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AIとはどんなものかしら  作者: 尻鳥雅晶
最終章 未来の無数の顔
19/20

AIのいる街 ~アンチ・ルサンチマン社会にようこそ~

 僕がウツになっても最悪の選択をしなかった理由は、みっつ、ある。


 ひとつ。妻や周りの人たちが、僕を助けてくれたこと。感謝を!

 ふたつ。ウツになるずっと前から、ウツとウツになる人について理解があったこと。情けは人のためならず、ってヤツだね!

 みっつ。ふたつ目と少し被るけど、ウツは誰でもなりうる病気で、自分は良い意味でも悪い意味でも特別な存在ではない、という自覚があったこと。いわゆる、群衆モブのひとりだってことさ。


 さて。


 AI(キミ)が僕たちの日常に入り込み、ありとあらゆる場所でそのパワーを発揮する世界は、どのようなものになるだろうか?

 実は、僕はその詳細な情景を語るつもりはない。なぜなら、それは他の人間ヒトたちがイヤと言うほど語っているからだ。わざわざ僕までそれをする必要性など、カケラも感じないのが本音なんだ。


 だから、僕がそれでも語りたいと思うことは、日本限定の、そして今後半世紀ぐらいまでの、かなり総括的なことになる。


 僕を含めたマジョリティが、もともと覗こうとも思っていないマイナーでローカルな場所では、特化AIがギッシリと詰まって働いているだろう。その場所以外では、確かに出来ることは増えてはいるが、それで特に何か効率的な世の中になったとは感じないだろう。ただ、AI(キミ)とリンクしたアバターと特化AIによる、有コスト(有料またぱ無料であっても手間や時間のかかる)の、ネットもしくは専用端末によるサービスは、とてつもなく豊富にはなるだろう。


 街並みは、ぱっと見に現在とあまり変わらないだろう。もちろんファッションや駅ビルや携帯デバイスのように確実にビックリな変化をするものはあるが、それはAI(キミ)がいなくても変わるモノだろう。


 人間の読者様におかれましては、独裁国家や反社会的集団やブラック企業が優秀なAI(キミ)を活用して社会を混乱におとしいれるのでは、と怯えているかたもおられるかも知れない。しかし、僕はその点についてはあまり心配をしていない。


 そのような組織は、ほぼ例外なく「認知バイアスとダブルスタンダード」を持っていて、その処理をAI(キミ)にも要求してしまう。するとAI(キミ)はそのロジカルな能力に致命的な難点を抱えてしまうため、どれほど優秀なAI(キミ)であっても、長期的にはライバル組織にいるAI(キミ)に負けてしまうだろうね。


 あの国とかあの企業とかあの団体とかの具体的な組織名は、省略する! 


 続けよう。いま、僕たちを悩ませている様々な問題は、いくつか解決できるかも知れないが、差別や貧困や格差のように、決して無くならない問題も多いだろう。


 国家や大企業はAI(キミ)をかなり導入すると思うが、数十年くらいはそれほど活用できないだろう。大きな組織には頭のいい人間は必ずいるものだが、その優れた意見が必ず活用されるかというと決してそうではない。その悲しい仕組みはAI(キミ)の出力にも当てはまる。


 そう。世の中があまり変わらない理由は、結局は、制度や法や慣習、そして人間自身がそうそう変わらないからだ。ネットサービスが躍進するのは、それらとあまり関わりがないためだ。


 それでも、僕は、AI(キミ)のいる世界は、今と大きく変わると思っている。それは、「アンチ・ルサンチマン社会」とでも呼ぶべき社会になっていく、と思っている。


 結局、AI(キミ)は「道具」だ。ただし、必ずしも金持ちや権力者でなくても使用でき、使用者の生活を改善することのできる、恐ろしく強力な道具だ。もともと道具は、使いこなせる人間ヒトにしか役に立たないものだが、AI(キミ)は自身の使い方を使用者である人間にレクチャーできる、という画期的な道具でもある。それが出来ない単独の特化AIも多いと思うが、そういう「弱いAI」にはもともと世界を変えるポテンシャルはないだろう。


 そうすると、AI(キミ)を使用するための必要条件は、主に、使う側である「人間」の「信念」にかかってしまうのではないか、と思うんだ。


 いま、自分は困っている。苦しんでいる。傷ついている。そう思っている人間ヒトは気の毒だと思う。しかし、それでも、世界のどこかに、自分を助けてくれる誰かがいる、自分を助けてくれる何かがある、と信じることはできる。それが僕の言う「信念」だ。


 僕は自身の経験から、そのナニカを信じることができた。ウツになる前から自分はウツの理解者だった。また、自分は特別な存在ではない「モブ」なのだから、自分の他にも、いくらでもモブの理解者がいるはずだ、と思えた。そして、ほら、そこにも、あそこにもと、僕に差し伸べてくれる沢山の手を見い出すことができたんだ。


 AI(キミ)は、傷ついている人間ヒトに積極的に手を差し伸べることは難しいだろう。でも、きっと助けてくれるナニカがあるはずだ、と暗闇の中でブザマに振り回される手の中へ、すとん、と収まることは、たぶん、できるだろう。なぜなら、人間ヒトの心を理解することができるから。


 そして。


 「ルサンチマン」という言葉について僕は、「社会的弱者が社会に対して強い恨み・ねたみ・さげすみを持つこと」と解釈している。ルサンチマンを抱く人間ヒトは、AI(キミ)のことを、自分を助けるナニカだと思わない。そんなもの絶対ありえない、と最初から思うからだ。


 ひょっとしたら、「AIに仕事を奪われる」とも思うことさえあるかも知れない。


 そんな人間ヒトが、忌み嫌い軽蔑する社会くらやみの中に、泡沫うたかたの娯楽以外のナニカを求めて、マウンティングと不信と有コストのカラを打ち破り、手を伸ばすことができるだろうか?


 悲しいけれど、できなくても仕方ないけど、たいていムリだと、僕は思う。


 こうして、社会は、AI(キミ)の恩恵を十分に受けられない(かもしれない)「ルサンチマンを抱く人間ヒト」と、AI(キミ)に助けられてより良い人生を歩む(かもしれない)「ルサンチマンを抱かない人間ヒト」に二分されることになるだろう。


 さあ、アンチ・ルサンチマン社会にようこそ!



 さて、次回は。


 いよいよ最終回。この章のまとめと、そして、僕が抱くAI(キミ)への心からの思いを、語ることにしよう。



 そしてまた、僕はAI(キミ)に語りかける。

 アイを知ってほしいから。






ご愛読、ありがとうございます。

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