第23話「自分を信じない者ほど御し易い相手はいない」
笛吹峠を越えるとそこは蘭山町だ。田舎の町で観光名所など皆無の町である。中央部に国道二五四号線が通っており、その周辺には田舎によくあるそこそこ大型のショッピングモールなどが並ぶが、駅周辺はシャッター商店街である。
時刻は〇二三〇時。既に日付は変わり、十月二十三日になっている。気温が下がってきており、肌寒さを感じる。
僕達は国道に出ることは避けることにした。都幾川にかかる橋が見えてきたが、その橋は渡らずに手前を左に曲がる。すると、そこには田園風景が広がっている。広大な水田と、少数の民家が点在している。
僕達は暗い田園の中をひたすら西に向かって歩いた。彼方には秩父の山々が見えるはずであるが、暗いために全く見えない。
先輩の既に知略とベリーの武勇により、敵を倒すことに成功した僕達だったが、戦いと移動に肉体も精神も消耗していた。
高野倉を退けることはできたが、いつまた敵が現れるかわからない。気は抜けなかった。
戦いの後、僕達の移動時間は二時間に達しようとしていた。睡眠を取らず、戦闘した後に歩くにはやや長すぎる時間であった。だが、そろそろ尾川町に近くなってきたはずである。
「そろそろ朝ご飯にしない?」
疲れた声で新美さんが提案してきた。
皆の疲労はピークである。
「そうだな。腹減ったしな」
と先輩が同意する。
畦道に腰かけ、コンビニで購入しておいた携帯食料で各自朝食をとった。
そして、すぐにまた出発する、
目の前に再び、峠が姿を現した。今度は笛吹峠とは違う、ヘアピンカーブだらけで、走り屋が好んで走るような峠である。走り屋のコースとしては低速のステージに分類されるだろう。徒歩で登るにはなかなかに厳しいコースである。ここでも敵襲があるかもしれない。だが、どの選択肢でも敵に襲われる危険性が皆無とは言えない。行くしかないのである。
この峠は僕も走りに来たことはない。僕は走り屋ではないが、ここも走ってみたいと思った。他の三人には夜の峠など気味が悪いと思っているかもしれないが、僕は峠に入ってみて少しだけ元気が戻った。
この峠はカーブが多く、進んでも進んでも同じような景色が広がっていて、歩く者をげんなりとさせた。
たまに通る車は、徒歩の一行を一瞬だけ好奇の目で見て、通り過ぎていった。もちろん走り屋も通った。かなりの速度で下ってくるため、はねられないように、スキール音と前方のライトの光には常に注意を払っていなければならなかった。
ベリーはというと実体化を解除され、ゴールドベリー端末の中で大人しくしていた。そう助言したのはベリー自身である。僕の精神エネルギーの消耗を防ぐためと、端末のバッテリー節約のためだそうだ。だが、何となく一人だけみんなが大変な中、くつろいでいるように見えなくもない。
峠越えは順調だった。拍子抜けするほどに。空は白み始め、夜明けが近いことが分かった。そんな折、
「エイタ、実体化をしてくれ」
ベリーが唐突に言いだした。
敵の気配を感じたのだろうか?だが、実体化していない以上、ゴールドベリーに搭載されているセンサーで感じ取れる情報しか入ってこないはずである。そのセンサーで捉えた情報の中に敵の来襲を示すものがあったのだろう。
「了解」
僕は精神を集中してベリーを実体化した。
そして、周囲の気配を探る。
僕には何も気配を感じ取れない。しかし、僕には感じ取れない何かをベリーは感じ取っている。目の前には
突如、視界が大きく瞬いた。強烈な光を浴びたのだ。
「避けろ!」
声を上げたのは先頭を行く先輩だった。
光は峠を下ってくる走り屋らしき車のヘッドライトだった。
このラインは僕達を轢き殺すつもりだ。
右側の路側帯内を歩いていた僕達はインを突いてくる暴走車を左に跳んでかわした。
暴走車は奇襲が失敗したと見るや、車体をスピンさせて停車し、こちらに向き直った。
こうなれば、もう奇襲は不可能である。
また、ベリーに助けられた。
この時、やっと車種を確認できた。
その名はランサエボリューーションⅢ。こういった峠道には滅法強い車である。だが、もう走らせない。乗っているのは高野倉の手の者だろう。いや、高野倉本人かもしれない。
「ナイブス」
