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76話

 とあるアパルトメントの一室。

カーテンの隙間から漏れた光が赤い髪の少女の寝顔に降りかかる。

その強い光による眩しさのためか、少女は目覚めて、身体を起こす。


「うう、ここは……」


 紛れもなく自身の部屋だった。

けれども、違和感がある。

こんなことをしている場合ではないような……そもそも、家で寝ているのはおかしいような……。

頭の中でいくつもの疑問が沸き起こるが、具体的に何がおかしいのかまでは分からない。

寝起きのためなのか、いまいちはっきりせず、頭がボーっとしている。


とりあえず、顔を洗おうと洗面台に行き、それからクローゼットに収納してあるシスター服を着ると、外へと出かけて行った。



 外は雲一つない快晴だった。

その途中、金髪の少女の姿を見かけ、声をかける。


「こんにちわ! ■■■さん」


 声をかけられた金髪の少女は眉をひそめて困惑していた。

それはまるで、知らない人から声をかけられたかのような反応だった。

そんなわけがないと思った。

彼女の名は■■■・■■・■■■■■■。

はっきり覚えている。


だが、次に金髪の少女が発した言葉によって赤い髪の少女は現実を突きつけられることになる。


「どちらさまでしょうか……?」


「え……いや、冗談ですよね? わたしですよ、……あれ?」


 赤い髪の少女はこの時初めて自身の名前が分からなくなっていることに気付いた。

自分の知り合いだと発言する見知らぬ少女の不可解な反応に、怪訝な表情を隠せない金髪の少女。

少し刺々しい口調で言い放つ。


「どこかでお会いしましたでしょうか?」

「あ、いや、何でもないです……。ただの人違いだったみたいです……」

「そうですか。それでは」


 そう言い残して、金髪の少女は赤い髪の少女を置いて、その場を後にした。

整った顔立ちに艶やかな金髪。

それは紛れもなく、■■■なのだが――――

ただ、赤い髪の少女は逃げるように去っていくその背中を見つめることしかできなかった。


 不可解なことはなおも続いた。

門番の女兵士、お忍びで滞在している王子、冒険者ギルドの受付嬢、精霊の女王。

それから、■■■と名乗る甲冑姿に身を隠した見た目がアンデッドの男――――彼なら、彼なら自分のことをきっと知ってくれているはずという切望とも言うべき希望を抱いたまま王都中を探し歩いたが、見つかることはなかった。


 時間も忘れて探し回っていた結果か、いつの間にか、西の空が赤く色ずんでいる。

全てが徒労に終わった。


結局、自分が知っている人は誰も自身を知らなかった。

それは一人、また一人と自分の元を去っていくかのような気分。

まるで、世界から忘れ去られていくかのような気持ちだった。


 深い悲しみに駆られるがままに歩いていると、噴水広場に辿り着いた。

そこには誰もおらず、吹き出す水音が虚しく辺りに響いている。

おもむろに噴水の前に立つ。

水面に映る自分の顔は波紋でよく見えなかった。


「どうして誰もわたしを覚えていないのだろう……。もしかして、今までのことは全部、幻で、彼らはわたしが勝手に知り合いであると思い込んでいただけ……。あの世界が幻で、この世界が真実? そもそも、わたしは……誰?」


自身の記憶の中には確かに彼らと交流をした記憶が残っている。

だが、現実には彼らは自身のことを知らなかった。

おまけに、自身の名前すら分からない始末。


 自分は果たして何者なのか。

水面に映る波紋のように、自分というものがぐにゃりと曲がり変質し、維持が出来ない気持ちになっていた。


 その時、その水面に一人の影が入ってきた。


「ひどい顔色ですよ。大丈夫ですか?」


 その声に顔を向けると、そこには、心配そうに眉を寄せる赤いドレスを着た女がいた。

飾り気のない素朴な色味のドレス。

女の髪は自身と同じ赤色であり、瞳には燃えるような赤い瞳を宿している。


 赤い髪の少女からポロリと大きな涙がひとつこぼれ落ちた。

誰も自分を知らない世界で唯一、自身の存在を認知してくれたからだ。


その様子から察して、全てを包み込むような柔らかな表情で赤いドレスの女は言った。


「お話を聞かせてもらってもいいですか……?」


 女は近くのベンチを指さす。


「はい……」とうなだれるように頷いた。



 赤いドレスの女は、ぽつりぽつりと話す少女の話を時折、頷きながら、隣で静かに聞いていた。


「――――信じてもらえるか分かりませんが、わたしのことを覚えている人が誰もいなくて、それに自分の名前すらももう分からなくて……わたしは一体、どうなってしまったのでしょうか……」


 赤い髪の少女は救いを求める子羊のような目を向ける。

その視線を一身に受けながら、赤いドレスの女は静かに口を開いた。


「それはまたおかしな話です。ですが、その話を信じるとするなら、やはり、彼らは本当に貴方のことを知らないのでしょう。そして、貴方は記憶喪失になっています。貴方が有しているという彼らの記憶は造られたものではなく、本物だと言えますか?」


「それは――――」


 赤い髪の少女は言い淀んだ。

記憶喪失になっていることは間違いない。

現に自分の名前を思い出せないのだから。


 自分の記憶すらも曖昧なのだから、他者との関係の記憶も曖昧になっていてもおかしくはない。

日常ですれ違う人から勝手に物語を作ってそれを記憶として保存していることがあってもおかしくはない。


お忍びで訪れていた王子も、妖精の女王も、何故か見た目がスケルトンの男も冷静に考えてみれば、そんな面々と自分が良好な関係を築けているとは思えない。


もしかすると、本当にそうなのかもしれない。


 だけど、一つだけ確実に言えることがある。

 初めて屍竜()を殺したあの日。

雨が降っていたあの日。

メリアの出してくれたココアはとても、とても……暖かった。


「わたしの持っている記憶が全部が全部、本物かどうか分かりません……はっきり言って自信がありません……。でも、わたしには、ひとつだけ本物だと言える記憶があるんです。その記憶は絶対なんです……! 心が覚えているんです……! あの暖かさを覚えているんです……!」


 赤い髪の少女は強い意思のままにそう言ってのけた。

不安は確かに存在する。

けれど、それよりも、在りし日の感情が勝っていた。


 赤いドレスの女は軽く息を吸うとその言葉に返答する。


「一つでも本物だと思える記憶があるのなら、貴方の記憶はきっと本物なのでしょう。だけど、彼女は貴方を知らない。……そうなると話は一つに収束します」


 赤いドレスの女が空を仰いでその後に続けた一言。

それは、あまりにも奇妙な一言だった。


「――――この世界そのものが誤っている」

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