22話
「何が……何が先に行っててくれ、よ」
崖の前で俯いて自嘲気味に呟いた。
昨晩、たまたま出会っただけであり、終始ふざけ倒しており、おまけに骸骨の見た目をしている変な人。
100人いれば99人は見向きもしないだろう。
だけど、どうして、こんなにも、悲しい気持ちになるのだろうか。
やがて、リリーの瞳から一粒の大きな涙がこぼれ落ちそうになったその時、上の方で轟音が響いた。
その突然の出来事に涙もすっかり引っ込んでしまってリリー。
「な、なに!?」
驚いて上を見上げると高さにして20mほどの辺りだろうか。
崖の上層から粉塵と共に何か黒い巨体が飛び出し、こちらに向かって飛び降りてきている。
その正体を見極めようとするが全身に煙のようなものが纏わりついており、容貌を知ることが出来ない。
その間、視線を片時も離すことなく捉え続け、やがて黒い巨体はリリーのおよそ10m程先にある褐色の大地に着地した。
相も変わらず、灰色の煙のようなものを身に纏っている。
だが、その姿形がぼんやりと朧気ではあるが分かった。
その体躯は深淵に溶け込むかのような黒く、頭には捻じれた雄々しき巻き角を有し、炎のように真っ赤に燃え盛る目と蝙蝠のような翼を有した人型の生物……。
その存在をリリーは知っていた。
「魔獣バルログ……!」
それは冒険者ギルドにおいて、この依頼を受注するにはプラチナ階級以上であることが必須とされる怪物だ。
強敵であることは間違いない。
リリーは再度、よく目を凝らす。
そのバルログの右角は折れており、胴に一筋の新鮮な切り傷が見受けられる。
出血こそ止まっているものの、このバルログは手負いだということが分かった。
そして、この怪物を相手にその一撃を見舞うことが出来る存在を一人知っていた。
「グオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
叫喚を上げ、リリーに向かってバルログが飛び掛かってくる。
獰猛な肉食獣のような動き。
迫り来る巨体に物怖じせず、リリーはギリギリまで引き付けたかと思うと、タイミングを見計い右へと回避する。
すると標的を失ったバルログの巨体が切り立った崖に激突し轟音を響かせた後、パラパラと小石の落ちる音がした。
バルログは崖に思いっきり巨体をぶつけることになったが、手負いであるにも関わらずその強大な膂力はその程度のことでは怯むことを知らず、すぐさま左へと方向転換し、リリーの姿を捉えた。
しかし、その姿は先程とは大きく異なっていた。
黒い炎に包まれている。
リリーはラーヴァテインの詠唱を既に済ませていたのだ。
〇
バルログの突進を回避し、壁に激突させた瞬間、リリーは詠唱を開始していた。
「我が拳……我が躰……業火と化せ……『ラーヴァテイン』」
胸から黒い炎が噴き出し、それはリリーの全身を包み込む。
「これはさすがに完全形態でやらないと」
『ラーヴァテイン』には二つの形態が存在している。
一つは詠唱を伴わない簡易形態。
人体の一部だけを強化するに留まるが、その分コストが軽くなる。
もう一つは詠唱を行う完全形態。
全身を包み込み全体強化となるが、その分コストが重い。
ここにおけるコストとは気力のことだ。
『ラーヴァテイン』は加護によるものであり、マナには依存しないが、その分、気力が削られていくとリリーは師から聞いていた。
気力が削れていくとどうなるか。
長時間使用していると、集中力を保てなくなり、眩暈が襲い、やがて敵の目の前であっても気絶してしまうのだ。
そのため、様子見や加減をする場合には簡易形態で、強敵を相手にする時には完全形態といった塩梅で使い分けていた。
「グルルアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
突如、前方のバルログがぐるりと全身を回して飛翔したかと思うと、急降下しながらリリーに肉薄する。
(速いけど、避けられなくはない……!)
動体視力や俊敏性などの身体能力も強化されているため避け切ることは十分に可能だと思われた。
――――だが、鋭い爪先が自身の顔のすぐ横を掠めていったのを知って認識を改める。
(……想定よりも速い!)
初速よりも明らかに加速している。
その回避は間一髪であった。
余裕のない一撃。
反撃の隙すらも伺えない。
しかし、疑問なのは崖に激突させた時に比べ、明らかに動きが速くなっているという点だ。
戦闘によって成長しているのか、それとも別の要因か。
その間も日が沈みかけ、夜闇が忍び寄って――――
そこで気付いた。
この夜闇が近付くにつれて能力が向上しているという可能性に。
(そういうことね……!)
そう考えると速度が上昇している辻褄が合う。
だが、それは逆に、日が没しかけている今、早急に決着を付けなければバルログはもっと強化されてしまうということでもあった。




