9話
「何もいらぬのか……?」
玉座の間にて、国王は困惑していた。
国を救った英雄に何もお礼をしないというのは一国の王として礼儀に欠けるからだ。
「はい、私はただの通りすがりの冒険者ですし、わたしも助けられてしまいましたから」
本当は専守防衛を貫いてもらった方が事はうまく進むはずだったが、予期せぬ援護によりそれ以上のものをリリーは既に貰っていた。
冒険者ギルド内でのリリーの実力を評価するものは多く、その力の凄まじさに畏怖するものもいた。
彼女であれば不足はないであろうという理由で窮地に陥ったとしても加勢されることはなかった。
孤独に闘いを続けていた彼女にとって、自分を助けに来てくれるという経験は何にも代えがたいものであったのだ。
「いや、だが、しかし」
「……でしたら、息子さんにお礼を差し上げたらいかがでしょう?」
「アレクにか……? ……あぁ、そうか、そういうことだったのか……」
何故、ここでアレクが出てくるのかと国王は訝しんだが、察した。
通りすがりの冒険者というのは方便であり、リリーを派遣したのはイスラフィル王国に留学中の息子によるものであったということを。
「それでは、私はこの辺で失礼します」と言ってリリーは玉座の間を後にした。
〇
黒い塵が辺りに散らばったままの北門から出立しようとしていた。
「クレスさんの容体は……?」
国王からの指示で見送りに来たヘーラに尋ねた。
「大丈夫です。体だけは頑丈なのでうちの兄上は」
「あぁ……良かったです。安心しました」
リリーがギガースゾンビを撃破した時、クレスの方を見やると横になって眠っていたため一瞬、死んでしまったのかと思い慌てたのだ。
程なくして、ヘーラが兵士を引き連れてやってくるや否や兵士の一人が「団長……! 死ぬのが早すぎますよ!」と泣き付くと「肉がー。肉が逃げていくー」という意味不明な寝言が聞こえてきたため、ただ寝ているだけと判明し事なきを得た。
「そういえばリリーさん、ご家族は?」
「……わたしは家族には長らく会っていないので」
伏し目がちのリリーから空気を察して「なるほど……」とだけ言ってこれ以上は踏み込まないようにした。
少しばかり気まずくなってしまった空気を立て直すべく、ヘーラは別の話題を持ち出した。
「それにしても、もう行ってしまわれるのですか? 陽が落ち――――」
ヘーラはそこまで言いかけて気付いた。
陽が落ちるという表現を使ったのは久しぶりであったことを。
この日を取り戻してくれた張本人であるリリーは突如、言葉を失ったヘーラを心配して声を掛ける。
「どうしました?」
「いえ、この国で陽が落ちるのを見るのは久しぶりだなと思いましてね。……この日は貴方が取り戻してくれた私達の日常です。せめて、明日までゆっくりされていっては……?」
リリーはしばらく考えた後、おもむろに口を開いた。
「ご厚意に甘えたいところなのですが、私にはやるべきことがまだ残っていますので」
「やるべきこと……ですか?」
「大したことではないですよ」
リリーは黒い塵の残る地面を見つめながら答えた。
「英雄はすぐに去るものだと聞きます。100年前にイスラフィル王国とアズラエル帝国の戦争を終結させた英雄も人知れずいなくなっていたそうですから」
大陸の二大国家、イスラフィル王国とアズラエル帝国。
両者は長らく戦争を行っており、その飛び火がエルピス小国にまで及ぶこともあったが、全ては過去の話であり、国交は正常化している。
「わたしは英雄なんかではないですよ。ではこれで、また何かあったらお邪魔するかもしれないです」
「はい! リリーさんでしたら、いつでも大歓迎です。あ、そういえば――――」
ヘーラは突如何かを思い出したかのように空を眺め、リリーに視線を戻す。
「リリーさんは、アンデッド討伐を中心に依頼を受けておられるのですよね?」
「はい、そうですが……」
「でしたら、一つ、妙な話がありまして、あれは2週間ほど前のことなのですが王都上空に屍竜と思しき――――あ、あれですよ!!」
指さす先には翼のボロボロになった屍竜が北上していくのが見える。
今でこそくすんだ色合いをしているが、屍竜と化す前は美しい白竜であったのだろうと推測は出来る。
だが、リリーはその正体は竜ではないと知っていた。
「嘘、どうして――――」
リリーはたった今この目で見たものが信じられないあまりに言葉が漏れてしまっていた。
驚きを隠しきれておらず、そんなはずがないと思いつつも屍竜の飛ぶ方角へと駆け出していた。
その唐突振りに「あ、ちょっと、リリーさん!」とヘーラが呼び止めるもその声はもう聞こえてはいない。
「おかしい……。確かに、確かにあの時――――」
あの屍竜との戦いは計2回である。
1回目、1年ほど前に再会した時、大型アンデッドを構成する核、通称『屍核』を破壊出来なかったため倒すことは出来なかった。
そして2回目、半年ほど前、核まで破壊出来る力でそれをようやく打ち倒した。
だからこそあの雨の日は本当の別れになると思っていたのだ。
だが、それは最後などではなかった。
北の空へ向かって飛び続ける屍竜がそれを証明している。
追いかけるが、どんどん距離を離される。
「ごめんなさい、お父さん。わたし、また、殺し損ねた……!」
彼女が冒険者になった経緯、その内の1つは屍竜と化した父を殺すためである。