第15話「でも、やることならあるよ。それは騒ぎを起こすことだ」
公用車は峠を駆け上がり、武蔵県立西方司令部再教育センターを目指す。西方司令部再教育センター南松山市と鳥居村の境の山の上にある。周囲にはクリーンセンターや産業廃棄物の埋め立て地などの施設があるが民家はない。
武蔵県立西方司令部再教育センターは高い塀に囲まれ、外界と隔てられたその空間は刑務所を思わせる。実際、そこは教諭兵にとっての刑務所のようなものであった。この業界において「罪」を犯したものはここに放り込まれ、教諭兵生命を結果的に失うことになるのだから。そういった意味において、ここは死刑囚のみが投獄される刑務所のようなものだ。
この周辺の地名は南松山市剛戸といい、「釈明は剛戸で聞こう」と言われることは教諭兵にとって破滅を意味するとまで言われている。
公用車は西方司令部再教育センターの正門前まで来た。運転手の体育教諭兵が守衛に身分証明書を見せ、要件を告げると、鋼鉄製のゲートは開いた。
敷地内の建物は学校の校舎によく似ていた。いや、研修所に似ている。つまり、一応は研修所としての体裁を保っているのだろう。
僕は独房、もとい個室を与えられた。簡素な作りであるのはベッドのみである。持ち物は全て没収された。ここで暮らし、入所者を追い詰めるための研修で弱っていき、やがて、クビになることを想像してみたら気が滅入ってきた。
ベリーの予想は当たっていたのだろう。恐らくは。ゴールドベリーを車に置いていかなければ僕はベリーを奪われていたと思ったのだ。
一つだけある窓からは空も見えない。見えるのは暗い森林のみである。ぼんやりしているうちに夜になってしまったようだ。のんびりしたとも言えるがそれも今日だけだろう。
十月二十日の夜である。まさか、再教育センターで過ごすことになるとは想像もしていなかった。
恐らく、今日は、敢えて研修を課さないのだ。現実をより深く認識させ、絶望させる時間を与えるためだろう。
情報収集する手段もない。できるのは考えることのみである。
ベリーがこの事態を想定していたなら対策も考えているはず。助けが入るはずなのだ。警備が厳重とはいえ、ベリーならば侵入するのは造作もないことのはずである。つまり、今やるべきことは助けが入った時にすぐに的確な判断で素早く動けるようにしておくことである。
今のところ、周囲の様子に変化はない。だが、僅かな変化も見逃さないようにしなければならない。この脱出に失敗したら僕は死ぬだろう。
そんなことを考えながらドアの外に注意を払っていると、やはり、動きがあった。まず、聞こえてきたのは静かな足音だが、その後に聞こえてきたのは三回のノックの音だった、こんな時間に何やら不審なことに思えるが開けないわけにはいかない。
僕は意を決して、ドアを開けた。
「新美さん!なぜここに!?」
そこには元同僚である新美トモエ助教諭兵が立っていた。
「私も連行されちゃったの。ここのどこかに田中君がいると聞いて来てみたんだけど」
ただ、他の入所者の部屋に入るのは規則違反になるはずだが、僕達は部屋でこれまでの経緯を説明しあった。どうやら、彼女はセクハラについて教委に訴えたことで戦隊長に睨まれ、ここに送られたらしい。つくづく最低の男である。このままでは僕たちはクビを待つばかりだ。
脱出を提案しようと思い、僕は躊躇した。彼女に脱出を提案するということは彼女を仲間に加えることが前提である。彼女に協力を依頼するにせよ、しないにせよ、ベリーの助けは必要不可欠である。ベリーの存在を知っていいのは僕の真の仲間だけである。つまり、現在のところ、ベリーと川上リュウジ先輩の二人のみが僕の仲間ということになる。僕だけで脱出するのがいいのかも知れない。しかし、
「脱出しよう」
「えっ!本気なの!?」
彼女も弱者に属する。強者達から守るべき存在だ。仲間に加え、共に戦うべきだ。僕はそう考えた。
「もちろん、本気だ。大丈夫。当てはある」
「何?どうするの?失敗すれば大変なことになるけど?私、新聞に載るのとか絶対嫌だからね」
