第13話「なぜなら、悲鳴が漏れる恐れがないからだ」
「研修会」の前日であるが、僕には別の出張があった。県の修身教育研修会である。つまり、普通の出張である。場所は西方指令部の所澤支部である。そこは駐車場が限られているため公共交通機関で行くことになっている。
僕は最寄りの東部東上線永田町駅から上り電車に乗った。ここからは区間は長いものの、一駅で河越中央駅まで行くことができ、そこでは西武新宿線やJR八高線・埼京線に乗り換えることができる。僕は河越中央駅に着くなり電車を飛び降り、階段を駆け下りた。うまくいけば一本前の電車に乗ることができる。西武線のホームに降り立った時、丁度、黄色い西武三〇〇〇系のドアが閉まろうとしている時だった。僕は激突するかのような勢いで電車に向かって走り、ドアの前で急停止した。するとドアが開いた。開けてくれたのだ。
僕が飛び乗ると三〇〇〇系はすぐさま発車した。そして、僕を全身に電撃が走ったような感覚が襲った。一瞬の鋭痛が僅かに遅れて来た。吊り革を掴むことすらできず崩れ落ちていく僕の意識は遠のいていった。
見えてきたのは白い天井だった。頭が痛い。そして、体が重い。
「意識が戻ったようだな。エイタ」
抑揚のないベリーの声だ。
僕が寝ているベッドのすぐ横にベリーは実体化した状態で立っていた。
僕は意識を失っていたはずなので実体化は不可能であるはずだが。そんな疑問を抱き始めた僕にベリーは先に質問してきた。
「私が見たところ外傷は右腕の裂傷のみだが、他に異常はないか?」
「頭が痛くてだるいんだけど一体何が?」
「君は鉄道の車両に乗った瞬間に攻撃を受けた」
攻撃を受けた。その事実に戦慄した。僕はベリーに暗殺をやらせていたが、今度は逆に殺されるかも知れない。失業による餓死も嫌だが、変死も絶対に避けたい。
「僕を攻撃したのは?」
「分からない。だが、攻撃した者は私と同じ力を使った可能性がある」
ベリーと同じ力。その表現を僕は頭の中で繰り返した。ベリーが如何にして暗殺を行っているか僕は知らないが、彼の口ぶりからすればそれは特殊な能力のように思える。
「同じ力って?」
「君のようにICTに明るい人間ならPERデバイスのことは知っているな?」
PERデバイスとは現在研究が進められている精神の力を物理的な力に変換する装置であり、様々な機器に搭載して使用されることが想定されている。英語の頭文字を並べたものであるが、僕にはその四つの単語までは思い出せなかった。しかし、実用化には程遠い状態であり、注目度も高くない技術である。
「知ってるけど、まさか!?」
「そうだ。このゴールドベリーにはそれが搭載されている」
にわかに信じがたい話だが、彼のような者が存在することに比べれば驚くに値しない。
「私は精神の力をPERデバイス経由で物理的な事象を起こすことにより暗殺を行う」
「そうだったんだ」
それならば、彼がいとも簡単に暗殺任務を遂行してきたことにも納得がいく。しかし…
「今度は僕がその力で暗殺されるかも知れないってこと?」
「その可能性はゼロではない。だが可能性は低いだろう」
「どういうこと?」
「あの車内の状況で私が攻撃者で君がターゲットであるならば君は確実に死んでいた。だが、そうはならなかった。つまり、殺すつもりがなかったと考えられる。君に放たれたのは成分は不明だが致死性の毒ではない。もう症状は落ち着いているのだろう?」
それを聞いて少しだけ不安が落ち着いた。疑問はまだある。
「何で実体化できてるの?僕が気を失っている間は精神力が供給されなかったはずだけど?」
「PERデバイスに蓄えておいたエネルギーを利用した。これは奥の手だがな」
便利なデバイスである。
「それと、君には訓練をしてもらおう。死なないためにな」
ベリーの目が僅かに光ったような気がした。
「君も気付いただろうが、PERデバイスは君にも扱うことが可能だ。というよりも既に使っている。君の殺意を感知したのもPERデバイスであるし、私を実体化する時のエネルギーもPERデバイスを介して使用されている。今度はそのエネルギーを防御に使用する訓練を行ってもらう」
訓練、何故か嫌な響きだったが気にすべきことはもう一つある。
「ところで、ここはどこ?そして、今何時?」
「河越中央駅前の病院だ。時刻は二三四五時だ。もう立てるか?」
「うん」
「では行こう。長居は無用だ」
ベリーは実体化を解いた。というよりも非常用のエネルギーを使用するのをやめたのだろう。
僕は騒ぎにならないよう書置きを残し、病院を去った。
駅に向かって歩きながらゴールドベリーを見て再度時刻を確認し、愕然とした。
「十月十九日!?」
「ああ、そうだ」
「僕って丸二日寝てたの?」
「そうだが。何か問題でも?」
僕は沈黙した。謎の出張の日は既に終わっていた。自分は無断欠席だ。無論、その前日の普通の出張もだ。
「エイタ。そんなことよりも優先順位の高いタスクがある。あのビルに向かってくれ」
僕の心配など完全に無視して唐突に意味不明なことを言い出す。
僕は彼の指さすビルを見た。
ビルには大きく『カラカラ館』と書いてある。
「カラオケ屋でいいの?」
