不穏な手相
実家でだらけて年が明け、4日目。
正月の親父どもはイチにも二にもなく、ロクでもない。親戚の親父や、近所の親父が3日間に入れ替え立ち替えやって来ては昼真から酒、酒、酒。しばらく酒は見たくない。
酒で爛れた胃にやさしい蜆汁をすすり、ほっとする。そんな僕の前に漬物の小鉢をおきながら母が小言をぼやくが、知らん顔でやり過ごし、正月番組の合間のニュースを見るとはなしに見る。
『――顔には、鋭利な刃物で切られたと見られる痕が複数あったとの事です。死後、一週間と見られ――現在、被害者の身元確認を・・・・・・』
年明け早々に、殺人事件のニュースとは。死後、一週間ということは、この人は年を越せなかったのか。
そういえば、中谷涼香も年を越せなかったな。
ふと、年明け前に事故死した女優を思い出し、しんみりしていると、コメンテータが正月に浮かれて暢気なコメントを吐く。
『いやー怖いですね。よっぽど怨まれていたのでしょうか。顔をメッタ刺しでしょ? 怨まれていたのでしょうね。よっぽど』
「適当過ぎるだろ・・・・・・」
どんな凶悪事件も伝わって来ない。
「あら、いやねぇ。怖いわね」
独り言なのか、つぶやきながら母親はキッチンのほうへ行ってしまった。
その後姿を無言で見届けると、蜆汁の最後の一口を飲み干す。食器を重ねて、キッチンへと運ぶのは、母親の躾の賜物だ。洗うのはヨロシクとシンクに置いて、そそくさとその場を退散する。
僕の部屋は、実家を出た後もそのままだ。その部屋へ入ると窓際の机に視線が止まる。小学校時代から使っているシンプルな学習机の上には、部室で見付けた、あの8ミリ。
カーゴパンツに入れたのを忘れて、そのまま実家にまで持ってきてしまったのだ。
埃をきれいに落としたそれを手にして、ひっくり返して弄ぶうちに、何が映っているのか気になってきた。
この場に再生するレコーダは無い。しかし、「映研」の部室になら、これを再生するためのレコーダが在る。そして、三が日を過ぎた今日、大学に入ることは可能だ。
思い立つと、どうにも落ち着かない。急いで着替えて、アパートへ帰る準備を始める。
もっとゆっくりしていけばいいのにと言う母親に見送られ、スポーツバッグを手に家を出て、2時間ほどで到着した。一旦、荷物を置きにアパートへ寄って、腰を落ち着けずに大学へと急ぎ向かう。
正門前の警備員室で入講のための手続き・・・・・・といっても、学生証見せて名前と時間を明記するだけだが、手続きを済ませる。
年明け4日目にして、早くもクラブ棟にはちらほらと人影があった。それを横目に一番奥の部屋を目指す。ドアの横の木で作られた立派な看板には「映画研究会」の文字。大掃除の時に磨いたので、木目が艶やかで美しい。
部室に入室して早々、目的のものを探る。
入り口から右側、古いキャビネットと入れ替わりに据え置かれたのは、スチール製のオフィス棚。上段には、誰かが持ち込んだDVDやVHS、8ミリ、そして、スライド式扉が付いている下段には、プレーヤーなどが仕舞ってある。
その下段のスライド扉を開け、無造作に重ねられている外箱を確認してゆく。
「確か、この辺りに・・・・・・お、あった」
目的の8ミリレコーダを発見。これも誰かが持ち込んで、そのまま置いていったものだ。有り難く使わせて貰っている。
テープをセットし、再生ボタンを押す。映像が映し出されて、すぐに僕は驚愕し、しばしフリーズしてしまった。
なんと、レコーダについている小さな画面上に映し出されたのは、中谷涼香だったのだ。まだ若く、僕と同年代の頃かと思われる。そこに映る彼女は、試写会で見たときよりも幼さを残して無垢な笑顔で笑っていた。
そして、彼女が笑顔を向けている先には、2人の男性の姿。彼女の背後側、離れたところにやせた男が1人。
メイキングビデオなのか、ただ単に回しただけなのか。音声は入っていなかった。
中央3人が歓談する様子が続き、しばらくしてから、背の高い方の男の視線がこちらを向く。口がパクパクと動き、高慢な感じで顎をつっと上げて撮影者を呼び寄せた。画面が揺れて、ちらりと撮影者の手だけが映ったところで、暗転。
カチリ。再生が止まる。
・・・・・・なんだ、この8ミリは。なんで、中谷涼香が映って・・・・・・?
