第一話 此処は何処?私はだあれ?
不定期投稿です。(初心者なので、よく手直しします。)
平成4年の夏、前畑 隆(25歳)は、対馬下島を流れる佐須川水系の渓流にいた。
最近流行りの週末遠征ではなく、長崎県下県郡(今の対馬市)の水産会社に転勤した後、ゼロハンバイクを駆って、休み毎に少しずつ行動範囲を広げながら、魚類調査と銘打って川に繰り出していたのである。
趣味の魚類調査は、投網やエビ玉、普通に手網を使ってガサ(ガサガサ)もやるものの、元々無類の釣り好きの彼はルアー&フライフィッシングに凝っており、本日はフライロッドを持ち出している。
ここ佐須川はヤマメの放流歴があり、本流の橋の上から深みを覗くと、それらしい魚影もちらほら見られたものの、『人に見つかると入漁料を取られる?』と当人は勘違いしており、しがない支流の浅場狙いに落ち着いた。
ここで『フライフィッシング』こと”西洋式毛針釣り”を説明すると、専用のリール竿である『フライロッド』・『フライリール』・『フライライン』といった組み合わせのシステムを使った『毛針釣り』であり、”和式毛針釣り”に比べて、遠くの魚を狙うことが出来、警戒心の強いサケ・マス属の魚を釣るのに適していると云われていた。もちろん、足元の魚も狙えるのだが・・・。
「教養を身に着けるスポーツとして、どこかの大学の授業で、生徒が習っているらしい。」とも話に聞くフライフィッシングだが、『フライキャスティング』と呼ばれる特殊な投げ方が必要となる。 ・・・ぶっちゃけハイカラな釣りである。
彼は自己流に近いものの、昨年まではお隣の島、壱岐郡(今の壱岐市)でさんざん練習しているので、その扱いには天狗になるくらいには自信がある。残念ながら、夏季に水温が30℃を超えるような壱岐の川で、鮎以外のサケ・マス属は居らず、釣ったのは初心者向きの、カワムツとブルーギルばっかり。
本日のお目当は、魚類図鑑で調べた イダ(ウグイ)・タカハヤ・カワムツの生息確認。残念ながら鮎以外のサケ・マスの類は、此処対馬では未生息とされる。川の水量が少ない為だ。
・・・過去に産卵遡上があったらしいのだが、絶対数が低く、川枯れもあるので再生産しない。親魚たるシロザケやサクラマスは、海の定置網には入るのに・・・。
「再生産しないのに、なんでヤマメを放流してるの?」とお思いの方もいるでしょうが、ここ佐須川は比較的水量があるものの、過去に「鉱毒で魚の住めない川」だったらしく、それが無ければ『天然ヤマメ』が居たかも知れない川 。水質が戻ってきたそうなので、テスト放流されたようです。
彼が狙うは、流れが比較的まっすぐで、木の枝がかろうじて水面を避ける山影のポイント。ここで(魚が)出なけりゃ、何処で出るのか?といった絵にかいたような好ポイントであった。ウェーダー(胴長靴)を履いて下流側に立ち、ごく普通に上流側に、3度目程のフォワードキャスト(フライキャスティングでは、ムチを扱うようにフォワードキャストとバックキャストを交互に繰り返し=フォル(ス)キャスト、ラインを少しずつ伸ばしてポイントを狙う)。の後、シュート。
クリーム色のフライラインがムチの様に伸び、その先の透明なリーダーも延長上に伸びるや、パラッシュートタイプのフライ(毛針)がふわっと水面に落ち・・・・・・そうで落ちない??? なんとフライが空中停止しています。彼は超能力者で、異能力を発揮出来たのかっっっ・・・その実、見事にクモの糸に掛かっています。
普通の人に話すと恥ずかしい話かもですが、「釣り人あるある」です。 冬季の鏡の様な水面に向けてルアーを投げたら、氷が張っていて、「ルアーが五段飛びして滑って行った!」とかです。
「これは仕方がない。」と思ってポイントを横断して(つぶしながら)、フライを回収に行く。川下からは見えなかったのだが、案の定、コガネグモ系の丈夫な糸が、リーダーに絡みついている。
「これ、手では取れないんよな~」と、ラインカッターでリーダーを切って結び直すか? 針側にしごいて、騙せるうちはこのまま使うか? と思案中。・・・・・・の視野内に、「ひょい」と何かが飛び込んだ。
「小さい、でも鳥ではない!」クマやイノシシ等の大型獣で無い事に、まず胸を撫でおろしてから、ゆっくりと侵入者?を探す。暗がりの岩場に、時々こげ茶か灰色の毛並みが見えるのだが、動きが速く、ゆれる下草のおかげでやっと目で追える程度。
イタチ型だと思うが、なにせ暗くて断片しか見えず、時々止まるので、何とはなしに少し追いかけてみた。日本イタチなら小さいはずで、ここ対馬だと普通種は朝鮮イタチか? しかしながら壱岐ではそれらしい物を見たものの、対馬でよく見るのは『後ろ姿のみ』の天然記念物、ツシマテン。会社の木造倉庫の主である。その動きから、さすがにウサギやツシマヤマネコ、ハクビシンではないようだ。
山側にいっきに逃げるでもなく、やや川沿いに、上流へ向かっているようだ。絶滅したと云われつつも、日本各地で今でも目撃された?と言う二ホンカワウソだといいのに・・・とも考えるが、「最後に個体が確認されたカワウソ(高知県のしんじょう川産)は、学生に保護された」と記事で読んだことがあった。あの辺りは中・下流域の様相を持つ広い流れで、海からすぐとはいえ『このような渓流にも住む』といったイメージが全くなく、「願望と重ねているなあ。」と自身で思いつつ、追っていく。もう少しで掴めるような距離になり、「ひょっとしたら(正体が)つかめるか?」と思いつつ、少し大き目の岩を乗り越えた時、「フッ」と目の前が真っ暗になった。
「っ痛ー」気が付くと、少し深くなった河原で、真上を向いていた。岩の陰を覆った苔が、50cm程、だが削られている。ウェーダーのフェルト底にスパイクピンが無かった為だが、段差に気が付かず、一気に滑り落ちたようだ。
運良く頭は打たなかったものの、背中がじんわり痛い。現状、軽い打撲程度のようだった。クッションになってくれたフィッシングベストの浮力体が無ければ、本当にまずかったかもしれない。なんせ、本格渓流用のヘルメットは着けてなかったのだから。
本来の目的以外に気を取られて、『危うく遭難』といった危険に直面したので、大事をとって早めに帰宅することにした。既に何匹かのカワムツ・タカハヤは釣った後で、イダの魚影も確認出来ている。「いやあ、反省、反省っと。」・・・自分でも、やけにあっさりしているとは思いつつ。
帰り道、何故か、体が軽いような気がした。
後に彼は知る事となる。
彼そっくりで『好奇心』の特に強い別人格が、彼から分裂し、未知の平原で「っつ痛~」と目を覚ました事に。
「いっつっ痛~~~! って、なんで原っぱ? 此処は何処? 私は・・・あれ?だあれ? 」