第01話「ここは地獄で僕は無能」
主人公である田中エイタは解雇寸前の劣等教諭兵である。教諭兵とは財政難により自衛隊の増員ができず、教員を有事の際の自衛力とする職である。その職場環境は厳しさを極め、エイタはクレームやパワハラに押しつぶされようとしていた。
赤信号を眺めながら、僕は改めて自分の職業である教諭兵について思い返してみた。
戦後、何度目かの就職氷河期に入った現在、公務員は超人気の職業だ。いわゆるバブル崩壊後、1990年代後半に始まったもので安定した職業として定評があった。
今回の就職氷河期の原因は不景気だけではない。二〇一〇年代から開発が加速し、近年になって実用化が相次いだ人工知能の技術が人々の仕事を奪っていた。特に対人折衝を必要としない仕事に、その傾向は顕著だった。
それでも公務員は、まだ事務職を正規職員として雇用していた。公務員の中で最も人気の高いのは行政職で、平均して30倍程度の倍率を保っていた。その他の職種も軒並み一〇倍程度はあり、就職を希望する者にとって公務員は狭き門とされている。
しかし、そんな状況の中、僅か0.9倍という信じがたい数値を示している職種があった。それが教諭兵である。この超就職氷河期で、公務員という身分にもかかかわらず、この数字を叩き出す教諭兵という職種には相応の凄まじさがある。
制度が大幅に変わり始めたのは教員人気の低迷が顕著になってきた2010年代後半からだ。人材確保の名目で『参入障壁』をなくそうと、まず、2017年に教育職員免許法が廃止され、教員免許は消滅した。
それでも人材が集まらず、学歴と年齢条件を緩和したのが2018年であった。具体的には義務教育を修了した者であれば誰でも受験可能な中卒程度の公務員試験になったのだ。
変革はそれに留まらなかった。1990年代から四十年以上に渡って続く不景気に対応すべく、膨大な軍事費の削減の必要が生じた。しかし、近隣の国の領土侵犯が2010年代になってから大幅に増加し、防衛費を削るわけにもいかなかった。
そこで2020年、考え出されたのが教諭兵というものであった。公立学校の教員を臨時の国防軍にしようというのである。教員には時間外手当が存在せず、いくら働かせても残業代が発生しないのでいくらでも仕事を押し付けることが可能である。更に、社会的に風当たりが強く立場は弱い。兵役を押し付けるにはうってつけの存在だ。
こうして、中卒程度の公務員試験である教員採用試験は教諭兵採用試験となった。
教諭兵とは階級の名前でもあり職業の呼び名にもなっている。
教諭兵には職名(教諭兵・教頭など)の他に臨時の国防軍としての階級もある。助教諭兵(兵卒で臨時職員)、教諭兵(下士官でありここからが職業教諭兵)、主幹教諭兵(尉官相当)、教頭(佐官相当)、指導主事(尉官~佐官相当)、校長(佐官~将官相当)、教育長(元帥)といったものある。学校や教育委員会の規模にもよるが、その階級や職名に応じた役職が与えられる。
平時は教員、有事の際には国防軍として戦う。それが教諭兵である。だから、普段は以前から存在していた普通の教員と変わりはない。それでも、様々なクレームや膨大な雑務と戦う姿は戦場を這い蹲る兵士さながらであった。
もともと官製ブラック企業とまで言われていた公立学校教員という職業はさらにブラック化した。何せ劣悪な労働条件に兵役までもが加わったのだ。本来唯一、有給休暇を取得できるはずの夏休みと冬休みには軍事教練が義務付けられた。
自主的に教諭兵を選ぶ者はごく少数で、残りの内、警察官や技能労務職員からあぶれてしまった者が結果的に選択する職種となっているのが現状である。
つまり、優秀な者であればあるほど教諭兵にはならないようになっている。
この矛盾が公務員制度の歪んだ成熟と言えるだろう。弱肉強食。過酷な環境に身を置きたくなければ、学力を上げ、公務員試験で上位の成績を取るしかないのだ。早くから準備をし、採用試験で高得点を取った者だけが安定して快適な職場を手に入れることができる。定時に帰ることができ、向き不向きもそれほどなく、解雇もないデスクワークの職場。給料も平均年収よりも百万円程高く、余暇もあるので生活は安定して快適なものとなる。そして、それは後からでは極端に手に入れにくくなる。年齢制限があるからだ。
