第61話「私が悪かったわ。私たちもう一度やり直さない?」
ここまでは順調である。
池海さん等は固唾を飲んで見守っている。
僕は周囲の気配を探りながらデバイスに近づく。
これが本物であることを確認し、破壊できれば勝ちだ。
奴との距離は五十メートル程度。
本物が別にあって、攻撃を仕掛けてきたとしても十分対応可能な距離だ。
再度、周囲の気配を入念に探る。
やはり気配は感じられない。
デバイサーは近くにはいない。
僕はデバイスに左手を伸ばす。
その瞬間に激痛が左腕を襲った。
金属製の矢が左腕に刺さっている。
これは普通の物理攻撃だ。
僕は反射的にデバイスを右手に持ち替えていた。
周囲に気配はなかったのは確かだ。
それはデバイサーの気配だ。
僕は普通の人間の存在を忘れていた。
いや、ここはかなり見通しがいい。
僕の腕をこんなに正確に打ち抜いたのは常人では持ちえない卓越した技術である。更に言うならばPERデバイスによるガードを打ち抜いた威力。恐らくは筋力だけではなく、位置エネルギーも利用しないと不可能であろうが、そういう意味においてこれをやったのは普通の人間ではない。
僕は矢が刺さった左腕を放置してデバイスの確認にかかった。
抜けば血が噴き出すし、そんな暇もない。
次の矢が飛んでくる可能性がある。
僕は矢の飛んできた方向の見当をつけ、建物の陰に向かった。
「大丈夫か!?」
池海さんが声をかけてくる。
「はい!ですがとんでもないボウガンの名手がいます。どこか安全な場所へ!」
「分かった!」
しかし、ただならぬ殺気を感じ、僕は立ち止まる。
僕は声を上げる。
「こちらの要求とは違う。これが最後だ。確認作業の妨害を止めなければ小野澤キヨシは今殺す」
「それはさせないわ!」
聞き覚えのある女の声は僕の真上から聞こえた。
見上げるとむさし会館の屋上に見覚えのある若い女が立っている。
僕のかつての彼女であり、小野澤キヨシの娘、小野澤アミだ。
彼女はスーツ姿でボウガンを構えていた。
彼女は弓道部出身だが、ボウガンも使えるとは。
「君だったのか。久しぶりだね。ボウガンを捨てるんだ。でなければお父さんは死ぬ」
「分かったわ。お父さんを離して!」
彼女が父を助けたいのは本心だろう。
「それはできない。でもボウガンは捨てろ」
僕はできるだけ冷徹に告げた。
「私が悪かったわ。私たちもう一度やり直さない?」
その台詞は最高に効果のあるものだと彼女は信じていただろう。実際、以前の僕ならばあっさりと揺らいでいただろう。しかし、今の僕にとっては逆鱗に触れるだけの台詞だ。
男なんてそんなものだ。男なんて馬鹿ばかりだ。暗に彼女はそう言っているのにも等しい。
彼女は僕の最も弱い部分を突こうとしたのだ。万死に値する。
しかし、ボウガンの矢は僕の左太腿に突き刺さっていた。
決して彼女の言葉に惑わされたわけではない。
怒りだった。
計り知れない怒りが彼の思考を一瞬だが、停止させたのだ。
彼女はその隙を突いた。
灼けるような激痛と、精神を制御できなかった怒りが僕の冷静さを奪おうとしたが、彼は強烈に自制した。
怒りと痛みを言葉に押し付けるように。
「分かった。まず、君が死ね」