28話
そんなリリーの本名を聞いたワイトの反応は言うと――――
「え、何、リリー・リリード?」
「リが一個多いです」
「分かった。リ・リード!」
「今度はリが一個減ってますよね!? 完璧に遊んでますよね? ね? 人の名前で遊ぶなんてサイテーだと思うのですが、どう落とし前を付けるつもりですか?」
「悪気はないんでさぁ……俺の名前を差し出すんで勘弁してくだせぇ……!」
「名前って――――思い出したのですか?」
「いや、正確には何と呼ばれていたのかを思い出したんだけどな。確か、ゼロと呼ばれていた」
「ゼロ……。ゼロですか……。んー、なんかワイトらしくないし、しっくりこないので、わたしはワイト呼びを継続します」
「人の名前に対してらしくないとは……」
遠い空を仰ぎ見るワイトを放って、リリーは瓦礫の片付けられた我が家に足を踏み入れていた。
それは3年ぶりのことであった。
間取りが辛うじて分かるといった有様ではあったが、それでも懐かしい思いが込み上げてくる。
基本的には仲の良い家族だった。
ごく稀に父と母が喧嘩することがあった。
特に凄まじかったのは、怒りが頂点に達した母が父を蹴り飛ばすと、ぶっ飛ばした先にあった玄関ドアにぶつかった衝撃でドアが外れてしまい、しばらく開放的な玄関になっていたことだ。なお、父は無傷だった。
ふと、床の上で何かが反射したのが見えた。
近寄って手に取ってみると、それは家族写真であった。
そこに写っているものは派手さはないものの素朴な感じのする白い家。
それは崩壊する以前のリリーの家だ。
その家を背景に、椅子に腰かけているのが母親であろう。
リリーと同じ赤い髪をしているが、その髪色は少し明るめの印象を受ける。
その隣にいるのは父親だ。
黒い髪をした短髪であり、腕っぷしも強そうな印象だが優し気な顔をしている。
そして、その前にいる二人の子供のうち、満面の笑みを浮かべ、黒い髪をしているのが妹で、笑顔ではいるものの固い表情をしているのが暗めの赤色の子がリリーだった。
この写真を撮影したのが5年前。
様々なことが思い返され、不意に涙がこぼれ落ちそうになるが、背後から声が聞こえたため堪えた。
「家族写真か」
「はい、まだ幸せだった頃の写真です」
リリーはその写真をワイトに見せた。
「良いもの拾ったな! 片付けた甲斐があるってもんだ! それにしてもリリーちゃんちょっと緊張しすぎじゃない?」
「そんなことありませんから! ちょっと写真が苦手なだけですよ!」
「でも、分からないでもないんだよなぁ。笑顔にしたってどういう風に表情筋を動かせば良いのか分からなくなるよね」
「そう! そうなんですよ! 笑顔で写ろうとしても変な感じになると言いますか」
「姉がこうなのに、妹さんときたら――――」
ワイトはリリーと百点満点の笑みを浮かべる妹を見比べながら、ため息をついた。
「エミは関係ないじゃないですか!」
「あぁ、妹はエミというのか、名は体を現すって本当のことなんだな」
「あ……」
「その顔は言うつもりはなかったのについ名が出てしまったってやつだね? このお・茶・目・さ・ン"――――」
直後、リリーから容赦のない一撃を貰い、草の絨毯を転がり回る。
そして、数回転ほどした後に仰向けになった。
だが、その軽口に歯止めは効いていなかったようで、「おまけに暴力的――――」と呟いたところ、間もなく追撃が発生してもう2、3回転する羽目になったのは言うまでもない。
〇
街道を真っすぐ歩いて進み、二人は今、イスラフィル王都<ティアレイン>の正門前に佇んでいた。
正門の横に伸びる堅牢な城壁に加えて、その前には水堀が巡らされている。
そのため、北門、東門、西門、そして最も大きな正門の4つある王都への入り口には全て跳ね橋がかけられている。
跳ね橋は必要に応じ上げることによって、外敵からの侵入を防いでいるのだ。
そして、正門から垣間見える黒々とした荘厳な王城。
この位置からでは全体像を見ることは叶わないが、それでもエルピス国のものよりは一回りは大きい。
それもそのはずだ。あの国の規模は小さかった。
だが、あの国の人々は絶望的な状況でありつつも誰一人として決して希望を捨ててはいなかった。
そんな遠い昔のようでつい最近の出来事を振り返ったリリーがぽつりと呟いた。
「随分と長い旅をした気がしますが、たったの1週間なんですよね」
「それだけ濃密な時間を過ごしたということですな」
「なんか、その言い方気持ち悪いのでやめていただけます?」
「ふぅー、辛辣ゥー」
二人は門の前を通り抜けようとしたが、「待て」という声が聞こえてきた。
声のした方を見ると、そこには槍を携えた全身を甲冑に包んだ門番の姿が。
リリーは内心、しまったと思った。
「はい、どうされました?」と何食わぬ顔で返答する。
リリーは問題ない。
プラチナ級冒険者としてティアレイン王都でも名が通っているため、不審がられることはない。
だが、ワイトは別だ。
おそらく、心のどこかに甘えが出てしまっていたのだろう。
いくら門番とはいえ、王都に入るものを逐一チェックしているとは思えない。
無意識の内にそう思い込んで、至って自然に門を潜り抜けようとしていた。
だが、門番は見逃さなかった。
「お前は"赤い聖域"だな。通って良い。だが素性の分からない連れまで通すわけにはいかない。顔を見せてみろ」
マズい、この状況は非常にマズいとリリーは焦る。
迷いの森で危惧していたことが早くも起きようとしている。
ワイトの見た目はアンデッドそのものだ。
ここでその正体が露見すると、エラいことになる。
いや、むしろここでバレる方が後々良いのだろうかなどと思考が錯綜する。
ともかく、この場で隠し通すのは無理があるだろう。
だったら、あの姿を見せる前に説明しておく方が得策だと考え、リリーは重々し気ではあるものの口を開いた。