「仲間がいるんだ」
「で、どうやって脱出するの?」
彼女は質問を繰り返す。当然だ。見通しがなければこんな危険な真似はできない。
「分からない」
「何も考えてないじゃない!」
突っ込まれ、僕は少し焦る。確かに具体的な作戦はない。
「何かいいアイディアは?」
「当てがあるんじゃなかったの?」
「あるにはあるんだけど…」
僕は考えた。いきなりベリーの能力の話をしても信じてもらえない可能性が高い。それならば、ベリーのの有用性を現実的な部分のみか説明するしかない。
「僕の従姉にベリーという子がいて、アメリカ人なんだ。変な人なんだけど気にしないでね」
「その変な人が何で私たちを助けられるのよ」
もっともな質問である。
「叔父さんはとにかく身体能力が凄くて忍者みたいな動きができるんだ。だから僕たちのことも助けてくれるよ」
「つまりはその従兄頼みってわけなのね?」
「まあ、そうだね」
結局のところ、そうなのだ。今できることはこれ以上状況を悪くしないことだけなのかもしれない。
「今は待つしかないわけね」
新美さんは言った。
「でも、やることならあるよ。それは騒ぎを起こすことだ」
騒ぎを起こせばベリーも混乱に乗じて侵入しやすくなる。
「どうやって?」
「火をつける!」
「正気なの!?」
無論、僕は正気だ。
「正気だよ。でも人に被害が出ないようにしたいんだ。ここには罪のない人も収容されているしね。恐らく講堂にはこの時間は人がいないはずだ。講堂の中にある資料室にでも火をつければいい」
「でも、私たち、お尋ね者になっちゃうんじゃない?」
「死ぬよりはましだよ」
その言葉に新美さんは黙った。
もっと反対されると思っていた僕はやや拍子抜けした。
彼女はなかなかに肝の据わった人間なのかもしれない。
それに僕も人のことを言えたものではないが、彼女の危機感の無さにやや違和感を感じていた。しかし、その違和感についても考える優先順位は低く、すぐに僕の脳から消えた。
かくして、その企ては実行に移された。
講堂は敷地内の北側にある。講堂は二階建てで一階部分には資料室がある。僕達はそこまで外壁に沿って歩いた。
講堂もセキュリティで守られている。しかし、大したものではない。僕にはセンサーの位置とその死角が大体分かる。
僕は右足の革靴の踵部分をスライドさせ、道具を取り出した。金属製のミニツールで七種の機能がついている。
「何これ?」
新美さんがのぞきこみながら聞いてくる。
「道具だよ」
「いつもこんなの持ち歩いてるの?」
「うん」
何やら疑惑の目で見る彼女であったが、僕はむしろ得意げであった。
僕は事も無げに取り出した金属製のミニツールの角を使ってセンサーの死角部分の窓を静かに割る。
「ここで待ってて、すぐに終わるから」
僕は窓から侵入し、今度は左足の踵部分をスライドさせ、アークライターを取り出す。近くにあった冊子の表紙に火をつけ、本棚の下に置く。
すぐには燃え上がらない。しかし、それで良いのだ。この講堂から出るまでは騒ぎを起こしたくないのだ。
僕達は合流すると宿舎の方に戻り、物陰で息を潜めた。
そして、脱出の好機を待つ。
けたたましいサイレン音の後に煙がうっすらと見えてきた。
とりあえず騒ぎを起こすことには成功しそうである。あとは、周囲の動きを見て、脱出の機会を待つのみである。しかし、
「入所者が犯人の可能性もある。宿舎周辺を確認してください。見つけ次第確保」
指示を出しているのは再教育センターの主任指導主事級の所員だろうと僕は予想した。このままでは見つかる。彼女を捕まらせる訳にはいかない。僕は反射的に飛び出した。
「確保!」
速い。入り口側に走っていた僕はすぐさま両腕を掴まれた。相手はかなりの強面の中年スーツ男だ。体育担当指導主事といったところだろう。動けない。それでも、僕は全力で振りほどこうと全身に力を入れた。
びくともしない。
とんでもない力だ。
体育教師は伊達じゃない。
動けない。
こんなところで捕まってしまうのか?
