THE FIRST STORY 真一と梨花 < 似た男>
その男は、僕の前の座席に座った。別に何も感じない普通の男だった。大きなマスクをしているので目の表情しかわからない。質のいいスニーカーとジーンズをはいているのが見えた。僕の好みとよく似ていた。それだけで、ほのかな好感を持った。よくあることだ。
逆の場合もある。趣味に合わない履物やパンツが見えれば、知りもしない人を少し嫌いになる。女ならその傾向が少し強くなる。
その日もいつものように本を読んでうつむいている。目は極力にあわさないようにする。その男は、席について5分もすると、ワッとかオッとかいう声がマスコごしに聞こえた。いつものことだった。
僕は知人といるときには、しゃべり過ぎず黙りすぎず、時々面白いことも言った。知人といっても仕事関係がほとんどで友人は少ない。恋人もいなくはなかったが熱烈に愛しているというのではなかった。ただ、愛しているふりはうまかったかもしれない。
一人でいる時には人と交わるのがうっとうしかった。一番好きな時間は、本を読み音楽を聴き、うとうとしたり、そんな時間だ。
僕は、少しだけ世間に顔を知られていた。最近僕が書いた本がドラマになったからだ。その本の裏表紙に小さな写真が載った。それでも、芸能人のように大きなマスクやメガネで変装するようなことはない。そこまで有名でもないのだ。
僕の前の座席にすわった男は、失礼なぐらいにこちらをジロジロ見てくる、うつむいているのに視線を感じる。横顔ものぞいてくる。心底うっとおしいと思った。
知り合いか?そう思って顔を上げた。大きなマスクをした目は、ニコニコ笑っている。が知り合いではない。その男がゆっくりとマスクを外した。
僕は、その時のことを生涯忘れないだろう。ほんの数秒だったのだろうが、5分ぐらいは呆然としていたような気がする。自分自身がマスクを外す様子をスローモーションで見ているような奇妙な錯覚にとらわれていた。その男が完全にマスクを外したときに、僕は、おおっと声が出た。瓜二つとはこのことだった。
その男は相変わらずニコニコしながら、「似てますよね。」といった。「ええ」と答えるのがやっとだった。その男のニコニコ顔がうれしかった。僕と、そっくりな男は、僕と似ていることを喜んでいる。不思議なもので、知らない街で親戚に出会ったような温かい気分になった。
「大きなマスクしてるんだね。」「そら、そうですよ。そっくりやから、道で声かけられますもん。」 その男は関西弁だった。僕は身寄りが少ない。関西には全く知り合いはいなかった。それに関西には、少し苦手意識もあった。
しかし、その男の関西弁を聞いてすぐに好感を持った。自分に似た男を無条件で好きになるのは、僕が自分を大好きだからだろうと感じた。僕が自分自身を大好きなんだと知ったのはこの時だった。
考えてみれば妙な話である。本人は、マスクはおろかメガネもかけずに歩いているのに、僕に似たこの男は大きなマスクで顔を隠して歩いている。「島本さんは、知らんかったやろけど、僕は自分が島本さんに似てるのん、よくわかってるんですよ。時々新聞なんかで見ますからね。」それは、そうだ。
その男は声のトーンを落として話している。僕の、目立ちたくない気持ちをを考えて静かに話してくれている。気が付くのだ。そこも、その男を好きになった理由だろう。この男の関西弁は、なんとなく知的な感じもした。
「僕、顔はそっくりやのに、島本さんみたいに垢ぬけてないわけですよ。そしたら、女の人、なんとなく僕にがっかりするんですよ。僕、何にも悪いことしてないのに。なんか、理不尽ですよね。」それとなくクレームを受けて僕はその男に、一杯おごりたくなっていた。なんとなく、年下とわかる。
「君いくつ?」「今年30になりました。」「じゃあ、5つ下か。」「仕事何してるの?」「不動産会社で働いています。」生まれて始めて初対面の人間にプライベートな質問をした。普段そういう失礼なことはしない。
第一、僕はそんなに社交的ではなかった。この男には、いきなりプライベートなことを聞き、その上連絡先の交換までしてしまった。僕は、自分に似た男をいきなり信用して好きになり、次に会う約束までしたのだった。
僕にそっくりな男と別れるとき、少しさびしさまで感じた。なんだか、鼻の奥の方から奇妙な違和感が湧いてきた。気が付けば目がしらが熱くなっていた。
僕は、自分を好きだったんだ。35にして初めて自分の本性が分かった気がした。僕は自分が自己愛の強い奴で、意外にいい奴かもしれないと気が付いた。