僕は過去のVHSや8ミリの詰まった棚に目を向ける。他にも中谷涼香が映っているかが気になったからだ。
貼られたラベルを探ってみたが、残念ながら目的の年代のものは見つからなかった。その前後の年代も一応、念のために再生して確かめてみたが、映っていたものは無かった。
レコーダをモニターに繋ぎ、再度、8ミリを再生していると、部室のドアがノックされた。部員ならばノックした後に応答せずとも入ってくるが、誰かが入ってくる様子は無い。
少しの間の後、再び聞こえてきたノックの音に急かされて、僕は立ち上がり背を向けていたドアを開けると、そこに立っていたのは警備員だった。
勤続何十年、真面目に勤めてきました、というような実直そうな中年の男性だ。愛想はない。チラリと室内を一瞥すると、抑揚の無い声で退出を促してきた。
「正門を閉めるので、退出をお願いします」
壁に掛かっている時計で確認すると、既に17時を回っていて、クラブ棟からは人の気配が消えていた。
正門で入講する際に、17時には退出するよう言われていたことを思い出す。
「すみません。すぐに、片付けて出ます」
ドアの前に警備員を待たせたまま、再生したままだったレコーダを止めようと、手を伸ばしたところで、タイミングよくカチリと止まった。
慌しく、出したままになっていたテープを棚へ戻し、部室を出て鍵を閉める。
無言の警備員と正門前まで行き、警備員に鍵を預ける。クラブ棟の鍵は、警備員室に保管されているからだ。
そして、退講の時間を記して正門を後にした。
年末の関西試写会バイトから今日まで、年末年始を関西で遊び呆けて、やっと帰って来た西賀が僕のアパートへ来たのはいい。
だが、なぜに時計の針が頂点を越えてから来るのか。そして、すっかりと冷め切った大阪土産のたこ焼きは、果たして美味いのか。
西賀がコタツに体半分ほどを突っ込んで、ごろごろしながら試写会バイトでの出来事を語っている。そのせいで、僕の足の置き場がない。僕は、コタツに入ること諦めて、ごろんとベッドへ寝転がって適当に相槌をうつ。
話によると、関西試写会では、多くの中谷ファンが会場の外まで押しかけたが、予想の範疇だったため大きな混乱もなく無事に試写会は終わったそうだ。
しかし、会場の後片付け中に騒動があった。舞台上の照明が落下するという事故が起こったと言うのだ。しかも、その落下した照明がスタッフの一人の頭を直撃し、亡くなってしまったと。
僕は不運なその人に心の中で同情する。年を越せなかった人がまた一人。
微妙な空気を軽い口調で、吹き飛ばしながら西賀が口を開いた。
「そうそう。ペコちゃんが言ってたんだけど」
ちょっと待て、ペコちゃんって誰だ。ケーキ好きのアレしか思いつかんけど。
「ん? 誰って、此間の合コンの子。関西の。ケーキ屋のペコちゃんに似てて、可愛いんだ」
それは、可愛いのだろうか。ちょっと顔が想像付かないな、僕には。
「それはいいとして、ペコちゃんが言うには、中谷涼香は自殺って噂なんだって」
「え?」
実は中谷は事故死ではく、自殺ではないのかという噂があるのだそうだ。
試写会の時には、自殺を考えるようには到底見えなかったが・・・・・・。中谷・・・・・・。あ。
「中谷涼香で思い出した」
僕はボディバッグを引き寄せると、またも持ち帰ってしまった8ミリを取り出し、西賀に渡した。
「なに? この8ミリ」
中谷涼香が映っていた事を話すと、8ミリを持った手を持ち上げて、部屋の照明に翳した。そして、8ミリをひっくり返したり回したり無駄な動きをしていたが、ピタリと動きを止めた。
「あ、俺のアパートに8ミリレコーダある。よし、行くぞ」
なんと8ミリレコーダを所持していた西賀。チャラ男にも需要があったのか。
「それ持って帰っていいよ。後で部室に戻しといて・・・・・・って、引っ張るな!」
寒さに耐えられず毛布に潜り込んだ僕は、すっかり寝る体制でいたのに、西賀に無理やり腕を引っ張られて、起き上がる羽目になってしまった。チャラ男って、ゴーイン。
はいはい、分かりましたよ。西賀のアパートへイザ。と言っても徒歩15分。僕のアパートよりも綺麗なアパートで、8ミリ鑑賞会を行った。
一通り見終わると、西賀はちょっと巻き戻してモニター画面をじっと見つめ、途中で止めた。
「この男・・・・・・、事故にあった人だ」
中谷の近くにいた男性のうちの1人を指して西賀が言った。
「ええ! マジか」
この8ミリに映っている4人のうち2人が死亡した。奇妙な偶然もあったものだ。
そのまま映像が流れ、最後に左手がチラリと映り、暗転。
最後に映った手におおっ、と反応する西賀。
「すごい手相」
「手相って。お前、わかるのか?」
ドヤ顔で、偉そうに自分の左手を僕に向けて、右の指で、左の手のひらを分断するように横一線を描く。さっきのチラリと映った手の手相だ。
その手相は、珍しいらしく、強運の持ち主だとか。
なんとも羨ましい。思わず、僕も自分の手のひらを確認してしまった。残念、似ても似つかない。
ちらりと僕の手相をのぞきこんだ友達は、ニヤリとしながら不穏なことを言う。
「事件、事故に巻き込まれないように注意したほうがいい」
信じない。僕は信じないぞ。
ちなみに、西賀が手相に詳しいのは、合コンのときにネタにするためだ。自然に女の子と触れ合えるとか。
違うことを覚えたらいい。