第04話「それならば、無能のまま戦略的に生きればいい」
こんな時でも意味もなくゴールドベリーを握りしめていた。この筐体が僕にとっての精神安定剤なのだ。かつてアメリカのビジネスマンや政府関係者が重宝したこの元祖スマートフォン。これでもかというほど手に馴染む。
2001年9月11日生まれの僕は30歳になった。しかし、何の意味があるのだろう?年をとることは自分の選択肢を狭めていくだけだ。失ったものばかり大きく、守る力も気概もなく、このまま死んでいくのだろうか?黒いボンネットに腰かけ、田舎の夜景を見下ろしながら力いっぱい嘆いた。嘆きは声になった。悲鳴と言ってもいいかもしれない。何も返ってこない。山彦が返ってくるような場所ではないのだ。
「承知した」
その声はゴールドベリーから聞こえた。
握りしめたことによってトラックバッド兼ボタンになっている部分を長押ししてしまったらしい。ベリーと呼ばれる音声認識機能が起動している。
いや、声色こそ同じように聞こえるが言葉遣いがおかしい。ただ、何か命令が実行されるらしい。キャンセルしなければ。
「キャンセルだ」
できるだけベリーにも認識しやすいようにゆっくりはっきりと発音する。
「キャンセルは受け付けられない」
ゴールドベリーが即答した。
明らかに動作がおかしい。
再起動した方が良いのかもしれない。
電源ボタンを長押ししようと親指を乗っけた瞬間、
「やめろ」
とベリーの声。
「やめない」
そこで反応するのもおかしなことのような気がしたが、人間を相手にするように自然に返してしまった。
「まだ契約の途中だ。ターゲットの詳細を教えてくれ」
「ターゲット?契約?」
僕には意味が分からなかった。
とにかく電源を切ろう。
「電源切るぞ!」
すかさず電源ボタン長押しに入る。
だがなぜか反応がない。
ならバッテリーだ。
僕は端末の裏にあるバッテリーカバーを外す。そして黄金のバッテリーに爪を引っ掛け…。
「早まるな」
肩に手を置かれ、振り向く。
そこには長身のダークスーツの男が立っていた。
「うわぁっ!」
驚いて端末が手から零れ落ちる。
しかし、その男は難なくゴールドベリーをキャッチする。
「驚かせて済まなかった。私も寝ぼけていたようだ。そして、感謝する」
事務的だがどこかとぼけたような口調。そして、この声には聞き覚えがある。しかし、僕にはやはり意味が分からなかった。それを察してか、
「やはり、咀嚼が必要なようだな。まず、君は先程までゴールドベリーの音声認識機能とやりとりをしていたと思っていたようだが、それは私だ」
直立不動で述べる彼。
「え?つまり、貴方が通話の相手?」
「それは違う。私の今のこの体は君のゴールドベリー端末に封じられていたデータを実体化したものだ。日本人でゴールドベリーを愛用するくらいだからDMデバイスは知っているな?」
確かに知ってはいる。データを物質化するというものだが、まだまだ実用段階にない技術のはずだった。
「知ってるけど」
「それならば理解できるな。君はこの端末をどこで手に入れた?」
そういえば、この端末は中古だ。
「秋葉原の中古ショップで買いました」
見つけた時、興奮したのを覚えている。どうしても米国のSIMフリー版が欲しかったのだ。
「仕事上詳細は明かせないが故あって私はこの端末に閉じ込められたのだ。そして、それを君がは解放してくれた。だから感謝すると言ったのだ。そのお礼にしばらくの間仕事を無料で引き受けよう」
まだまだ疑問は尽きない。
「えっ?仕事って?」
僕は聞き返した。
すると彼は真顔で答えた。
「無論、暗殺のことだ」
あまりにも現実では聞きなれない言葉に耳を疑う。
この男は何と言ったのか?
