1話
雨雲が天を覆う中、人気のない山間部にて、体躯20mを超える屍竜の巨体が地に倒れ伏した。
その胴体にはぽっかりと空いた空洞が見受けられる。
これが致命傷となったのであろう。
その骸の前に立つのは修道服を着た赤い髪の少女。
少女はただの竜の骸と化してしまったそれを前に何も発しようとはしない。
少女は冒険者だ。
冒険者とは冒険者ギルドに属するものを指しており、国の依頼から猫の捜索までありとあらゆる依頼を引き受け、依頼を達成した後に支払われる報奨金によって生計を立てている。
一般的に竜の討伐は高難易度であり、一流の冒険者を目指すものとして一つの目標とされることが多いが、屍竜の討伐は格が違う。
単純な力や魔法でどうにか出来る相手ではないからだ。
そのような強大なる存在を倒した時、人は歓喜に咽び、勝利の喜びから小躍りを始めるものがいたとしても何らおかしくはないはずだ。
だが、少女は微動だにせず自身が倒した骸を見つめ続けていた。
それは光などとうの昔に消え失せた瞳の中になにかを探しているかのようにも見えた。
ぽつぽつと雨が降り始め、やがて大雨となった。
雫が少女の輪郭を何度もなぞっては落ちていく。
何百という雫がこぼれ落ちた後、少女はぽつりと言葉を漏らした。
「――――お父さん、ごめんなさい」
〇
半年前の出来事を想い返す少女は今、小高い丘に立っていた。
スリットの入った修道服の裾がひらひらと揺れる。
丘に吹き降ろす風が心地よいと感じる反面。
今から向かう方角を見下ろすその目は険しい。
その先に広がっているのは黒い空の小国。
だが、この光景はこの国の在るべき姿ではない。
この小国はあるものの侵攻を受けていた。
この世ならざるものからの侵攻を。
「結界は破壊した。あとは――――」
小国周辺を取り囲むように展開されていた黒い結界は少女によって既に破壊されていた。
その様子はモノトーンのステンドグラスに一発の銃弾が撃ち込まれるようであった。
「助けに向かわないと」
少女は駆け出した。
〇
「ハァ……!? 何を考えているんだ!?」
小国エルピスの騎士団長クレスは南門の城壁の上から到底信じられないものを見た。
それは修道服を着た一人の少女が南門一帯に広がるアンデッドに向かって突進してきているというものであった。
いくら何でも無謀が過ぎる……とクレスは兵に弓矢による援護の要請を行い、城壁を飛び降りて周囲のアンデッドを蹴散らしながら救援に向かおうとした
だが、彼はその心配は杞憂であったと気付いた。
その目に映った光景。
燃えるような赤い髪を振り乱しながら、アンデッドを瞬く間に黒い塵へと変えていく少女の姿。
クレスは加勢するつもりであったが、その余りの戦いぶりに見入ってしまっていた。
この少女が大多数のアンデッドを前にどのようにして戦い抜けるのかが気になってしまった。
やがて、南門一帯のアンデッドは一掃され、その張本人である少女がゆっくりと近づいてくる。
クレスは南門の前に立ちその少女を出迎えた。
しかし、警戒を怠ってはいない。
アンデッドというこちらの敵を倒したからといっても味方であるとは限らない。
単に邪魔だったから排除しただけという可能性もあるからだ。
クレスはこの少女の目的を見極めようとしていた。
「ご助力、感謝を申し上げる。目的は何か尋ねてもよろしいだろうか?」
「門を開けてもらっても良いでしょうか? 図々しい話なのですが、一度、国王陛下に謁見したく存じ上げます」
「それは出来ないと言ったらどうするつもりだ?」
「その際は、他の門にも集まっているアンデッドを一掃して去るだけの話です」
「ハッハッハッハ!!」
いきなり大笑いを始めたクレスに少女はびっくりした様子であったが、次第に表情が柔らかいものへと変わっていった。
「こいつは面白い!! 喜んで陛下の下に通そう! その前に名前をお伺いしてもよろしいか?」
「わたしはリリー・スカーレットと言います。冒険者ギルドに所属していて階級はプラチナです」
「あぁ……。成程、色々と合点がいった」
その名前を聞いて、クレスは先程までの戦いぶりにひどく納得した様子であった。
〇
エルピス小国は大陸の南西部に位置している。
国の周囲は険しい山脈に囲まれ、その立地はさながら天然の要塞であった。
大陸の中央ではイスラフィル王国とアズラエル帝国という二大国家が存在している。
現在、この国は存亡の危機に瀕している。
この天然の要塞は人ならざる者からの侵攻までは防げなかったのだ。
最初の異変は3か月ほど前、晴れることのない黒雲が空を覆いつくしたことだった。
それから程なくして王国各所でアンデッドが次から次へと湧きあがり、周辺の街や村を襲撃、命からがら逃げのびてきた避難民を受け入れ籠城の態勢へと移行したが、死なない者を相手に籠城を選んだところでいずれ追い詰められるのは明白であった。
自身の失策を王は責めていた。
こうなってしまった全ての責任は自分にあるのだと。
たとえ、その方法しか存在しなかったのであったとしても。
「余が不甲斐ないばかりに……」
国王ウレオルスは嘆いていた。
国難に苛まれたこの国において、王にのしかかるプレッシャーは並大抵のものではない。
元来、ウレオルスは精悍な顔付きの偉丈夫であった。
初老ではあるが、まだまだ若さを感じさせ、溌剌としていたのだ。
だが、今の彼にその面影はない。
目の下のクマは濃く、頬はこけ、無精髭が生えている。
玉座に座っていなければ、浮浪者ではないかと思われるほどの見た目をしていた。
だが、唯一、かろうじて残っているものがあるとすれば、それは心であった。
それ故に、家臣も民もこの混乱に乗じた暴動を起こそうとは企てようとはしなかった。
そして、側近である黒髪の女ヘーラも嘆く王に対して、その判断は正しいものであったのだと力説した。
「陛下は何も悪くは御座いません! 籠城は最善の判断であったと私は考えております!」
「お前は優しいな、ヘーラ」
側近へ向けるその眼差しには慈愛が満ち溢れていた。
その後、王は玉座から腰を上げ、窓辺へと歩いていく。
その最中に「お前が側近で良かった」と口元に笑みを浮かべながら言った。
「陛下……」
ヘーラは言葉に詰まった。
王が言った言葉にどことなく不穏な空気を感じ取ったからだ。
それはまるで最期を迎える者が口にする言葉であるかのような。
「せめて、民だけでも逃がしたいところだが――――」
そう言って王は窓から外を見渡した。
相変わらず黒雲が立ち込めている。