こんなどうでもいい暴力に屈してしまうのか?
絶望が僕の力をさらに奪おうとしている。
それでも、僕は再び全身に力を入れた。
そして、次の瞬間、僕はいきなり腕を離され、バランスを崩した。
「手が!手がぁぁー!」
見ると二人は酷い火傷でもしたように手を抑えている。
そこで僕の周囲を光の粒子が包んでいることに気付いた。
これはPERデバイスを通して具現化した僕の精神力。近くにゴールドベリーがなければ発動させられない力である。ということは…。
「エイタ。そのまま走れ」
ベリーの声だ。
しかし、僕には彼の位置がつかめなかった。
だが、言うとおりにするのが最善だと僕は判断した。
そして、悶えている二人の兵士の間から五〇代くらいのスーツ男が出てきた。
「所長!危険です!お下がりください!」
兵士の一人が言う。
再教育センター所長、瀬田ゲンジ。
木材谷マサオミと同じく人事畑を歩んできた者である。但し、小学校出身の木材谷に対して、こちらは中学校の教諭兵出身だが。
ここの主である所長が出てきたという事実が僕の血を刺激した。
「敵」を見つけて 沸き立つ僕の血液。
瀬田所長は猛然と僕に向かってきた。
完全な武闘派だ。
僕はそう悟った。
だが、デバイスさえあれば戦える。
僕は臨戦態勢を取った。
瀬田所長は手にしていた警棒を振り下す。
僕は更に精神を集中し、光の粒子を纏ったままの左手でそれを握った。
痛みはない。
そして、同じく光の粒子を纏ったままの右の拳を顔面に叩きこむ。
あっさりと命中した。
油断していたらしい。
「ぶわッ!」
瀬田所長はもんどりうってバランスを崩す。
しかし、すぐに立て直す。
見た目通りタフだ。
「この社会のゴミが!」
僕を罵っているらしい。
まあそう言うのも無理はない。
僕は税金泥棒と言われる程度の力しか有していない。
だからといって黙って殺されることもない。
今の僕にはPERデバイスという武器がある。
僕は再び全身に力を込めた。
光の粒子が濃くなっていく。
これはオーラと呼んでいいだろう。
攻撃を再開してきた瀬田。
僕は警棒を左腕で防ぐ。
オーラで防いでもなお衝撃が伝わってきた。
相当の力を込めた攻撃だったのだろう。
だがダメージはない。
僕はそのまま右手を一線させた。
瀬田は手首を切り裂かれ鮮血が僅かながら吹き出した。
手にしていたのは鍵型の刃。
「っ!」
鈍い音を立てて地面に転がったのは警棒。
側近らしき二人の指導主事の驚愕が見て取れる。
「新美さん!今だ!僕について来て!」
僕は彼女に聞こえるギリギリの声で言った。
「待て!」
我に返った二人の指導主事の一人が追ってくる。
もう一人は所長の応急処置をしようとしている。
「っ!」
そして、二人とも声にならない声を上げ、その場に倒れる。
首から血を流している。
何が起こったのかは分からないがベリーがやったのだろう。ベリーが何をやったかはどうでもいい。とにかく今は逃げるのだ。
「正門まで走ろう!」
僕達は走った。そして、正門の前にいる男の姿に気づいた。指導主事かと思い身構えたが、その男はパーカー姿でこちらに手を振っていた。
「先輩!」
「よう。無事か?随分と派手にやったな。全く。バれたらクビだぞ俺。車はこっちだ」
正門前には僕のスカイラインが停めてあった。
助手席にはベリーが座っている。
「エイタ。君は走るのが遅いな。体調は問題ないか?」
「とりあえず大丈夫。色々ツッこみたいけど後にする」
「そうか。では、君が運転してくれ。どうもこの車は運転しづらい」