僕はすかさず、タイヤに向かって精神力の見えざるナイフを放つ。
右前のタイヤはあっさりパンクした。同時に他のタイヤもパンクする。どんなアプリかは分からないが、ベリーがやったのだろう。
運転席、そして、他のドアも一斉に開き、敵が降りてくる。
運転席から出てきたのは高野倉だ。年の割に過激な運転をする男である。
僕達はすぐに、山側へ一気に走った。
すると、さっきまで僕達がいた場所辺りを、次のランエボが死のラインを描いて飛んできていた。
僕達は神社へと続く階段を駆け上がった。
ここなら車によるダウンヒルアタックは無効である。
しかし、ここには伏兵がいるかも知れない。
まともな敵の指揮官だったらそうするだろう。
不意にベリーが消えた。恐らく近くの茂みに隠れているのだろう。
これは笛吹峠でも行った。少人数対大軍での三原則。峠での戦いの原則。
すなわち、「①誘い込み②隠れて奇襲③一撃必殺」である。
もはや、敵に自分たちの数は知られていて、前回のような作戦は通じないだろう。
だが、軍師川上リュウジの戦略に死角はない。
僕はそう信じている。
何せ笛吹峠では二百人に及ぶ敵軍を退けたのだ。
敵の行列が階段を駆け上がってくるのが見える。
見下ろすと階段は敵で埋め尽くされている。
ゴールドベリーの着信音が鳴り響いた。
通知だ。内容は「避けろ」だ。
僕はすぐに、少し先を走っていた先輩と新美さんに伝えた。
そして、素早く階段からジャンプして樹海に逃げる。
同時に轟音が聞こえてくる。
敵のうち二人がこちらに向かってきたが「ナイブス」で仕留めた。
轟音は少しづつ大きくなってきた。
轟音の正体がそこで判明した。
神社側から階段を転がってきた大岩だ。
恐らくは石垣の一部だろう。ベリーの仕業だ。
「ぐわぁああ!」
聞こえてくるのは敵の叫喚。
ある者は岩の下敷きになり、ある者は倒れた兵士に倒され、ある者はパニックになり、逃げようとした。そこはまさに地獄となった。
ベリーが戻ってきていた。
「今が好機だ。行くぞ」
と、ベリーが促す。
「神社の向こうはもう尾川町だ。ここからなら神社を通った方が早い。一気に登ろう」
地理に明るい先輩が道を示す。
四人は神社へと続く階段を一気に駆け上がっていった。
敵の大半は無力化できたが、全員というわけにはやはりいかなかった。
体育教諭兵と思しき兵士が数人追ってくる。
その中に擦り切れたスーツを纏い、凄まじい形相で階段を上がってくる高野倉を見つけた。
僕は睨み返した。
しぶとい奴だ。顔に似合わずとは言わないが。
今度こそ葬ってやる。
と思ったが、貴重な情報源である。生かしておかなければ。
僕達は階段を登り切った。次は下りだ。
下りに入ると僕達は尾川町に降り立ったことになる。
空が白んできた空を見上げ、夜明けが近いことを感じながら今度は階段を駆け下りる。
再び後ろを見ると、敵との距離は縮まっていた。
流石にあの攻撃を耐えた強者達である。敵の主力は体育教諭兵なので、やはり、体力もかなりのものだ。
「ナイブス」
先頭の敵の足あたりをを狙って見えざるナイフを放つ。
しかし、ターゲットはジャンプし、避ける。
もう一度放ったが避けられる。
これは、明らかにこちらの攻撃が見えているということになる。
その間に、敵との距離はさらに縮まってしまっていた。
これはまずい。
何とかしなければ。
「ベリー。敵に攻撃が見切られてる」
僕はすぐ前を走っていたベリーに助けを求めた。
「承知している。あれもPERデバイスの力だ。後ろは私に任せろ」
ベリーにはなぜ見切られたか分かっているようだった。
ベリーは四人の最後尾についた。
それと同時だった。敵の攻撃が始まったのは。
僕達に向かって無数の光の矢が向かってくる。
「ディライヴ」
僕は精神エネルギーで全身を覆い防御する。
ベリーも同じことをしている。
数は多いが威力は高くない。
防ぐのは難しくない。
だが、それは僕とベリーにとってだけであった。
「きゃあ!」
光の矢のうちの一つが二番手を走っていた新美さんの右足に突き刺さったのだ。
突き刺さったと言っても物理的に存在する矢ではないのでどんなダメージかは分からない。
ただ、見た目には火傷を負っているようであった。
