第66話「痛くない!精神よ。肉体を超越せよ!」
その顔には見覚えがある。確かこの前まで山林教育大の教授をやっていた室井シンイチだ。
僕のビデオを何度も撮影し、見ていた男だ。
変態野郎め。僕は胸中で毒づいた。
県知事は冷静にこちらを見つめている。
流石に県政のトップに立つ男だ。落ち着いている。
そして、脇腹の外傷も口を開け、出血はYシャツを濡らした。
「君、その血は?」
僕の怪我に気が付いた県知事が何か対応しようとする。
「お待ちください。失礼」
僕は僅かに下がった意識レベルを上げるために胸ポケットから薬を取り出した。
痛み止め…ではない。
ソトラテジラというADHDの症状緩和のために使われる中枢神経刺激薬だ。
この薬には覚醒作用があるが、血圧を上昇させる副作用もある。
つまり、出血量は減るどころか増すことになる。
県知事もそれを認識していた。
「これで五分はパフォーマンスを維持できる」
そう呟いた僕に県知事は、
「正気か?」
声を絞り出した。
「イカれている」
変態野郎が言った。
お前などに褒められたくない。
僕はそう思ったがどうでもよかった。
「ここは私にお任せ下さい」
教育総司令部長、つまりは木材谷マサオミが冷静さを欠いた二人を制した。
「受験番号四九番の江藤さん。こちらで個別の面接をします。遠慮なく言いたいことを述べて下さい」
僕はその声に従い、ついて行く。
残された二名の受験生、そして、四名の面接官に安堵の表情が浮かんだ。
通された場所は教育将軍室だ。
「こちらへどうぞ」
促され、入室する。
と同時に銀の刃が閃いた。
木材谷マサオミの喉を狙う。
しかし、僕の繰り出した刃は彼の武器によって弾かれた。
そして、間合いをとる。
僕は窮屈な特殊メイクマスクを外した。
「やはりお前か。田中エイタ」
木材谷は既に鉄槌を右手に構えていた。
「あんたを消しに来た」
「負け犬であるお前にできるわけがない。お前ごときにホームレスは務まらない。無価値な人間だ。何の職にも就けずに餓死でもするのが最も似合っている」
雑音を雑音と認識することには慣れた。
互いにデバイスはもはや持っていない。
奴の肉体を破壊すればいいのだ。
「『人類の最適化』なんてさせない!」
僕は叫んだ。
今の状態では『ディライヴ』すらもはや使えないが僕は精神力を全て引き出すイメージをした。
何の攻撃も受け付けない鎧に包まれたような気がした。
もちろん、物理的には今や何の関係もない。
今だけでいい。
ベリーのような力が欲しい。
でも、死んでもいいなんて思わない。
生きる覚悟こそ真の覚悟。
今、ありったけの力を奴にぶつけて勝ちたい。
そう願った。
振り下ろされる鉄槌から身をかわす。
腹と足の激痛は止まらない。
意識は鮮明だ。
ベリーはこの攻撃をナイフで受け流していたが、僕にそんな技術はない。
それでも勝つ。
僕は迷わず敵に向かって飛び込んだ。
何のフェイントもない単調な動き。
鉄槌の一撃が僕の脳天を捉えた。
激痛と共に意識が遠のくのを感じる。
だが、痛みはただの危険信号。
痛みを痛みと思わなければいいのだ。
今一度自分を信じよ!
僕は念じた。
自分には銀の翼がある。
感じるままに翔べばいいのだ。
「痛くない!精神よ。肉体を超越せよ!」
僕は絶叫していた。
攻撃を避けることはできていない。
防ぐこともできていない。
ダメージを減らすこともできていない。
だが、危険信号たる『痛み』は僕の思考により補正され、緩和された。
そして、意識は…
エイタの肉体と精神の限界は?