面談
今日は身体が重かった。生理まではだいたい二週間ほど間があったはずだが、とりわけ心臓が、というより「心」が重かった。幼少期に熱性けいれんを起こしたことがあるらしいが、その後遺症と関係はないように思える。
夕方6時、夏至を過ぎた空はゆっくりとその幕を下ろしている。三者面談での役割を終え私は空模様を飽きもせず眺めていた。教室の中では母親と担任が、何やら込み入った話をしている。あの人のことだ、文字通り面倒をかけているに違いない。
いつものように恨み言をつらつらと考えていると、隣の教室から同学年の三井さんが彼女の母と出てきた。何があったのか彼女の母は、身体と比例しているのではないかと考えるくらいに大笑いしていた。彼女は心底嫌そうな顔を向け、母親に教室を後にするよう催促している。しかし一向に応じる気配はなかった。そんな困っている彼女に同情しつつも、普段会話をする中で歯をむき出しで笑う姿が誰に似たのかは、明らかのように思えた。
ようやくの思いで教室を後にした彼女は、廊下で待ち呆けている私を見つけると、表情のコントロールが上手く出来ないままにすがり寄ってきた。彼女は予想通りの愚痴をこぼすと、最後に「どう思う」と問いかけてきた。私は「親子なんだし仕方ないんじゃない」と当たり障りなく返した。
大きくため息を吐きながらも納得したようで、最後は母親に腕を引かれ、場を後にした。
「いつもながら豪快なお母さんで、圧倒されっぱなしだったよ」
うんうんと感嘆を込めて話す石川先生に私は、自分の置かれた状況が、望まぬ形で叶ってしまったことに気が付いた。不意な出来事は此処まで言葉が出ないものなのか。
「あ、こんばんは……先生」
五限の数学で会ったというのに何を言っているのだろうか。先生は礼儀がいいのだと勘違いして、時刻も関係なく爛漫な顔で挨拶を返したくれた。
「橋本も今日なのか」
「はい、そうなんです。母と先生は何だか話があるようで」
私が少し口ごもって答えたのを気にしてか、案じるように励ましてくれた。
「大丈夫、橋本は成績がいいからな、気にすることはないさ」
元担任の俺が保証する、胸を張って答える先生を見ながら、父親が居たならこのような感覚だったのかと考える。だがそれは、先生に会う度に去来する胸の高鳴への説明とは矛盾する。この心を理解できるのは、残念ながら、あの人だけだ。
教室の扉が開き、母が満足そうに教室から出てきた。この瞬間が見たくなくて、私は石川先生を遠ざけておきたかったのに、間の悪い人だ。
案の定、悪夢は現実になった。私に似て、というより私が似たのか。母は猫撫で声でなく、努めて品格を保つように言葉を交わす。品格という器に注がれた女の色気が鼻について、私は顔をしかめずにはいられなかった。母は石川先生の手を取り、さも私のことを一番に考えているかのように振舞う。
この事態を予測していた、だからこそ避けたかった。犬や猫のように周期があるのだと考えていた、その周期さえ外れてしまえば問題はないと思い込んでいた。あの人を誰よりも近くで見ていたからこそ、過信してしまった。
私は幾度か父親が変わっている。その度、母に学んだ、男をどう扱うべきなのか。そういった才能には長けた人だということはわかっていたから、そう振舞うのが効率的だと理解していた。
帰り道、母がいつもの調子で口を開いた。
「そろそろ受験でしょ、数学ばかり成績が良くたってダメよ」諭すわけでも、咎めるわけでもなく話す。
ダメよ、その言葉にどのような含みを持たせていたのか、想像に容易い。この人は気付いている。
母よりは信じてしまっていたのだ、「想い」などという泡沫に似たものを。
結果を憎むことはない、先天性に抗えないのが人だ。
あぁ、でも、どうして。
そうか、親子なのだから仕方がないのか。