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あとがき
尊敬していた先生、またクラスメイトが数か月のうちに立て続けにこの世を去り、ぼくはいずれ忘却するであろう哀しみを言葉として残すことにした。「あらすじ」には『祈る詩集』と書いたが、建前だった。本当のところは、ぼくが、ぼくに対して表明した、のうのうと生きてきたことに対する軽蔑の念だった。
明日があるつもりで生きる。
愚かであった。そういうつもりで生きることは、ある種、死者への背きであるような気もした。ぼくは、多くの犠牲のうえに成り立った平和で生きている。死がどこか切り離された空間。しかしそれは錯覚だった。そう学んだ。
喜ばしいことも多い。悲報と同量ほどの吉報もあった。
しかし、かなしみとうれしさの容器は必ずしも同一とは限らない。切り離された感覚。それを言葉にできたなら、どれほどよかっただろう。詩の中の『あたし』との、漠然とした距離感がいまだにある。寄り添えているようで、つかみきれない。ことばの本質のひとかけらも、まだ、わからない。
エイプリルフールの魔力で、かなしみなんて消えちまえばいいのに。
2019/04/01




