び舎』ね。私も通ったわ」


 設定的にはね、と心の中で呟く。


「そこで、明日の授業で使うと言われた物がなんなのか分からず、誰に相談したらよいかと思い……」

「……え? それって、もしかして『泉の先』?」


 リセの顔がパッと明るくなる。


「そ、そうです! 何も言っていないのにお分かりになるなんて、さすがです!」


 ラシャンテは、義妹の可憐さを喜びながらも、内心では激しく動揺していた。

 違う。

 このイベント――『泉の先を探せ』は、本来、五人いる男性キャラの内の誰かに相談に行くというものだ。

 ゲーム開始初期に発生するイベントにも関わらず、真のエンディングを見れるかどうかの分岐になっているため、鬼畜イベントとしてユーザーの間では有名だった。


「えっと……『泉の先』は、実は、万年筆のことなの。コンコンと泉が湧き出るようにインクが出て物を書けるから、比喩としてそう言うのよ」

「そうだったんですか……見当もつかず、誰に相談していいかもわからず、途方にくれていたんです」


 安心して微笑むリセに、ラシャンテも笑顔で応える。

 しかし、頭の中は混乱していた。

 目当てのキャラクターとのフラグイベントなのに、なぜ、今、リセは自分ラシャンテとこの会話をしているんだろう。

 自分が知っている範囲だと、このあと、リセはエンディングのフラグとなる万年筆を、その相手から一時的に借りることになるのだが、まさか――


「それで、あ、あの……不躾なのですけれど」

「うん?」

「よろしければ、一本、お借りすることは出来ないでしょうか」


 ……え?

 違うのよ、リセ。

 あなたが借りる万年筆は、エンディングで結ばれる相手から借りるべきなの。

 そうしないと、スタッフロールのあとの新婚旅行のムービーが見れなくなっちゃうから。

 動揺しながらも、ラシャンテの口は自然に動いた。


「もちろん。たくさんあるから」


 私は何を言ってるんだ。

 これじゃ、まるで『ラシャンテルート』だ。

 そんなの『プリレボ』には存在しなかった。

 口走ってしまったラシャンテだったが、体は続けて不思議な力で動かされるように、典雅な所作で引き出しから一本の翡翠の万年筆と、エメラルドで装飾されたインク壺を取り出していた。


「これ、あげるわ。リセの瞳の色と一緒だから、私が持っているよりいいと思うから」


 テーブルに置かれた1セットを、リセは食い入るように見つめ、触れれば壊れてしまうかのようにそっと指先で撫でた。


「……一生の宝物にします。絶対に、今日のことを忘れません」


 ああ、そう、そのセリフ。

 エンディングで、意中の相手から指輪を贈られた時のセリフと重なるのよね。

 それがまた、いいんだよなぁ――って、リセとラシャンテの一枚絵なんてないはずなのに。


「ありがとうございます、ラシャンテ第一王女殿下」

「あ、違う、違う。今、ここには私達しかいないんだから」


 懸命に気を取り直して、ラシャンテが笑う。

 リセも、パッと気付いた表情になる。


「ありがとう……お、お姉、ちゃん」


 カッと顔を赤くするリセを見て、ラシャンテも顔が熱くなるのを感じた。

 顔をパタパタ仰いで、ラシャンテが言葉を紡ぐ。


「そういえば、リセ。今日はこの後、予定はあるの?」

「予定……ですか? いえ、宿題をやらなければいけないくらいです」


 それを聞いて、ラシャンテは微笑んだ。


「それなら、私と一緒に出掛けない? リセの方が街には詳しいから、私を案内してほしいの」


 リセは驚きながらも快諾した。

 こうして二人は、宮中の、いや、都中の者すべてを驚かせることになる半日をスタートさせた。

 その夜、ラシャンテは、まだ書き始められて数ページの日記に、続きを書いた。


――――――


 長い一日だった。

 でも、充実した一日だった。


 それに、希望が見えた気がした。


 本来、『プリレボ』にはラシャンテとリセが仲良くなるシナリオなんて無かった。

 だから、今日という日は、用意されたシナリオから完全に逸脱していたということになる。

 既存のシナリオでは、ラシャンテは必ず死ぬことになっていたけれど、そうじゃない未来の可能性があるということなのではないだろうか。

 リセとラシャンテが結ばれるっていうのが、どういう風になっていくのか分からなくて、ちょっと怖い気もするけど……生きていく希望は見えたと思う。


 お父さん、お母さん。

 たくさん心配かけて、ごめんね。

 『私』はどうなったのかな。

 元気にしてくれていて欲しいな。

 ううん。

 きっと、そうなってる。

 この奇跡は双方向に起きたって、信じよう。


 今度こそ人生を大切にしたい。

 悲しい終わり方をしたくない。

 自分を諦めたくない。

 だから……

 私、生きるよ。



    ……おしまい。

 最後まで読んでいただきありがとうございました。


 「読みたいなァ」と思ってくださった方に届きますように。

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