これは年齢差別といってよいだろう。就職試験に年齢制限を設ける合理的な理由は特殊な職業でもなければそうそうあるものではない。求人の年齢制限については法律上「長期勤続によるキャリア形成のため」と書けば通ってしまうため実質的には年齢差別に関して、何の抑制にもなっていない。
民間の企業でも古くからおこなわれてきた新卒一括採用のシステムは相変わらずで、新卒での就職に失敗すれば挽回のチャンスは殆どない。人材に流動性がないのだ。公務員になるにしても会社員になるにしても再チャレンジ不可能な社会になっている。だから、例え向いていない職業についてしまってしまったとしても続けるしかない。
『辞める』イコール『死』だからだ。
僕は某有名私立大学を卒業し、そして、教諭兵になった。それは何故か。何のことはない。就職氷河期だからだ。僕が就職活動を始める前の年に世界的な金融危機が起こった。更に、人工知能が発達したことにより、人工知能で行われる業務が飛躍的に増加し、更に人員が不要になった。それにより、官公庁でも企業でも極度に採用が抑制された。それで教諭兵という道を選択した。つまりは逃げたのだ。過酷な就職活動から。しかし、僕はその時は認識していなかった。過酷な就職活動から逃げれば過酷な職場が待っているということを。人生という戦場からは決して逃げることなどできはしない。
現在は西暦2031年。鬼ヶ島第三小学校に配属され、今は七年目である。
発端は僕のミスだった。それも単純な凡ミスだ。運動会のため、学年で使うバンダナを持ってくるように家庭に連絡するはずだったのだが、自分のクラスだけ連絡し忘れたのだ。「子どもが恥をかかされた」としてクレームが来た。電話ではいきなり怒声を浴びせられた。そして、すぐに教頭を出せと言ってきた。紆余曲折を経て、その件については幾つかの約束をすることでどうにか収まった。
しかし、次のクレームは間髪入れずにきた。それは授業に関することだった。「子どもが、算数が分からないと言っている」「授業中騒がしい」などである。「担任を代えて欲しい」という要求などはなかった。
しかし、戦隊長(校長)は即応し、担任を交代させる旨の文書を保護者宛に出した。今まで通り、自分のクラスであった四年二組の授業には出ることになったがその殆どの時間に戦隊長が子ども達の後ろで僕を監視している。
そして、放課後が来た。僕は戦隊長室に呼ばれた。
「今日の授業の意図は?」
鬼ヶ島第三戦隊長である木材谷マサオミは淡々と質問してきた。
彼は30代後半から管理職となり、行政に行き、人事畑を歩んできたエリートだ。
前職の中央司令部の人事部長から現場の戦隊長のとなったのは昨年の四月のことである。
前職が中央司令部の人事部長であることを背景に職員に対して圧制を敷いていた。
保護者に対しても頗る強気であるが、上の立場の人間に対しては気持ち悪いくらい腰が低い。
「それは・・・」
どうしても明瞭に答えることができない。いやできているはずなのだが、実感を持って言うことができない。指摘されるのは言われれば分かることであるが、どうしても言われる前に気づくことができないものばかりだった。
子どもの反応を見ながら授業を進めることができない。いや、相手が誰であろうとも気持ちを想像することができないのだ。空気が読めない。相手の話を落ち着いて聞くこともできない。診断はされていないが僕には発達障害がある。該当するのはアスペルガーか。それだけではなく、不注意性もある。注意欠陥障害だ。多動性はないのだが。
戦隊長は、「何がしたいのか分からない」を繰り返し言っていた。終始、肯定的な言動はなかった。肯定するつもりなどないのだろう。
そして、こう結論付ける。
「学級崩壊が起こるのは授業がつまらないからだ。子どもに責任はない。つまり貴方の指導力不足だ」
更に、こう言い放った。
「教育実習生の方がまだ上手い。いや、これだと人工知能にやらせた方が子どもは分かるんじゃないのか?」
僕はどこまで無力なのだろう?
