国道沿い 著作:魔法の速度、収録
お読みいただきありがとうございます。
既に、収録している話ですが、好きな話だったので、こちらに載せることにしました。
明日は休みだ。翔也は仕事を終えて、電車が最寄り駅の隣までだったので、特に急ぐ必要はないから、隣駅から自宅まで歩いていた。携帯のウォークマンからは暫く聴いていなかったポップロックバンドの音楽が流れていた。よく聴いているメタルやジャズに比べれば、曲はかなり単調であるけれども、現状辛くてもそれでオーライだ、なんていう意味の歌詞が励ましてくれるものだから、確かに置かれている場については変えられるものではないと、彼は思い黙々と開き直り歩いていた。とはいえ、明日の休日は何しようという色んな選択肢が箱の中に入っていて、ランダムに取り出しても、どれも一人で何かするんだなという条件反射のようなため息を吐いてる自分は想像ついていた。
黙々と歩いていると国道沿いに銀杏の街路樹が鮮やかに咲き、道路には落ち葉が散らばっていた。その銀杏の輝きに彼は気づいて、じっと樹木を見ていた。すぐ数メートル先には別の銀杏が並んでいる。ただどうしてなのだろう、翔也にはこの銀杏一つ一つは独立していて、決して群れてはいないような気がした。彼はあまり銀杏の樹を鮮やかに感じることはなかった気がした。日が沈み辺りが暗い中から余計に葉っぱの鮮やかさが際立ったのだろうか。それとも彼の中に落とし込んでいたなにかに銀杏の姿が呼応したのだろうか。
ここ最近、彼は連日に渡り悪夢を見ていた。寒いから、風邪をひかないように、早めに就寝するから合間に夢を見やすいのかもしれないと彼は思っていた。その夢のほとんどは彼自身が抑圧してたものが現れていたものだと思った。特徴ある夢だから、彼は覚えている限り、思い直していた。父親の愚かな姿とか、仲間内の間で果たせなかった自分の惨めさとか、彼女から連絡の着信で起きそうになった夢とか。いやいや、ちょっと待てと連絡が帰ってきたのが夢なら、それは俺の望んでいることなのだから、もしかすると、悔しかった夢の惨めさも本当は俺自身がそのように吊し上げられたかったのだろうか、罪悪感なり責任感を感じていたのだろうか。だとしたら、お父さんの夢は・・・。
彼が父親の夢を観る前に、彼はホラー映画を観ていた。家族の父親が家族を守るために侵入者と戦う映画だった。その影響から、観た夢も侵入者が出ていた。かつて幼稚園生の頃に落書きした絵が残っている実家の廊下が舞台だった。
夢のなかで父が薬を探していた。そこに凶器を構えた侵入者が立っていた。夢の中で翔也はその危険に気づいていた。しかし、父は中々気づかずマイペースだった。いつも通りの怒りと危険を翔也は叫びたかった。ところが叫ぼうとしても声が出ない。父は武道家でも、気づいていないから刃物に倒れることは十分に考えられる。ふざけるな、どこまで自分のことしか目に入らない人なのか、翔也は気づいてほしく必死に叫んだ。叫び声は実際に現実の叫び声に変わって彼は夢から起き上がったのだった。あれは父親がそのままの姿でよかったということなのだろうか、常に自分たちの苛立ちの矛先であってほしいのだろうか、翔也にはよくわからなかった。
夢の中では色んな人が登場する。昔の場面も今という現実の合間に臨在している。ならば将来のこともまた蓄積していく身体に色々な場面として残っていくのだろう。社会的な生き物は樹木のようにはなれないのかもしれない。もしくは樹木にだって社会的な過去を記憶に眠ったりするのかもしれない。どちらにせよ、樹木に俺は相容れない。なにがオーライなのか、俺にはわからない。ただ、流れゆく今の場を受け止めることがオーライならば、とりあえずはこれまでが俺の確かに過ごしたであろう日々の数々であって、これから過ごすであろう日々だって、また移りゆきオーライに変わるのだろうか。翔也には現時点では納得できなかった。彼にはその意味を合理的には解釈できないかもしれない。なぜなら、彼には生きているものが受けるものは常に合理的には思えないのであるから。ただ、結論を保留することで、感じるままに色々な体験を積めるかもしれないと思った。過去のことは聞かねえで下さいや。明日、どうなるかもわからないもんでして。
朝に落ち葉が風に吹かれてくるくる回っていたのを彼は思いだした。ふと、彼はその葉っぱの軽やかさに自分と重なるものを感じ、ふん、俺はただ葉っぱのようにくるくる回っているのかもしれないと生きている自分を捉え直しては銀杏の木から離れ、再び家までの道を真っ直ぐ歩き続けた。