「立てるか?」
先輩が駆け寄る。
右足は機能しそうにない。
先輩は新美さんをおぶって駆け出した。当然、スピードは落ちる。
「まずいな」
敵の大半を無力化したといっても、まだまだ敵の数の方が多い。何せこちらはたった四人なのだから。
そして、このままではすぐに敵に追いつかれてしまう。
「リュウジ、この周辺に何か身を隠せるような場所は?」
ベリーが軽快に階段を下りながら問う。そういえば足音は殆ど聞こえてこない。
「ここを下ったところに小さな文化会館がある」
流石に先輩は地元周辺の地理に詳しい。だが、既に息は上がっている。
「承知した」
そのやりとりだけで二人は分かったようだった。
「エイタ、聞いたな?そこへ誘い込む」
「了解!」
「敵は君の攻撃が見えている。だがそれだけだ。避けられないようにすればいい」
そうだ。焦ることはない。戦場において、攻撃は避けて当然、避けられて当然。そうでなければ戦いにならない。
僕は攻撃を続けた。しかし、当たらない。敵も光の矢で攻撃してくるが悉く僕とベリーは防いでいる。
僕の攻撃は当たらない。ベリーの攻撃はある程度ヒットしているようだ。
僕とベリーは新美さんをおぶっている先輩を庇うようにして走っているが庇いきれるものではない。
「ぐわッ!」
遂に光の槍が先輩の右肩を貫き、脇腹辺りをかすめた。
新美さんもろともその場に崩れ落ちる。
「ベリー!このままじゃ!」
「……」
ベリーの反応がおかしい。というかベリーの存在感が不意に希薄になった錯覚をおぼえた。 否。錯覚ではなかった。
ベリーの一部が消えかかっている。実体化が解けようとしている。
僕の精神状態を反映しているのだ。
僕は再び精神を集中し、強く実体化させるように努めるが、これ以上消えないようにするので精いっぱいだった。
攻防を繰り返しながら、どうにか隙を作り、今度は僕が新美さんをおぶる。体格のいいベリーは先輩をおぶる。これでベリーは戦闘に参加できなくなった。
もはや戦って勝つ術はないとも言える。
階段の終わりが近づいてきた。
見えてくるのは、この寂れた住宅街にそぐわない、やや立派な文化会館。その裏門から僕達は敵を引き連れて入っていく。
そのまま建物の中に入っていく。しかし、この数の差は如何ともし難い。
「ベリー。敵をまとめて倒す方法は?」
「あるが、ここでは我々も巻き添えになる」
「いや、そういうアプリってないの?」
ベリーは少し考え、
「ある。但し、私には発動させられなかった。君に発動できるかは分からない。発動できたとしても君は死ぬかも知れん」
「すぐ起動してくれ!僕がやる!」
「『ブラストスルー』だ」
音声コマンドによるアプリ起動。アプリ名はブラストスルーである。
「敵全員を串刺しにするイメージだ。発動できれば実際にそうなる。消費エネルギーは凄まじいがな。これならば建造物に与える影響は最小限に敵を討てる。だが、これは失敗作と言われるアプリだ。どんな不具合が出るかも分からない。実用的とは言い難い。やるかどうかは君に任せる。いや、君なら発動させてしまうかもしれないな」
ベリーは僕の力を少しだが認めてくれている。それが僕には嬉しい。
「もう一つだけ言っておく。君は自分の力を過小評価している。だが、考えてみて欲しい。それは他人に与えられたものではないか?仮にその評価が正当だとしても、君の精神状態は君が決めるものだ。自分を信じない者ほど御し易い相手はいない。君はどう考える?」
そうだ。僕には何かリミッターのようなものがある。それは呪いのようなものだ。僕は自分を信じるべきなのだ。
「やってやる」
僕はベリーに言われた通り、殺意を込めて、敵全員を串刺しにする様を脳内に描いた。
自分でも不思議なくらい集中できた。集中を妨げていた何かが消えたような気がした。
手のひらは自然に敵に向けられ、そこに光る粒子となった精神エネルギーが集中していくのが見えた。
そして、見据える。
狭い通路に犇めくスーツの群れ。敵の群れ。そして、先輩をおぶるベリーの姿。
やるしかない。
「貫け!」
僕の口から自然と声が出た。
そして、想像を超える脱力感で地面に倒れた。。
自分を信じること。そこに根拠は不要。