「辞めてしまえ!向いていない」
荒らげられた声。
僕のエネルギーを削り取る言葉。
(地獄だ)
僕は言葉を発することができなかった。
淀んだ空気にノックの音が響いた。
「はい、どうぞ」
戦隊長の声の後、入ってきた人物は背の高いスーツ姿の男だった。年の頃は戦隊長と同じくらいで50代くらいだろう。
「彼は私の同級生で今、樋木教育大学で教授をしている。室井だ。これから、彼に授業をビデオに撮ってもらい、放課後、研究協議をして学んでもらう」
戦隊長は、室井教授の研究の一環でもあることを説明した。
僕は実験材料である。そのこと自体は別にどうでもいいことなのだが、仕事へプレッシャーは増し、その上、帰る時間も遅くなることだろう。
僕はそこまで無能なのだろうか?何一つ肯定されず、仕事ぶりを否定され続け、挙句の果てに実験材料にまでされるとは。
それから毎週、研究授業は行われた。担任であった者が担任の任を解かれ、算数の補助に回って各教室を放浪している。同僚、そして子どもからの奇異の視線がないわけはない。大人は事情が分かっているから反応が冷たいだけで済んだが、自分のクラスでない子ども達はあからさまに珍しがり、「何でここにいるの?」などと疑問を口にしてくる。中には事情を知ったうえでこちらを見ながらひそひそと話している子どももいた。何を話しているかまではよく分からなかったが、辛うじて聞き取れた単語は「外された」とか「戦力外」などであった。その羞恥に耐えながら研究授業の準備を進めた。
その研究授業の度に問い詰められ、否定され、徐々に精神は削り取られていった。
そして、遂に解雇を連想させる言動が戦隊長から多く発せられるようになった。
職を失う危険性を意識し、空は更に重さを増した。
学級は決して崩壊などしていない。まとまりもないのかもしれないが、勉強を教えることができていないわけでもない。子どもにだって嫌われているわけではない。
自分は仕事のできる人間だとは思わないが、クビにされるようなことなどしていないと思った。保護者だって担任を替えて欲しいとまでは言っていない。
先にシナリオありきなのだ。
それは『研究授業の繰り返しで指導力が向上し、使い物になるならそれも良し。使い物にならない場合、大学教授まで呼んで『指導』した『にも関わらず』という根拠で解雇もとい排除できるならそれも良し』というシナリオだと僕は考えた。
どちらに転んでも戦隊長の実績になる。更なる出世のために。
現場を離れてから人事畑を歩んできた戦隊長の木材谷マサオミは『首狩り人』の異名がある。彼にとって教諭兵をクビにすることは出世のための実績でありライフワークでもある。
僕が想像したシナリオのうち前者が有力であろう。戦隊長の僕への接し方がそれを物語っている。そのシナリオの先にあるのは無職だ。誰でもなれる公務員「教諭兵」すらクビになる無能のニートという地位が与えられる日が現実的に近づいてきている。そうなれば次の職もない。収入はない。収入がなければ食べられない。食べられなければ死ぬ。
つまり、今、僕は殺されかけている。
殺されるわけにはいかない。だが、授業がうまくいき、この局面を乗り越える術がない。何と言っていいか分からないが、僕は教えることが「できる」が、授業ができないのだ。
僕には授業の意味が分からなかった。何せ授業では「教えて」はいけないのだという。意味不明なのである。結局は最終的に教えることをしないわけではないのだが、子どもが自分自身で発見し、課題を解決したように思いこませなければならないらしいのだ。だが、感覚的にどうもそれを受け入れることができない。自然にそういった発想にならない。ある意味では子どもを騙すののに長けている教師が優秀な教師とされる。それを考えると頭が破裂しそうになる錯覚に陥る。
クビになるのが楽かもしれない。そう考えてしまうこともあった。
だが、やっぱり何かが違う気がした。この状況をどうにかしたい。そのためには戦うしかない。しかし、何と戦えばいいのか?どうやって戦えばいいのか?
力が欲しい。
僕には何もない。あるものといえば、お金を稼ぐのに全く役に立たないマニアックな知識のみである。例えば、パソコンとスマートフォンに関する知識。競馬の知識、電車の知識、アニメの知識。こんなものは武器にならない。そう思っていた。
金曜日の放課後、僕は戦隊長室に呼び出された。
「貴方を指導力不足教諭兵として西方司令部に報告する」
単刀直入に言われた。
西方司令部とは武蔵の西部の学校と教諭兵を統括する組織である。前身は「西部教育庁」という名前であった。西方司令部を経由し、武蔵県教育総司令部が認定すれば僕は指導力不足教諭兵として武蔵県立再教育センターに送られる。そこで一年間の研修の後、現場復帰か免職かが決定される。しかし、ここに送られ、復帰した者は存在しない。
僕は死刑宣告を受けたのだ。
「ここは地獄で僕は無能」
僕は戦隊長室を出て、廊下を歩きながら呆然と呟いていた。
現場復帰か?免職か? 死刑宣告を受けたエイタの運命は?