「カラオケとは何か知らないが、あそこは防音性能が高く、歌を歌える場所なのだろう?」
「そうだけど?何で?」
「なぜなら、悲鳴が漏れる恐れがないからだ」
いとも簡単に物騒なことを言ってのけたベリー。
「あの、悲鳴って?まさか暗殺を?」
「違う。悲鳴を聞きつけ、通報する住民が出てはまずかろう。そういう意味だ」
まるで答えになっていないが、ベリーはあくまで真面目に言っているらしい。
「だから、誰の悲鳴?」
「無論、君の悲鳴だ。君の悲鳴はうるさそうだ。さあ、疑問は解消されたのだろう。カラオケ屋へ案内してくれ」
「何で僕が悲鳴を上げなければならないんだよ!?」
「訓練といえば悲鳴は付き物だ。何か問題が?」
「悲鳴を上げると分かってて行くもんか!明日も仕事だし、やることがいっぱいあるんだよ!」
ベリーは一瞬だけ沈黙した。そして、
「優先順位の最上位は生命だ。訓練を受けなければ君は死ぬ。クライアントを死なせるわけにはいかん。そしてあってはならないことだが、君が死ねば私のエネルギー供給源がなくなり、実体化は不可能になる。要するに、私には君を確実に鍛える必要がある。その手段もある。安心していい。では案内してくれ」
ベリーは畳みかけるように言った。
僕は重い体を動かし、深夜の河越の小さな繁華街「Kモール」へ向かった。
そこには飲食店やデパートが立ち並んでいて、もちろん、カラオケ屋もある。僕達はその入り口付近にある安いカラオケ屋に入った。学生と思しき若者たちで賑わっている。ベリー同伴でああるが、無論、体裁としては一人カラオケである。
一人カラオケなどやったことのない僕は一人でカウンターに行くのは抵抗があった。何だか友達のいない寂しい大人という視線を感じずにはいられないのだ。一人カラオケなんて珍しくもないのだから、実際にはそんな視線も多くないのかもしれない。しかし、やっぱり気になる。
意を決して会員登録手続きを済ませ、フリータイムで申し込む。一人でどんだけ歌うんだよという感じだが生きるためには致し方ない。
決められた二〇九号室へ着くなりベリーは勝手に実体化を始めた。
ダークスーツの男が目の前に現れる。
「非常用のエネルギーじゃなかったの?」
「今がその非常時だ。始めよう。エイタ」
台詞が終わる瞬間に僕は顔面が閃光とともに弾け、床に倒れ伏した。激痛とともに鼻血が溢れ出す。
「な、何!?」
速すぎて分からなかったが、僕は殴られたのだ。ベリーに。
「痛い!痛ぇぇえぇl!」
本気で悲鳴を上げる僕。
「やはり、防音性能の高い部屋で正解だったな」
ベリーの表情はどこかドヤ顔めいている。
「何が正解だ!」
理不尽極まりない暴力に僕は叫んでいた。
「では二発目…」
「待たんかい!」
「どうした?何か問題が?」
さも不思議そうに聞き返してくるベリー。
演技などではなさそうだ。
僕はその表情を可愛いと思ったが、そんな感情を痛みが吹き飛ばした。
「痛いって言ってるだろ!」
「痛いか。正常だな。では行くぞ」
「だから待たんかい!何で僕が殴られなければならないんだ!?説明してくれ!」
ベリーは少し考え込んだ。
「訓練だ。君は私の攻撃を防げ」
「速すぎて無理。重すぎて無理」
「無理ではない。精神力で防げ」
「根性じゃ防げない!」
「根性ではない。精神力だ。PERデバイスを通してエネルギーは変換される。君の精神力で体全体を覆うイメージだ」
とても信じられない。だが、彼は攻撃を止めないだろう。やってみるしかない。
僕は言われた通りにやってみた。
すると、体全体が少しだけ熱くなってきた気がする。
「そうだ。そして、攻撃してくる敵を明確にイメージしてくれ。ここは戦場だと自分に言い聞かせるのだ」
ベリーに言われるまでもなく僕が日常的に持っているイメージだ。それを強めてみた。
体がさらに熱くなってきたのを感じる。よく見ると体全体が光る粒子のようなもので覆われている。
「何これ?」
「それが君の精神エネルギーを変換したものだ。物理的防御にそのまま用いることができる。では殴るぞ」
「ま、待って!」
僕は慌てたが避けられるわけがない。
僕はまたしてもまともに拳を食らう。
しかし、今度は倒れなかった。だが痛い。
「エイタ。痛いか?」
当たり前である。答える気力もなかった。
「エイタ。この世界は戦場だ。折れない心を持て」
この世界が戦場であることは既に僕等の共通認識である。
彼はベリーの目の奥にくぐった修羅場の数を見た気がした。
「戦場ではいつ攻撃されてもおかしくない。いつでも防げ」
防げることを信じて戦場のイメージを更に強める。
再びベリーの拳が僕に向かってくる。
拳は凄まじい速さで僕の右腕にヒットした。拳は光る粒子に阻まれ、僅かな衝撃だけが右腕に伝わってきた。
「いいだろう。大したものだ。君の精神力は」
「防げた。あんな物凄いパンチを」
ベリーの身体能力もとてつもないものだが、この力は凄い。
「では撤退する。痕跡は君が消しておいてくれ」
「えっ。ちょっと…」
ベリーは実体化を勝手に解いた。勝手な奴である。だが、これで帰れる。休める。
僕は持っていたティッシュとハンカチで床とテーブルについた鼻血を大雑把に拭うと、早々にカラオケ屋を後にした。