10話
日は既に落ちており辺りには闇が広がっている。
屍竜は山の彼方へと飛び去ってしまったが、リリーはその姿を追って森の中へと入っていった。
リリーが追う屍竜には他の個体と違う点が二つあった。
一つは五本爪であるということ。
もう一つは、日中でも活動が可能であるということ。
一般的に屍竜は日が落ちてからでないと活動が出来ない。
日の光によって身を焼かれるからだ。
それにもかかわらず、あの屍竜は西に沈む太陽を背に空を飛んで行った。
加えて、五本爪も有しているように見えた。
故にリリーはあの時、殺し損なってしまったと認識したのだ。
そんな一抹の悔恨を胸に抱きながら、リリーは月の光がかろうじて届く森の中を疾走している。
頭上には鬱蒼とした枝が生い茂る。
道はあるにはある。
だが、長らく使われていないのだろう。
それは獣道ともいえる有様だった。
このような状況下でも彼女がスピードを落とすことなく走り続けられるのには理由があった。
彼女の眼は夜目が効いた。
少量の光さえあれば、夜行性の動物のように見通すことが出来る。
(何かいる……!)
リリーの目は木の陰に潜む何者かの存在を捉え、速度を緩める。
敵か味方かの判断が付かない。
だが、真夜中の森の中をうろつく存在にまともな者はいないことを経験則で知っている。
その者はおもむろに姿を現す。
安っぽい鉄製の鎧を着用していた。
籠手は装着していないように見える。
表情も鉄兜を被っているため窺い知れない。
なおも、警戒を緩めることなく、接近する。
その時、その者の腕を見た時に気付いた。
白く細い腕。
正確には、剥き出しの骨の存在に。
リリーは鎧を着たこの者の正体をアンデッドであると確信した。
「やっぱり……!」
瞬間、リリーは即座に距離を詰めて、そのアンデッドに向かい渾身の拳を叩き込もうと思っていたが、その者は予想だにしない動きを見せる。
「ちょっと、待った! ストーップ!」
止まってくれと言わんばかりに両手を前に突き出している。
この予想外の反応にリリーは「え、うそ、人間!?」と吃驚し、すんでのところでリリーの拳がその横をかすめていく。
リリーの後ろから声が聞こえてくる。
その声は20代ほどの若い男の声であった。
「確かに挨拶の一つもしない俺にも非はあると思うけど、それにしてもいきなり殴ってくるなんて、随分と野蛮ですよ。近頃の若いもんと来たらまったく、びっくりだよ! ホントに! プンプン!」
怒っているように感じられるが、敵意は全く感じられない。
「すいません……。あの、アンデッドかと思い――――」
リリーは言い淀んだ。
やはり、視界に映るこの男の腕に肉は付いておらず骨だけである。
だが、反応からして人間のように思える。
「あー……。アンデッドねー……」
自身の腕をしげしげと見つめ、話を続ける。
「……というかね。こんな夜遅くに森の中を突っ走るなんてね。どうかしてるよ。急いでいるんだかなんだか知らないけど、一旦、休憩したら? その先に小屋があるから」
男は先の道を指さしている。
夜ということもあって真っ暗な道が続いている。
この謎の男が言うことには一理あった。
無我夢中で走り続けてきたが、一旦立ち止まって冷静になると、夜の山には危険が多い。
このまま走り抜けるのは無謀だとも思える。
宿があるのならそこで一晩泊まるのも一つの手だった。
ただ問題は、果たしてこの男は信用出来るものなのか。
「良いのですか?」
リリーはとりあえず付いていくことにした。
男から悪意は感じられないし、いざという時には返り討ちにすることも出来ると思ったためだ。
「いいのいいの。嘆きの森を突っ走るのはイスラフィル王国に用事があ――――」
「ここ、嘆きの森だったんですか!?」
やってしまった……とリリーは反省した。
嘆きの森とはエルピス国とイスラフィル国の間に聳える山脈に隣接した森林地帯だ。
獰猛な動植物が多種生息していることからパーティーを組んでいるプラチナ級冒険者が前提とされている。
リリーはソロの状態であるため、いささか危険であると言わざるを得ない。
「あちゃー。気付かずに入ってきた感じかぁ。なんかすっごい急いでいたみたいだし。もしかして、家族が危篤だったりする?」
「遠からず近からずといった感じですね……」
「全く見当違いというわけじゃないのね……。まあ、いいや、付いておいで」とリリーを追い抜いて先へと進む男。
リリーは「はい……」と衝動的に突っ走り過ぎた自分を反省しつつ後ろを付いていった。