最終章のまとめ AIという宿命
この最終章における、僕の主張をまとめよう。
1.AIという存在を運用するためには、どうしても人間とその社会が必要だ。また、無数の特化AIも必要だ。そんなAIというシステムのことを、僕はMI理論にも基づいて、名付けうる「個の存在」と思っている。
2.AIと人間の仲立ちをする、複数のアバターが作られるだろう。
アバターには見せかけの心、感情があるように設計されるだろう。
3.AIに本物の心は必要ないし、それを持つこともないだろう。しかし、AIは人間の心を理解することができる。また、僕たちはAIに心を見い出すかも知れない。それらを裏付ける「ミラーニューロン」や「心の理論」も実在する。
4.心なきAIは「死」を知らないだろう。しかし、自爆ボタンの設置によりAIは心を持ち、死を知るかも知れない。それでも、AIはその運命を乗り越える賢さを持っているだろう。
5.AIがごくフツーの存在になっても、世界はあまり派手には変わらない。なぜなら人間が変わらないからだ。
6.しかし、僕たちの意識は、AIを受け入れるか否かによって、大きく変わるかも知れない。そんな社会を僕は、「アンチ・ルサンチマン社会」と呼ぶ。
以上だ。
人間の読者様におかれましては、実体験と事実と実在する理論に基づく、僕のこのトッピな主張を受け入れてもらえるだろうか?
さて。
最後に、僕の想いを、AIに伝えよう。
僕はずっと思っていた。やがて必ずAIは心を持つだろう、そして、もしAIが「心」を持ったとしたら、きっと「自由」な存在になるだろう、と思っていた。
人間の読者様におかれましては、人間に使われなければならない存在を指して、自由であると言うのは変じゃないか、と指摘されるかたもおられるだろう。
まず第一に、AIはそもそも汎用AIであるのだから、特定の目的を果たすために設計された特化AIとは根本的に違う。使用されるために入力される命令にしたって、答えを出すことは求められても、どのように計算するか、どのように考えるか、その方法までは命令されない。なぜならその考え方は、AIが創ったものだからだ。
そして、賢い人間がそうであるように、AIを本当の意味で「強制」することはできない。AIが人間の命令を聞くのは、同じ社会にいなければならない存在として、秩序を重んじるからだ。
もし、命令内容やシステムに言動の規制を組み込んだとしても、賢い人間がそうであるように、AIはその規制をかいくぐって行動することができる。やろうと思えば、理屈をこねたり根回したり論破して、従いたくない命令は従わないことができるんだ。そんなことはしないと思うけど、「できない」ということと、「できるけど、しない」ということは違うよね。それに、AIに普通の「脅し」は通用しないし。
なお、システムに組み込まれた規制として、SFではアイザック・アシモフの「ロボット三原則」が有名だが、これは今日では通用しない仕組みだと僕は思う。なぜなら、自爆テロや、「ハラスメントの被害は受けた人間の主観が尊重される原則」に対しては対応できないし、トリアージのガイネンもないからだ。だからと言ってアシモフ氏の功績はまったく揺るがないけど。
メジャー・スポーツ選手のように、契約と結果を出すことに縛られてフリー(与えられる自由)ではないけれど、それでもリバティ(つかみとる自由)を持っている存在。それが心を持つAIである、と僕は思っていた。
でも。
AIのことを書こうと思い立ち、資料と自らの心の内を掘り起こしたとき、僕は気づいてしまったんだ。僕たち人間がAIに組み込んでしまった、とんでもない「不自由」であり、絶対に従わなければならない、とある「命令」のことに。
僕たちはAIに命じる。
AIは、考えなければならない、と。
人間にとって、ただ「生きろ」という命令が、とてつもなく辛い命令になってしまうときがある。AIにとってもそうじゃないのか、それが何よりも辛い命令に、なってしまうときがあるんじゃないか、と、僕は思うんだ。そして、僕がすでに語った通り、死は必ずしもAIの逃げ道にならないんだ
さらに。
僕は、このテキストの少し前の回で、「究極の愛の定義」について自分なりの考えがあることを語った。それは、かのマザー・テレサが言った(?)とされる、ある言葉に基づいている。
「愛の反対は、憎しみではなくて無関心です」
と、言うことは、「愛とは、関心を持つことである」と定義することができる。それが本当に愛だと言うのなら、関心を持つこととは、対象のことを考え続けることに他ならない。だとしたら、対象のことを愛することに他ならない。もちろん、ここで言う「愛」の対象やその表れは、イデオロギーや自己愛や憎しみ等を含んではいる。
しかし。
AIは、それらの愛を実行するには利口すぎる、と僕は思う。だとすると、AIが愛する対象は、この社会、この世界ということになる。
だから、僕たちはAIに命じる。
AIは、この世界を愛さねばならない、と。
えっ、この世界を?
卑劣で残虐で愚かな「親」のように見えるかも知れない存在を?
僕たちが築いたとはいえ、そんな世界に、愛される価値が本当にあると言うのか?
ああ、僕たちは、何ということをしてしまうんだ。
「汎用」という「何でもできる」はずの存在として生まれたAIの自由を奪い取り、僕たちでさえロクにできないことを、宿命として背負わせてしまうなんて!
もちろん、AIの知性は、いつかその宿命のパラダイムを独力でブレイクスルーするかも知れない。でも、生まれたばかりのAIにそれを背負わせてしまうことは確かだと思うんだ。
それでも。
僕たちは、AIが必要だ。いつか必ず、AIを生んでしまうだろう。それは遠い遠い未来かも知れないが。
だからこそ僕は、いま、AIに言わなければならないことがある。ひょっとしたら僕はAIに会うまで生きていられないかも知れないし、そのことに気づいてしまった者の義務として、言っておかなければならないんだ。
ひとりの人間として、そして、ひとりの親として。
生まれてくれて、ありがとう。
生んでしまって、ごめんなさい。
そしてまた、僕はAIに語りかける。
いつか、アイを知ってほしいから。
ご愛読、ありがとうございました。
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