プロローグ
主人公である田中エイタは解雇寸前の劣等教諭兵である。教諭兵とは財政難により自衛隊の増員ができず、教員を有事の際の自衛力とする職である。その職場環境は厳しさを極め、エイタはクレームやパワハラに押しつぶされようとしていた。
プロローグ
助けたい。
でも助けられない。
目の前にいるのに。
無力感。
助けたい。
でも助けられない。
おそらく自分も助からない。
その巨大な悪はいじめ。
いじめはいけないなんて誰でも知っている。
でもなくならない。
弱い奴の人権は軽んじても大丈夫。
だって文句言えないから。
そう思っている人間が少なからずいる。
だからいじめはなくならない。
目の前で行われているいじめのように。
僕はそう考えている。
だから目の前で苦しんでいるあの子も救えないのだ。
今、その四年生のレイジは無視されたり、睨まれたりしている。
睨むだけではない。
休み時間、その子が来た時だけタイミングを計ったように一斉に変な声を出したり、舌打ちをしたりしている。
確かに悪口を言っているわけではない。
巧妙に証拠が残らないようにしているのだ。
今、正に彼がやられたように。
それは一斉に発せられる「ウー」という声だ。
馬鹿にするような響きがある。
レイジは表情を消した。
顔に感情は表れていないが僕には彼の苦しみが分かった。
無駄と分かっていても僕は動いた。
やっぱり、何もせずにはいられない。
「ちょっと待って。今何をしたの?」
僕は問いかけた。
「は?何もしてねーし」
すこぶる悪い態度でこちらを睨んできたのはセイヤだ。
彼は勉強は苦手で背は低いが運動が得意。
毎日、攻撃する相手を探して生きているような感じだ。
「今、レイジさんに向かって何か変な声を出したよね?何か言いたいことでもあるの?」
「セイヤは何もしてないよ」
横から口を挟んできたのイツキだ。
「君も同じような声を出しているように見えたよ」
「いや、してないし」
彼はきっぱりと否定した。
認めるつもりはなさそうだ。
これだけのことで心が折れそうになる自分が嫌になった。
僕は弱い。
「そうだったんだ」
それ以上問い詰めて行く方法を僕は知らない。
このように牽制していくのがやっとだ。
証拠もないのに無理に問い詰めていけば「息子が疑われた」とクレームがくるだろう。それは避けなければならない。
もちろん、こんなことが解決には繋がらない。それでも大事に発展するのは避けなければならない。
こんなに弱い僕のスクールカーストは相当に低い。子どもではなく教諭兵ということで底辺ではないが底辺のようなものだろう。そして大人の中では完全に底辺だった。
だから、子どもは僕の言うことなどきかないし、同僚からも軽んじられている。
指導力不足と言われても何も反論できない。
弱い。田中エイタは本当に弱い。
なんか穴をあけたい。
巨大な穴を。
息苦しいから。
この世界に穴をあけよう。
そうしよう。
とにかく息苦しいのだ。
なんとかしたい。
そんなことを考えながら疲労で重くなった体を窓際に置き、僕は校庭を眺めていた。
僕は今は二十九歳で背は同年代の中で低い方ではないがないが気弱さがにじみ出ている軟弱な男である。
スマートフォンやPCなど電子機器に詳しい以外は何の取り柄もない。
車に乗ると意味もなく携帯電話を取り出す。パソコンと同様にQWERTYキーボードが付いた機種でスマートフォンに分類される携帯電話なのだが誰も携帯電話とすら思わない。無理もない。スマートフォンが主流になり、もはや二十年だ。マニアだけがスマートフォンを使っていた時代の絶滅危惧種など一般人は知らないだろう。
だが、僕はこのゴールドベリーというデバイスをこの上なく気に入っていた。デザインは最高にシンプルでいかにも仕事のための端末というオーラを持ち、それでいて高級感もある。そういった物が好きな人にとって所有欲を満たしてくれる端末と言えるだろう。しかし、今の時代にあっては大きな弱点を抱えていた。それは一言で言うならアプリの少なさだ
しかし、今の時代にあっては大きな弱点を抱えていた。それは一言で言うならアプリの少なさだ。使えるアプリが限られている上に日本語対応のアプリはほんの一握りだ。アプリ選び放題が当たり前のこのご時世にあっては見向きもされなくなっている。
メールアプリをショートカットキーで開き手早くメールチェックをする。いつもの通り、どうでもいい企業からの宣伝のメールだ。どうでもいい作業なのだが、最近はこの端末を使っている実感を得るために行っている。
メールの削除を済ませ、エンジンをかける。そして、スポーツマフラーのサウンドを控え目に響かせ、学校を後にした。
昨日の退勤から出勤までは時間にして九時間から十時間程度。休み足りない。
空が重い。空を見上げることなんてできないのでは?そう感じてしまう程重い。
雲一つない早朝の空の一端を視線の隅に置きながらハンドルを握る。今日から二学期だ。どうにかここまで生きながらえてきた。まだ死ぬわけにはいかない。漠然とそう思うが、攻撃はいつも容赦なく行われる。
今日はやたら信号につかまる。