80話
「私はツムギと言います。実のところ、今の貴方なら一人でも問題ないとは思うのですが、罪滅ぼしと思って力の使い方についてもレクチャーして差し上げましょう」
「お手柔らかにお願いします」
「では、結界を解除しますよ」
「まさか、実践形式で教えるつもりですか……?」
「それは勿論。座学なんて必要ありません。実践で学んだほうが上達も早いでしょうし、早く元の世界に戻れますよ」
「それもそうですね……」
「では、行きますよ」
その瞬間、周囲の結界が解除され、黒いモヤが二人に向かって一気になだれ込む。
その過程で黒いモヤはアンデッドモンスターの形へと変貌していく。
その数はゾンビやスケルトンなどの下級モンスターから、レイスやリッチなどの中級モンスター、巨大な体躯が特徴の屍巨人の姿もあった。
まさに、死の軍勢。
その光景は世界の終わりかのような様相を見せている。
しかし、その中心にいる二人に絶望の表情は微塵もない。
互いに背中を預け、赤い輝きを迸らせる。
迫りくる死の軍勢を見てふと、ツムギは自身の認識を改めた。
「んー……やっぱり、ちょっと多いですね」
「だから、言ったじゃないですか……」と少し呆れた口調でリリーは言う。
「まあ、でも良いじゃないですか。だって、多い分、練習が出来るでしょう?」
「それは確かに……」
リリーの返しを最後に会話は終わった。
すぐ目の前にまで複数のアンデッドの波が迫っているからだ。
程なくして、ツムギに襲いかからんと複数のアンデッドが飛びかかったその瞬間、人差し指で空を切るような素振りをするとそこから赤い刃が形成され射出される。
その刃は周囲一帯のアンデッドの胴体を次から次へと切断していき、切られたところから瞬く間に黒い塵へと変わっていく。
周囲に若干のスペースが生まれたため、リリーの方を見やる。
そこには猛り狂う真っ赤な炎がアンデッドを次から次へと飲み込んでいるのが見えた。
その炎はリリーの動きに呼応しているとはいえ、その戦い方のあまりの激しさに、半ば放心状態に陥るツムギ。
ラーヴァテインの黒い炎を媒介にして真なる赤い聖域の力が顕現したため、その性質は炎となるとツムギは予測出来ていた。
だが、これは少し、荒々しすぎるのではないか……?
それに、ここまで暴れられるととてもじゃないがレクチャーどころではない。
一抹の不安を覚えるが、まあ、大丈夫でしょうと自分自身を落ち着けて、再び、戦いへと舞い戻った。
程なくして、リリーの心を蝕まんとしていた悪意の全てを殲滅。
気持ちの良い風が吹いている。
「こんなにも呆気なく終わってしまうなんて……教えを請う時間が……」
「あれだけやれれば十分だと思います」
「倒すべき存在を打倒した。だから、わたしは戻らなければならない」
「分かっていますよ。ただ、その前に話しておかなければならないことがあります」
ツムギは静かな口調で、ワイトが人としての姿を取り戻す鍵を伝えて、険しい表情でアスモデウスへの伝言を託した。
「分かりましたけど……覚えていられるかどうか……」
「その点はここは貴方の心の中なのですから、きっと、刻み込まれているはずですよ」
「そういえば、そうでしたね……ここはわたしの心のなかでした……」
「それじゃあ、そろそろ元の世界に戻る時間です」
ツムギがそう言うと、リリーの身体が足元から光の粒子に分解されていく。
「身体が……」
「餞別と言ってはなんですが、わたしの着ているこのドレスを貴方に。元の世界に戻った時、貴方はこの赤いドレスを身に纏って新しく世界に降り立つのです。あ、このドレスはマナで編まれているものなので、解除したければ、服を脱ぐイメージをすれば脱ぐことが可能です。勿論、脱いだら全裸というわけではなく、直前の服装に戻るだけなのでご安心を」
「ありがとうございます! でも、ツムギさんは……これからどうするのですか?」
「……わたしは少し疲れたので眠りにつきます。自分のなかにもう一人いるのっておかしくないですか?」
「全然おかしくありません! ツムギさんは今までずっとわたしの心を護ってくれていたんですから!! これからもいてほしいぐらいです――――また、会えますよね……?」
「えぇ、すぐに会えるわけではないと思いますが、きっと会えますとも。それから、私のお……いえ、ワイトのこともよろしくお願いします。昔から無茶のことばかりする人でしたから」
「あの、ワイトとはどういうご関係なのですか……?」
消え入る直前、ツムギは言った。
「……彼は私の兄でした」
ツムギの言葉を最後にリリーの身体は消失した。
――――身体が重い……。
そう感じたのも束の間、視界が瞬時に切り替わる。
視界に赤黒いものが多く点在しており、明瞭ではない。
だが、メリア、ワイト、ティターニアの三人を自らの手が叩き潰そうとしている光景は分かった。
何が何だか分からない状況であるが、急速に手を止めた。
自らの腕には白い鱗がビッシリと生え揃っており、これが人の身体ではないとすぐに分かった。
同時に、人の身体もしっかりと存在している事も感覚的に分かっていた。
どうにかして、蛹から羽化しようとする蝶のようにこの身体から抜け出さないといけない。
そして、考えている時間はない。
故に、手っ取り早い方法を思いつく、おもむろに腕を持ち上げ、顔面を殴りつけた。
風のようなものを感じた。
それは暖かな風だ。
だが、ここから抜け出すにはもう一押し。
そして、自分にはその力がある……。
揺るぎない想いとそれを成すだけの覚悟を胸に宿す。
言葉を出さずとも、真なる赤い聖域の力が全身を満たしていく。




