79話
酒場内では、アレクがポータルの維持を続けていた。
ワイトがアスモデウスの手によって弾き出された後、ポータルの再構築を行い、送り出してから5時間が経過している。
「リリーさん達は大丈夫でしょうか」
「そう心配せずとも坊ちゃんの信じた方達ならば必ずや事を成し遂げて戻ってくるでしょう」
「爺やの言う通りだね……。彼らが戻ってくることを信じてポータルの維持を続けないと」
「坊ちゃん……何者かが店の前におります……。敵意は感じられませぬが……」
そう言いつつ、初老のウエイターがクレイモアを構える。
鎧こそ身に着けてはいないが、その姿はさながら剣士のようにも見える。
厳重に警戒しながらおもむろに入り口の扉へと近寄っていく。
「今、酒場は閉店の看板を出しているはずだから、字が読めない酔っ払いが突っ立っているだけか、それとも、僕たちに用があるのか。何にせよ。爺や、気をつけて」
「はい、坊ちゃん」
警戒したまま返事をし、扉の前に立った。
すると、扉の向こう側から声が聞こえた。
「こんな夜分遅くに申し訳ないのですが、ここを開けてもらえないでしょうか」
声だけを聞くなら誠実そうな男だ。
危害を加えようとしているのなら、扉の前に立った時点で何らかの攻撃を行なってくるはず。
ウエイターとアレクが顔を見合わせる。
アレクが首を軽く縦に振ると、それを開けても良いという返事として受け取り、後ろ手にクレイモアを隠しながらドアノブを回す。
「すみません、酒場はもう閉めておりまして……」
目の前にいた男は牧師のような黒い服装をした男だった。
身長は185cmほどであり、痩せ型。
髪は黒髪で、年齢は20代後半だろうか。
教会の関係者だろうかとも思ったが、普通、酒場に来るだろうか……?
「いえ、酒場に用はなくてですね。私は下戸なのでお酒は飲めないのですよ。いやいや、そんなことはどうでもよくて、ただ――――燃えるような赤髪をしたシスター服の少女に心当たりはありませんか?」
◯
赤い炎と黒い炎が衝突した余波は凄まじく、天を覆っていた暗雲を消し飛ばしてしまった。
晴れやかな空の下で、赤いドレスの女は気持ちよさげに両腕を伸ばしている。
「ふぅー……合格です。極めて良い一撃でした、どうやら心配は無さそうです」
赤いドレスの女は偽の王都で見た時と同じような柔らかな印象に戻っていた。
先程、リリーを痛めつけていた張本人であるとは到底思えない。
「合格……?」
女の言葉の意味がよく分からず、頭の上にハテナが浮かぶ。
「その説明をする前に、傷を治さないと……かなり厳し目に行きましたので」
赤いドレスの女が手をかざすと、柔らかな赤い光が放出される。
すると、傷のみならず衣服も元に戻っていく。
「ありがとうございます……と一応、言っておきます」
リリーは礼だけを伝える。
だが、その瞳から警戒の色は消えていない。
その視線を受け、深々と頭を下げる女。
「……私は貴方に酷い行いをしました。憎んで当然だと思います。貴方から倍返しされたとしても文句は言えません。本当に申し訳ないです」
「頭を上げてください……あそこまでやらないといけない事情があったのですよね……?」
リリーに促され、頭を上げる女。
「……はい。私の権能である真なる赤い聖域の力を使うに足る器であるかを見極める必要があったのです。この力は強力なので生半可な覚悟では身を滅ぼすことはおろか、扱い方を間違えれば世界を滅ぼしかねません。ですが、貴方には何にも代え難き強い想いがあった。ラーヴァテインの黒い炎が命の輝きのような赤い炎に変わっていったのを見たでしょう? 真なる赤い聖域を扱うに足る覚悟を有していること。それが"合格"の意味です」
「……真なる赤い聖域の力ですか?」
「ええ、今までも想いが高まった時に赤い聖域の力の一部が漏れ出していることはありました。ですが、その力には制限がかかっていました。貴方の師の力であるラーヴァテインの力を取り入れ、貴方だけの赤い聖域の力が顕現したのです」
「一つだけ確認します。この力はわたしが願いを叶えるために役に立ってくれますか?」
「えぇ、きっと役に立ちます。貴方が願いを叶えられるかどうかまでは分かりませんが」
「だったら、大丈夫です。わたしは願いを叶えるつもりでいますから」
リリーの言葉に静かに頷いた後、女は周囲を覆っている黒いモヤを指さす。
「ただその前に、あれらをどうにかしなければいけません」
「どうにかするとは……?」
女はリリーの疑問に答える。
「今からやるべき事はいたってシンプルです。……私達をぐるりと囲むように存在している黒いモヤ。あれは貴方の心を蝕まんとする幾千もの悪意というのは説明しましたね? 結界を解除すると、アンデッドやモンスターなどの姿を取り、あなたの心を蝕もうとして、一斉になだれ込んでくることでしょう。なので、全て消し去る必要があります」
リリーは真顔のまま周囲一帯を見回す。
「かなり多いと思うのですが……?」
「真なる赤い聖域の力を以てすれば、あの程度の量は――――」
女の話に食い気味に被せるリリー。
「いいえ、いくら何でも多すぎます。わたし一人では、手に余りますし、一刻も早く皆の元に戻らないといけないのです。……流石に手伝ってもらえますよね? というか、手伝うべきです。わたしのことをボコボコにしたことを許したとは一言も言っていませんよ? 罪を贖う意識があるのであれば、協力すべきだと思うのですが?」
「それは確かに、一理どころか百里ありますね……。」
「では、この力の使い方のレクチャー、及び貴方のお名前を教えて下さい」
「私の名前ですか……?」と言い淀む女にリリーの視線が刺さる。
その視線からは黙秘権はありませんよという意思を感じる。




