77話
「……え?」
その瞬間、どこからともなく聞こえてくるのは誰のものかも分からない力強い言葉。
「思い出しなさい! リリー・スカーレット! 貴方の願いを! 貴方の想いを!」
「願い、想い……いや、それよりも、リリー・スカーレット……って――――」
その名前を赤い髪の少女は知っていた。
その名が、冒険者としての自身の名であり、本名はリリー・リードであり、家族と暮らす日常を取り戻したいという強い願いがあるということも一本の木が枝葉を広げていくかのように思い出していく。
その最中、謎の声はより鮮明に聞こえた。
不思議なことにその声は直接、頭の中に響くかのようであった。
「リリー・スカーレット! 貴方の願いは叶う! 必ず叶う! それは決して楽な道ではないでしょう!! けれど、貴方にはティターニアさん、ワイトさん、それからわたくしを含め、多くの人がいる! そう、貴方は決して一人なんかじゃない! 分かったのなら返事をしなさい!! リリー・スカーレットォォォォォォォォ!!!!!!!!!!」
強い思いを秘めた友の叫びに目頭が熱を帯びていく。
「あぁ……メリア――――」
その声は紛れもなく、メリアのものだ。
先程、出会ったメリアとはまた違うメリア。
いや、あのメリアは全くの別人であり、この声の主こそが本当のメリア――――
本当に不安だった。
自分はたった一人なんじゃないかなってすべては幻だったんじゃないかなって、そう思っていた。
けれど、わたしの知っているメリアは確かに存在している。
今は姿が見えなくて声しか届いていないし、こっちの声が届いているのか分からないけど、それがとてもとても嬉しくて、つい涙がこぼれ落ちた。
「聞こえてる……聞こえてるよ……メリア……!」
嗚咽を上げながら、次から次へと頬を伝って涙が流れ落ちていく。
しかし、泣いてばかりではいけないと、力強く涙を拭い去る。
リリーは赤いドレスの女の前に立って言い放った。
「貴方の言うとおり、ここが本当の世界ではないということは分かりました。……わたしは、皆の想いに応えるために戻らないといけない。わたしの直感ですが、貴方は知っているのでしょう? よく似て非なるこの世界からの抜け出し方を」
「貴方の仰るとおり知っていますよ、勿論。ですが……それを為すだけの覚悟はありますか?」
「覚悟がどうかなんてわたしにはよく分からない。だけど、わたしは何があっても戻る。戻って皆とまた笑い合いたい。そして、わたしの願いをもう一度しっかりと話したい」
「……分かりました。それでは、それが妄言ではないことを証明してみなさい――――」
先程までの柔らかな雰囲気が赤いドレスの女から消え失せたかと思うと、瞬間、場面が遷移する。
偽りの王都の風景が霞に消え、辺りに広がるは何もない荒野だった。
遠方は黒いモヤで囲まれており、何も見えない。
空には暗雲が垂れ込めており、雷が荒れ狂っている。
生命の息吹きを何も感じられない土地で、荒涼とした風が両者の間を吹き抜けていく。
「ここは……?」
「ここは貴方の心の世界……元々、あまり良いところではありませんでしたが、あの光によって、さらに荒廃してしまった。遠くにある黒いモヤが見えますか?」
遠くを見ると、女の言う通り黒いモヤのようなものが見える。
一部だけではなく、その黒いモヤは周囲一体を取り囲んでいた。
よく見ると、何らかの結界のようなものが構築されており、それがあるおかげであのモヤが入って来られていないように見える。
「見えますが、あれは……?」
「あの光によって生み出された貴方の心を蝕まんとする数多の悪意です。今は私の結界で防いでいますが、そう遅くない内に破られることになるでしょう」
「破られてしまったら――――」
「終わりです。貴方は貴方でなくなってしまう」
「わたしは今から、どうすれば……?」
「簡単なことです。あれらをどうにか出来るだけの力があることを証明すればいい。つまり、私を倒してみなさい――――」
そう言ったのも束の間、正面にいた女の足が動いたかと思いきや、そのまま腹部に蹴り込まれてしまう。
あまりの速さにリリーは反応出来ず、もろに受けてしまったが、それでも立ててはいた。
腹部に広がる鈍い痛みを堪えつつ、睨むような視線で女を見上げる。
「うぐっ……!」
「こんなものですか。やはり、あの偽りの世界に閉じ込めておく方が良かったでしょうか」
「……あの世界は、あなたが?」
「そうですよ……。貴方の記憶をベースにして作り上げた偽りの世界であり、結界が破られたとしてもあの黒いモヤから貴方を守るための絶対の檻です。あの世界であれば、苦しまず、幸せに生きることが出来ると思いますよ。その場合は今までの記憶を消去して、整合性を取るために新たに記憶を付け加え、あの世界で不自由なく生きられるようにしてあげます。ただ、元の世界にはもう二度と戻れませんけどね。今なら、まだあの世界に戻してあげることも可能ですが……どうしますか?」
女の提案を受けて、リリーは一度周りを見渡す。
あの黒いモヤが結界を破った時、自分は自分でなくなる。
それを防ぐには、女の提案を受け入れて偽の世界で一生暮らすか、自分であの黒いモヤを蹴散らすか。
前者の考えはない。
元の世界には帰らなければならない。
友の想いに応えなければいけない。
しかし、そうなると、自分であの黒いモヤを蹴散らさなければならない上、その前に目の前の女を倒さなければならない。
この人は確実に強い……。
さっきの身のこなしから分かった。
だが、絶望的というほどではない。
自分にはラーヴァテインがある。
ラーヴァテインによる自己強化を考慮すれば――――
その僅かな可能性に賭けて、リリーは目の前の女と戦うことを選び取った。
「たとえ、幸せに生きられたのだとしても、皆のいない世界に戻れないのなら、そんな幸せに価値はない……!」
「なるほど、分かりました。そういうことでしたら――――」
女はリリーの決意に顔色を一つも変えず、自身の胸に手を当てた。
その次の瞬間だ。
リリーの予想の範疇を容易に超える出来事が起こる。
女の胸部から黒い炎が吹き出し、その炎を身に纏った。
あの炎をリリーはよく知っている。
それはラーヴァテインだったからだ。
「――――私を倒すことですね」
その言葉を皮切りに女が攻撃を仕掛けてくる。
先程はあまりにも唐突だったから、不覚を取ってしまった。
けれど、今は――――
そう思って、自身も黒い炎を纏って対抗しようとするが、何故か、出てこなかった。
いつもと同じ手順であるにも関わらず、一切出てくる気配がない。
「え……どうして」
極度の焦りと緊張によって、目の前の女を視覚から外してしまう。
その致命的なミスに気付く間もなく、耳元で女の声が聞こえた。
「……貴方のラーヴァテインは使えませんよ。それから、敵を視線から外すなと貴方の師から教わりませんでしたか?」




