89話
「アスモデウスの施した<神化の光>は特殊な魔力を発しているが故に、場所の特定そのものは比較的容易なのです。母親と妹さんについては、詳細は掴めていませんが、貴方の父親の居場所は、光届かぬ深淵――――エルピス鉱山の最深部にいると思われます」
王都へ戻る途中、廃校となったエルピス鉱山を通ってきた。
まさか、そのずっと地下に父がいたとは思いもしなかった。
「エルピス鉱山の最深部に……ですか? では、今までに私が倒してきたのは――――」
「……おそらく、それは幻影ですよ、リリー」
「……え?」
その一言にリリーは困惑する。
屍竜と化した父とは今までに三回対峙している。
そのうちの二回は自らの手で倒し、最後の一回はエルピス国での一件があった後に上空を滑空している姿を見ていた。
それでは、今までに出会ったあれらは一体、何だったのだろうか。
「貴方が今までに倒してきた屍竜は貴方の父であって父ではない。<神化の光>と彼の強い意志がぶつかりあって生み出された影のようなものです。貴方の父親は一歩もあの深淵から抜け出してはいないのです。……故に、貴方は一度も、自身の父を自らの手で傷付けてはいない。そして、今も貴方の父親はあの光に抗っている。さぁ、準備を整えて救助に向かいなさい。今なら、まだ間に合う」
ライゼンの言葉は、リリーの胸に今でも燻り続ける罪の意識を拭い去るには十分であった。
彼女が刃を振るってきたものは、父そのものではなく、ただの影にすぎなかったのだ。
あの戦いの数々は、決して父を傷つけた行為ではなかった。
リリーは、手を汚してはいなかった。
そして、今、その手は父を救うためにまっすぐ伸ばされている。
「はい……!」
目に涙を浮かべながらリリーは力強く返事をした。
バリンッ
突如、頭上から巨大なガラスが割れたかのような轟音が鳴り響く。
「……空間の崩壊が始まったわね! そろそろ、撤収するわよ!」
「ほいほい! って、そうだ、カインも連れて帰らねぇと!」
ワイトが周囲を見回すと、彼を背負うメリアの姿があった。
「心配ありませんわ……こんなところからは早くお暇しますわよ」
一行はライゼンが使用したポータルのすぐ近くまで走っていく。
「……ちょっとだけ待ってね」
ティターニアは集中するかのように瞳を閉じて、ポータルの前で手をかざしている。
「よしっ! 問題なし! 順次飛び込んで問題ないわ!」
「なるほど、変なところに繋がってないか確認してたわけだな」
ワイトが腕を組み、どこか感心したようにうなずく。
「そういうことっ! 最後の最後でなにかあったら嫌でしょ?」
「『勝って兜の緒を締めよ』ということですわね」
「それじゃ、先陣は私とメリアちゃんということでー」
そう言うと、ティターニアと背中にカインを背負ったメリアの二人は後ろがつっかえないように急いでポータルの中を潜った。
「はいはい、レディーファーストレディーファーストって、リリーさんや……何をしておられる」
ワイトの問いかけに対し、周囲をぐるぐると見回すリリー。
「いや、師匠が――――」
そう言うと、不自然に自分たちと数メートルほど距離を開けたライゼンに視線が移った。
リリーの目が大きく見開かれる。
その背後からは巨大な黒い何かが見え隠れしていたからだ。
それは生き物であるかさえ怪しい。
強烈な悪意の塊のようなものであった。
ライゼンは微笑を崩さずに言った。
「……見ての通り、わたしはもう少しだけ、やることがありますので、貴方達はお先に」
そのナニカが声にならない叫びをあげる。
「ヴォおおおお……!!!!!」
「そんなことって――――」
「いくらなんでも……しぶとすぎねぇか!? 塵になってたはずなんだが……!?」
空間内の揺れが激しくなり、上から空間の残骸のようなものが次から次へと落下してくる。
リリーはライゼンの救援に向かおうとするが、それを制止するかのようにワイトが腕を掴んだ。
「もう時間がねぇ!!」
「でも、でも!!」
「俺もあいつのことはよく知ってるし、お前だってその強さは分かっているはずだ! きっと戻って来る! それに今、向かったところで力も消耗しきった今ではただの足手まといになりかねないだろ? だから、ここは大人しくポータルに入って皆のいる酒場に戻るんだ、いいな?」
「……確かに、ワイトの言うとおりです……」
納得はしているものの、どこか心残りを滲ませた表情のままポータルへと入っていった。
ワイトはその姿を見送った後、ライゼンに視線を向けて、急いで駆け寄った。
「加勢するぜ」
「私一人で問題ないと分かっていると思ったのですが?」
「いや、リリーがな……」
「ふふっ、相変わらずのシスコンですね」
「リリーは妹じゃねぇよ……あいつによく似た別人だ。……てか、シスター狂いにそんなこと言われたくねぇ」
「ぐヴぉお……」
ライゼンは、目の前で膨張を続ける黒く禍々しいモノを前にしながらも、微塵の動揺も見せることなく、淡々とした口調で言葉を紡いだ。
「先ほど燃やしたアレはアスモデウスの分身体でした……それも自爆だけでなく殺した者を呪殺する性質を有しているとはね。……またしてもしてやられるとは……これではリリーに顔向けが出来ませんね」
「分身ってこところが非常に残念なんだが、性質の部分はどうにもでもなるだろ?」
「えぇ、その通りです。ただ、今回は強火でただ灼くのではなく、弱火でじっくりコトコト処理しなければいけないのが難点ですかね」
「何を料理みたいに言ってるんだ」
「同じようなものですよ。元来、この黒い炎は破壊を齎すものなのですから」
「そうかい。それじゃあ、まあ、なんだ、百年振りの共闘と洒落込みますか」
「えぇ、望むところです」
黒く禍々しい何かが蠢くその前で、ワイトは静かに細身の剣を抜き放ち、ライゼンは、黒き炎をその身に纏った。
その後、二人が皆が待つ酒場のポータルから姿を現すことはなかった。




