8話
――――遡ること数分前――――
無数の光の矢が飛来している。
だが、屍巨人にとってそれは有効打などではなかった。
ちょっと鬱陶しいだけの攻撃であり、その程度のものであったのだ。
いつでも蹴散らすことは可能だったため、屍巨人はあえてそうはしなかった。
リリーを握り殺すことなど容易であるはずなのに握り潰さない匙加減を維持し続けていた。
その理由は一つ、英雄の到来を待っていた。
事実、クレスが窮地のリリーを救うべくやってきたわけだが、それを誰よりも待ち望んでいたのは屍巨人の方だ。
目の前で希望が打ち砕かれる様を見せつけたかったためであり、絶望を演出したかったからだ。
そして、クレスは叩き落とされ背後からの急襲をもろに受けて地面を転がりまわることになる、
屍巨人はこの有り様を見て嘲笑う。
「ヨワイ、ヨワスギルナァ」
それに真っ向から反発するように血で真っ赤になった口を開いたのはリリーだ。
「彼は強い。強大な相手を前に怯まない胆力を持ち合わせているのは強者の証よ」
「ソノ ザレゴトヲ イツマデ イエルカナァ?」
口端を吊り上げさせながら、屍巨人は足を上げ、何かを潰そうとする素振りを見せた。
「アノオトコモ コレデ オシマイダ」
リリーはまずい状況であると内心焦っていた。
当初の予定では、両腕で自身を握るように仕向ける予定だったが、事情が変わった。
腕がもう2本増えたのは完全に想定外であったが、大したことではない。
一番の番狂わせは予期せぬ助っ人だ。
このままではあの騎士団長が犠牲になってしまう。
それは絶対に避けなければいけない。
リリーは目の前で歪に笑う屍巨人を尻目に詠唱を始めた。
「我が拳……我が躰……業火と化せ……『ラーヴァテイン』」
直後、リリーの胸部から黒い炎が噴出し全身を覆った。
屍巨人は自身の腕を駆け上る黒炎から逃れようと慌てて手を離そうとするが、バランスを崩してものの見事に転倒。
大きな揺れが響き渡る。
直後、リリーは軽やかに着地し、満身創痍のクレイの前に立ち、言ったのだ。
「専守防衛とお願いしたはずなのですが、お気持ちは嬉しいです……」
「ハッハッハ!! お前、やっぱりすげぇや!!」
少年のような眼差しでリリーを見るクレイはその場で座り込んだかと思うとあぐらを組んだ。
「悪いが、情けないことに俺はもうダメみたいでね……。嬢ちゃんの全力を見せてくれ!」
「……無茶しすぎです。ですが、期待には応えてみせましょう」
二人が軽快に話す中、苦悶の声を漏らすのは屍巨人だ。
黒い炎は屍巨人の上半身で燃え盛っている。
早々に手を離したのが功を奏したのか、下半身にまで黒炎は行き渡ってはいない。
「やはり1本だけでは燃え切りませんか」
「ヴヴ……オヴォォ……グオオオオオオオ……」
リリーは自身も同様に黒炎に包まれているが、その立ち振る舞いはいたって涼し気だ。
「なんだか辛そうですね」
「オノ……オノ……、オノレエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ」
屍巨人は体勢を立て直すと片膝立ちになり自身の何十倍も小さなソレを睨んで怒りを募らせる。
4本の拳を一つに合わせ、眼下にいるソレに向かって繰り出すのは渾身の叩きつけだ。
この憤怒の一撃が迫る中、リリーは一切避けようとする素振りを見せない。
真っ向から撃破するつもりであった。
「"いいかい、リリー。目の前に倒すべき敵が現れた時は――――"」
師の言葉がフラッシュバックする。
「ええ、分かっていますよ。師匠」
それは彼女が一番最初に師から教わったことだ。
「"瞳は敵を真っ直ぐに捉え、足は肩幅に開き、拳は前に構えるのです――――"」
師匠の言葉の通りに体勢を整えていく。
怒りをそのままにして振り下ろされるアームハンマー。
その陰にすっぽりとリリーの全身が収まった。
「"ここまで出来たら残すは1つのみ、拳を思いっきり引いて――――"」
全身に纏っていた黒い炎が右腕に集束し、瞳の色が黒から朱へ切り替わる。
「"神のご加護の下――――"」
足元に展開されるは赤い輝きの大魔法陣。
次の瞬間、"赤い聖域"の渾身の拳が炸裂した。
「全力でぶっ飛ばす!」
その様相は少女の形を模した黒い焔であり、巨人を食らう黒炎であった。
リリーの小さな拳は自身の何十倍もある屍巨人の計4本の腕を粉砕しただけに留まらず上半身の大部分に風穴を開ける。
風穴の先では太陽が燦々と輝いていた。
「ハハハ、分かってはいたがとんでもねぇ、な――――」
事の終わりを見届け、安堵したためか。
クレスは横になり、そのまま静かに瞳を閉じた。
一方、致命的なダメージを負った屍巨人に最早、消滅以外の選択肢はなかった。
「オノ、レ……オ、ノレ……」
なおも怨嗟の声をまき散らしながら巨人の骸は黒い塵となって消滅した。
一瞬の静寂の後に、城壁の方でドッと歓声が沸いたのは言うまでもない。