「暗殺?」
それでも僕の短期記憶はその単語を記録していたらしく、おうむ返しに問い返す。
「そうだ」
スーツの男が肯定した。信じられない。僕にはこの男が嘘を言っているようには見えなかった。
同時に、暗殺という単語が甘美な響きを持って僕の頭上を舞った。もし、そんなことが本当にできるなら…。
僕はその思考を振り払った。それはこの国では許されないことだ。人を自分では殺さないにしても、人に頼むのも犯罪だろう。殺人教唆とでもいうべきものか。
何と答えればいい?僕は自問した。殺人はできない。でも殺して欲しい男ならいる。殺せない。でも殺したい。いや、殺すことが可能だとしても。道徳的に許されたとしても。法的に許されたとしても、それが最善とは限らない。
そんなことで自分は満足できるのか?そうだ。
「本当に暗殺ができるんですか?」
僕は慎重に言葉を選んだ。声が今にも震えだしそうだった。
「無論だ」
ことも投げにダークスーツの男は答えた。
「それなら、」
僕は躊躇する。そんな言葉を言ったら、ベリーの暗殺者としての矜持に反する発言として、激昂されるのではないか?そうなったら自分は殺されるのではないか?
しかし、この男が力になってくれるなら、今の状況を打開できるかもしれない。 言うしかない。
「社会的に抹殺するというのもできますか?」
言ってしまった。口から出た言葉は回収できない。仕方がない。
ベリーは一瞬、沈黙した。
「それも可能だ」
と、簡潔すぎる答え。
「では契約書にサインしてくれ」
ベリーはスーツの内側のポケットからミニサイズの契約書とペンを取り出す。僕はそれにサインした。
「これで契約は成立だ。ところで、差し支えなければクライアントである君のスペックについて教えて欲しい」
そう、問われ、僕はやはり躊躇する。
自分にスペックなどと言って人に紹介できるものなどあるのだろうか?仕事はできないし、異性にもてるわけでもない。友達は多くない。運動が得意なわけでもない。
「俺は無能な人間です。それだけです」
「無能か。承知した」
ベリーは僕の言ったことを肯定するでもなく否定するでもなく、ただ受け入れた。ただ、僕にとっては不快なことであった。はっきりと否定してほしかった。
そして、僕の言ったことは抽象的で、ベリーにとって求めていた情報ではなかった。
「君は自分を無能と言うが、それはどのような意味だ?」
僕は考え込んだ。自分を無能な人間だと思い込んでいたが、言葉にすると案外難しいものだ。それを言葉にできない。つまり、自己についての認識が浅い。そのことこそ無能である。そんなマイナス連鎖思考へ嵌りそうになるのをどうにか止めて、僕は考えた。
「仕事ができないんです」
「君の仕事は?」
「ティーチャーです。学校の」
「そうか」
分かりやすい職業なので簡単に理解してもらえたようだ。
「無能は悪いことか?」
「悪いですよ。人の役に立てないし、罵倒されるし」
僕は素直な気持ちを口にした。
「無能な人間は生きられないか?」
「最近そう考えることが多くなった気がします」
そう言いながら僕は下を向く。核心を突かれたような気がしたのだ。
ベリーは僕をまっすぐに見ていた。僕が顔を上げるのを待っているかのように。
「エイタ。私の考えは違う。無能な者も生きることができる」
それはどういう意味なのか。僕は考え始めた。
「世の中には能力の高い者と低い者が存在することは事実だ」
ベリーの目の開きが大きくなった。僕は無意識に顔を上げていた。
「しかし、個人の能力だけで何かができるわけではない。大事なのは戦略だ」
僕はベリーの青い瞳に吸い込まれそうになっていた。
「そして、個人の能力は短期間で劇的に変わるものでもない。それならば」
そして、ベリーは僕の黒い瞳に向かって言った。
「無能のまま戦略的に生きればいい」
「では契約成立だ。私のことはコードネームで『ベリー』と呼んでくれ。これならば周囲に聞かれても音声認識機能としてカムフラージュできる。つまり、今までと変わらない。君の名は?」
「田中エイタ」
「ではエイタ、私は端末に戻る。君も初めての実体化でエネルギーを消費したはずだ。ゆっくり休むといい」
暗殺者「ベリー」は目の前から消えた。
僕はゴールドベリーを胸ポケットにしまい、車に乗り込んだ。しまったのは紛れもなくスマートフォンなのだがなぜか拳銃をしまったように錯覚した。
それは、2031年9月14日のことであった。
彼との出会いからエイタの反撃は始まっていく。