75話
「メリア、もっとだ!! 言葉を続けろ! リリーの心はまだ死んではいねぇ!!」
「そうよ!! メリアちゃん!! 言葉を続けて!! 私もリリーちゃんの心に届くように援護するから」
ワイトが攻撃を防いでいる傍ら、ティターニアがメリアの肩にそっと手を置いた。
「これは――――」
不思議な力の高まりを感じた。
今なら、リリーの心に向かって、もっと強い想いを届けられるような気がした。
◯
この一連の流れを上空から傍観するアスモデウスは心底、見下すかのような視線で眺めている。
「これはひどい。三流の見世物だ。あの赤い聖域の心はとうに食い尽くされたというのに」
リリーに浴びせた光であり、彼女の日常を奪い去った光――――<神化の光>は人間の心を糧にして多種多様な様々な異形の姿へと変貌させる光。
禁術<ネクロプリズム>の術式に改良を加えることによって生まれたアスモデウスしか知り得ない魔術である。
この光を浴びた者で心を蝕まれなかった者は今までに存在しない。
故にリリーの異形化が止まっていても焦る必要はなかった。
一度、異形化が進行してしまえば、多少止まることはあっても、あとは進む他にない。
遅かれ早かれ、新たなる異形の姿のために心は食い尽くされる運命にある。
どうせ、終わるのなら抗うことなく、一瞬のうちに潰されてしまった方がまだ華があるというもの。
にもかかわらず、その現実を受け止めず、そこにまだ心は残っていると抗う彼らの行いは無駄な足掻きであり、ひどく滑稽なものとして映った。
アスモデウスはこの見世物の終結を今か今かと待ち望んでいた。
救わんとした者に蹂躙される結末を。
そして、英雄ゼロが身も心も粉々に砕かれる瞬間を。
元凶とも言うべき男が必ず勝てる賭け事をするかのような気持ちでこの戦いの行方を俯瞰している。
そんなことには目もくれず、メリアは視線の先は唯の一点のみ。
その者に対して、大きく息を吸い込んで決死の祈りを叫ぶ。
「リリー・スカーレット! 貴方の願いは叶う! 必ず叶う! それは決して楽な道ではないでしょう!! けれど、貴方にはティターニアさん、ワイトさん、それからわたくしを含め、多くの人がいる! そう、貴方は決して一人なんかじゃない! 分かったのなら返事をしなさい!! リリー・スカーレットォォォォォォォォ!!!!!!!!!!」
その言葉は届いのか、それとも、届かなかったのか。
リリーは悲痛な叫び声を上げる。
「グアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
その声と共に、リリーの力は目の前の存在を潰さんとしてさらに強まっていった。
ワイトの体勢がグッと低くなり、全身の骨が嫌な音を上げている。
「悪いねぇ……! ここで潰されるわけにはいかねぇンだ――――お前が元に戻ったその時、そこには誰もいなくて、何もなくなっていただなんて、そんな悲しい話はごめんだからなぁ!!!」
ワイトは決死の力で、自分の何倍もあろうかという竜の腕を弾き返す。
リリーは弾き返された衝撃で、後ろに倒されたまま微動だにしない。
「はぁ……あ、あぁ……先に言っとく、次、やられたらもうおしまいだと思ってくれ」
正面を見据えたまま、息も絶え絶えに言った。
限界はとうに超えているというのは二人とも理解できた。
やれることはやった。
伝えるべきことは伝えた。
これでも無理なら諦めもつくというものだ。
「はい」「了解よ」と二人は口々に答える。
沈黙を保ったまま、しばらくして、リリーがゆっくりと身体を起こす。
再び両者が見合わせる――――
リリーは無慈悲にも再び、手を振り上げる。
「分かっていたことでしたが……やはり、説得は失敗に終わったようですねェ……クッフッフハッハッハッハ」
勝利を確信したアスモデウスの高笑いが上方でこだまする。
先程と同じように、リリーの肥大化した竜の腕が、三人を押し潰そうと振り下ろされる。
眼前に迫る死の一撃から誰も視線を背けない。
ワイトは剣を構える素振りすらも見せない。
それは偏に、リリーは元に戻っていると確信していたからだ。
再び、見合わせたあの時、姿形は一切変わらず、人の姿をした竜であっても、洞穴のように虚ろだったリリーの瞳には仄かに赤い輝きが宿っているように見えた。
しかし、この状況は悪い方向に舵を取っているようにしか思えない。
その一撃が三人を押し潰す未来がありありと思い浮かぶ。
だが、その未来は訪れなかった。
リリーの腕は三人を潰すことなく、ギリギリのところで静止していた。
静止した腕を顔の横にまでゆっくりと持ち上げたかと思うと、突如、自身の右頬を殴りつける。
巨体が大きく右に揺れた。
自暴自棄になったのか、はたまた混乱しているのか。
「な、何を――――」
その予期せぬ動きにメリアから思わず声が漏れた。
そして、その殴打によりひび割れた頬の辺りから赤い輝きが漏れていることにティターニアが気付く。
「大丈夫よ。メリアちゃん、私の見立てが正しかったら――――」
ティターニアのセリフを先取りするにして、ワイトが言葉を繋げる。
「言いたいこと分かるぜ。要はリリーが勝ったってことだな」
その言葉に静かに頷いて、再び、固唾を飲んで見守る。
リリーから言葉が漏れた。
「ごめんネ、みンな――――」
それは質の悪い合成音声のような声だった。
次の瞬間、頬のひび割れから卵の殻が割れるかのようにベリベリと異形の体が破られていく。
「バカなっ!! こんなことがおこるはずがない」
傍観に徹していたアスモデウスが瞬間移動し、再度、<神化の光>をリリーに照射しようとする。
「――――させない!!」
行動の意図に気付いたティターニアが<セイントシールド>を展開しようするが、一歩、遅かった。
光が再びリリーに照射されてしまう。
その時、ひび割れから突如、溢れんばかりの真っ赤な炎が噴水のごとく吹き出した。
リリーの周囲一体が赤い炎に包まれる中、炎は螺旋を巻きながら神化の光を伝っていき、瞬く間にアスモデウスへと燃え移った。
「ぐあああああああ!!!!」
アスモデウスは赤い炎に巻かれて苦悶の声を上げているが、同じく炎に巻かれている三人は不思議と熱いとは感じなかった。
それはむしろ、ほのかな温もりを感じさせる炎。
やがて、炎は目の前の一点に収束していき、そこにいたのは――――
「ちょっと、戻ってくるのが遅すぎるぞぉー」
「よく似合っているわよ。そのドレス!」
「リリー・スカーレット……!」
赤いドレスを身に纏い装いを新たにしたリリー・スカーレット、その人だった。
「ごめんね、心配かけて。でも、皆の声、しっかり届いてたよ!」




