60話
「うへへぇ……もう飲めないにょぉ〜〜〜」
ティターニアは口元からよだれを垂らしながら机に伏していた。
空になった樽のジョッキをガンガンと机に叩きつけている。
「酒は飲んでも、飲まれるな。あなた方はああいう風になってはいけませんからね……」
アレクが目の前で酔いつぶれている何かから視線を逸らして二人に語りかけている。
「お酒は麗人を堕落させる恐ろしいものだとわたくしは心の底から理解しましたわ」
「そう、です、ね……羽目を外す分には良いんじゃないでしょうか」
「いや、あれはどう見ても外しすぎだろ」と呆れた目付きでワイトが言う。
「ではそろそろ、お開きにしましょうか。ティターニアさんのことは僕に任せてもらって大丈夫です」
「大丈夫なんですか……?」
「問題ありません。慣れているので」
そう言いながら、苦笑いを浮かべるアレク。
その後、程なくして一同は解散した。
◯
王都にはすっかり夜の帳が降りており、街灯の光が帰り道を照らしていた。
リリーとメリアは並んで歩き、その後ろをワイトが付いて行っている。
帰路につく最中、冒険者組合の隣を通った。
「ウ"オ"オ"オ"」というまるで獣のような雄叫びが窓から漏れており、昼間よりもなお活気付いていた。
夜はこれからだと言わんばかりの騒々しさで、そのまま夜を明かす勢いであった。
「まだやってんのか、タフすぎんだろ……」
「それぐらいじゃないと冒険者は務まらないということですかね……」
「こういうどんちゃん騒ぎが楽しみでやっているという方々も少なからずいると思いますわよ」
各々が口々に言うと、そういえば……とワイトが口を開いた。
「メリアが冒険者になった理由って何なんだ? 俺は一重に金稼ぎだったが」
メリアは前を向きながら答える。
「わたくしには、目指すべき人がいて、その人に少しでも近づきたいと思って冒険者になりましたわ」
「へぇ……その目指すべき人ってのは?」
「それは、シークレットですわ。知りたかったら、もう少し信頼度を上げるべきですわね」
「好感度方式かよ……。リリーはその辺何か知ってる?」
「知りませんし、知っていたとしてもワイトには教えません」
「どうして!?」
「それは勿論、乙女の秘密ですから」
「リリー・スカーレット……やはり、貴方は信用に足る人物ですわ……」
「へぇへぇ……野郎でスマンかったな」
そんな他愛の無い会話をする三人。
いつの間にか、酒場の歓声が遠くに聞こえている。
街頭が道を照らす中、メリアは立ち止まって話をリリーに振った。
「そういえば、貴方はどうして冒険者に……?」
それは、メリアが聞きたいと思っていた内容だったが、あの頃のリリーは他者を寄せ付けない陰を纏っており、気楽に聞くことなんて考えられなかった。
一瞬、リリーの表情が強張る。
やはり、並の事情ではないのだと察した。
「……ワイトには前に話したと思いますが、父親を探すための情報を探るためです」
「それだけじゃないのでしょう……?」
「それは――――」
やはり、メリアは鋭い。
単に父親を探すだけではないということを瞬時に見抜かれた。
さすがに、具体的にどうしたいのかまでは見えていないと思うが。
リリーは躊躇していた。
これは簡単に話してもいい問題ではないからだ。
しかし、ここまで良くしてくれる友人に話さなくても良いのかという葛藤があった。
そんなリリーの気持ちを察してか。
ワイトが背中を押すように言った。
「話しても良いと思うぞ。むしろ、話さないほうが失礼なぐらいだ」
二人の間に沈黙が広がる。
メリアは神妙な面持ちでリリーの言葉を待った。
やがて、リリーは重々しげに口を開く。
「……それもそうですね。ワイトの言うとおりです。メリアさんはわたしの大切な友人です。だからこそ、話すのですが、実はーーーー」
リリーは語る。
自身の父親が屍竜と化してしまっていることを。
そして、その父を自身の手で終わらせようとしていることも。
それらを全て語り終えた後に見たメリアの表情は未だかつて見たことがない程に悲痛なものだった。
それはまるで、自分の痛みであるかのように。
「あぁ……なるほど、合点が行きましたわ。リリー・スカーレット、貴方が時折見せる陰はそれが原因でしたのね」
「え……?」
「何か諦観のようなものをわたくしはひしひしと感じておりましたのよ。しかし、人の触れられたくない部分に土足で踏み込むことは許されない。ですから、今まで聞かずにいましたの」
知りたかったのだろうが、あえて聞かずにいた。
自身の興味を満たす行為で傷付くのであれば、知らないままで良いと。
そんなメリアの優しさが身に沁みていき、心が暖かくなっていくような感じがした。
そんなリリーをよそにメリアは話を続ける。
「念のために、一つ確認しておきますわ」
「何を……ですか?」
何を言われるかは予測できた。
ワイトも同じようなことを言っていたことがあったからだ。
「貴方は本当に実の父親を殺そうと考えておりますの?」
予想通りであった。
リリーの心に深く突き刺さる。
リリーにとって父を殺すこととは使命のようなものだ。
日常が崩壊したあの日から彼女が抱いていた一つの目的。
自分を護ってくれた父に対するせめてものお礼。
そこにもう父の意識がないのであれば、屍竜と化した父の存在が誰かの不幸に繋がる前に、自身の手で終わらせる。
それが父の娘である自分に出来る最大の恩返し。
そう考えていたのだ。
だが、今、その意志が揺れている。
綻びが生まれていた。
彼女がずっとひた隠しにしてきた本音。
『父を救いたい』というもの。
既に父を二度も殺しかけているというのに、今更、救いたいなどと考えるのは余りにも身勝手で虫の良い話だと思う。
でも、それでも、その真の思いは彼女の中でずっと眠り続けていた。
「……わたしはもう既に父にひどい事をしているんです……アンデッドという体質だから生きているようなもので、本当だったらもう既に殺してーーーー」
「いや、違うな」
ワイトが口を挟む。
俯きながら話していたリリーがワイトを見上げる。
「それは手心を加えていたからじゃないのか?」
「手心なんて加えていませんよ。わたしは最初から全力で……」
「そうだろうな。でもな、憎んでいるならともかく、一切の迷いなく、親を殺せるかって……それは無理だと思うんだ。リリーは確かに全力でやっていたのかもしれない。だけど、無意識のうちに、手心を加えてしまっていた。だから、仕留めきれなかったんだ。俺はそう考えている」
「いや、違いますよ……。わたしは明確に父を殺そうとしていました。それが娘のわたしに出来る事だから。あの落ち窪んだ光の消えた瞳に、父の面影はないんです。そう、あれはただの屍竜なんです。私の力が弱かったから仕留め損なっただけ……たったそれだけの話なんです」
リリーはその後、街灯の真下に躍り出て、笑顔を向けながら二人に言い放つ。
「ね、こんな話はやめましょう。ああなってしまった以上、父はもう、元に戻らないし帰ってこないので。だから、そんな父を終わらせてあげること、それがわたしの願いなので……」
リリーは渾身の笑顔を作った。
しかし、二人は知っていた。
目の前にいるシスター服の少女は作り笑顔が苦手だということを。




