52話
「何だって……」
カインはここは王都であるという事実に驚いていると聞き覚えのある声が扉の外から漏れ聞こえてきた。
「そうやって不用心に入って大丈夫なんですか!?」
その声がリリー・スカーレットであると認識した瞬間に、息が止まるかのような焦燥感に包まれた。
別人の声であるのなら、どうしてこんなところにいたのか誤魔化しは効いたかもしれない。
だが、カインはつい先刻、彼女たちの前から逃亡している。
つまり、捕まることは必至であり、その先に待ち受けるのは王都を混乱に陥れた罪による死である。
故に、全ての計画をしたこのローブの男を取り逃すわけにはいかなかった。
「では私はこれにて」と去ろうとする男を「待て……!」と掴みかかろうとするが、ヒョイっと難なくかわされる。
再度、男に掴みかかろうとするも、妙な違和感を覚えた。
それは、妙に身体が軽いような――――
その原因はすぐに分かった。
目の前の男がついさっきまで自分が腰に差していた剣を持っていたから。
おそらく、かわされた拍子に取られてしまったのだろう。
しかし、そんなことが可能なのだろうか……。
男は剣をポンポンと左手に軽く打ち付けながら、おどけるような口調で言った。
「あぁ、そういえば、私としたことが貴方から剣を返してもらうのを忘れていました。失敬失敬、それでは――――」
「ちょっと、待て!」
カインが呼びかけるが、ローブの男は意にも介さないといった様子で足元に黒い魔法陣を浮かびあがらせる。
このままでは逃げられてしまうと思ったため、慌てて肩を掴もうとするが、空を切ってしまった。
そこに男の姿はない。
転移魔術により逃げられてしまったのだと痛感した。
「クソっ……! なんだってこんな――――」
カインのみがこの場に取り残された。
ここから出るには目の前の扉から出ていく以外に方法はないが、リリーたちに鉢合わせる危険性がある。
路地裏の場合はどさくさに紛れて、術符を使用して逃げることが出来た。
だが、今度はそうもいかないだろう。
失意のまま周囲を見渡す。
この部屋にクローゼットなどがあれば良かったのが、椅子と机以外にそのような家具は存在しない。
薄暗い室内を利用して部屋の隅の方で息を殺すという手もあるにはあるが、現実的ではない。
常識的に考えて、普通にバレる。
そう考えると、答えは必然的に一つになる。
部屋がいくつあるのか不明だが、ローブの男の言い分からして、最低でも3つはあるはずだ。
とにかく、こっち側に来ないことを祈るしかないだろう。
カインは扉の前で、拳を強く握って俯いたまま、頼むからこっちに来るなと念じ始めた。
その願いが、届いたのか。
複数の足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
こちら側ではなく、別の部屋の方へと向かったのだろう。
ここから抜け出すには今しかないと意を決して扉を少し開け、片目で外の様子を探る。
一直線に伸びる廊下の先で、他の部屋へと入っていくリリーたちの姿が見えた。
何やら驚いているような声が聞こえているが、それを気にしている暇はない。
3メートルほどのところにリリーたちが侵入してきた大きな穴が見えた。
そこから、外に出ることが出来るはずだ……とカインはすぐさま廊下へと足を踏み出した。
音を立てず、なおかつ迅速に。
幸いにも、リリーらに気付かれることなく、カインはこの場から抜け出し、外へと脱出した。
〇
この通りにはアンデッドはいなくて、遠くから戦う者たちの雄叫びが風に乗って聞こえてくる。
王都には騎士団もいれば、冒険者だっている。
彼らが一丸となれば、この程度のトラブルなど些細なことに過ぎないのだろう。
外へと脱出したカインだったが、ただフラフラと幽鬼のように歩いていた。
理由は明白だった。
カインはもう詰んでいるのだ。
この騒ぎが終われば、次に始まるのは犯人捜しであり、容疑者として挙げられるのはおそらく、自分だ。
それを考えれば、一刻も早く、この王都を去るべきなのだろう。
しかし、去ったところでこの鎧によって命を蝕まれることになる。
「ホント、なんなんだよ。僕の人生……」
カインが地面に向かってそうぼやいた時。
どこからか、子供の泣き叫ぶ声が聞こえた。
「だれか、たすけて!! 」
耳を澄ましてみると、目の前の角を左に曲がったところから聞こえているようだった。
「僕には関係のないことだ」
そう言って、そのまま通り過ぎようとした。
すると、角から子供が駆け出して来た。
泣き顔を浮かべながら、必死に走っていた。
その後ろからは迫りくるアンデッド。
この通りにアンデッドがいないのは、そもそも、経路を繋いでいないからだ。
それにもかかわらず、アンデッドに襲われるということは、別の区域にいたアンデッドに追われてここまで逃げて来た。
普通はその途中で、冒険者なり騎士団なりに助けてもらえそうな気がするが、世の中にはどうしても運の悪い人間がいる。
この子供もおそらく、そうなのだ。
偶々、誰にも助けてもらえないままここまで来てしまった。
「あっ……」
目の前で子供が小さな声を漏らしてこけてしまった。
どうやら、この子供は本当に運が悪いらしい。
もう助からない。
腐り切った爪が子供の柔肌を引き裂かんと振りかぶられる。
だが、その爪が子供に触れることはなかった。
カインが子供の前に立ちはだかったから。
腐った腕を掴むが、掴んだところがボロボロと崩れ落ちていくため、全身を使って前へと押しやった。
体勢を崩されたアンデッドはよろけてそのまま倒れてしまう。
カインは自嘲気味にぼやいた。
「……何やってんだろ、自分」
これで何かが許されるわけでもないのに――――
とにもかくにも、この子供を早く逃さなければと後ろを振り返る。
「早く、逃げろよ。ここはどうにかするから、大人のいるところに逃げるんだ」
子供は無表情のまま、じっと空を見つめている。
その異質な雰囲気にゾっとしたが、次の瞬間にはかき消されることになる。
ドンと大きな音が目の前でしたからだ。
驚いて、前を見ると――――
アンデッドが何か巨大なものによって見るも無惨に潰されていた。
その存在を認識すると、カインは目を見張った。
それは、炎のように真っ赤に燃え盛る目と蝙蝠のような黒々とした翼を有した人型の生物。
魔獣バルログと呼ばれる存在だった。




