状況整理3
北日本軍は、自身のレゾンデートルとして第一に南日本の解放を、第二に自国の防衛を挙げていた。
(存在意義の一番目が自国の「解放」なのは南日本にとっては不幸以外の何物でもない)。
そして、北日本の地理的状況、つまり北海道の北半分という「前線」を別にして、北日本の中核である樺太全島と太平洋の出口でもある千島列島こそが北日本の領土である事を考慮に入れれば、北日本が採りうる戦略は、自身の領土そのものを不沈空母とし、北海道の制空権と制海権を確保しつつ南進するというものだった。
ただし、冷戦当時の北日本政府はそのような戦略を取る事はなかった。政府は何より自国の経済発展が最優先であり、その為には必要最小以上の軍隊を維持編制するのは無駄であった。
事実、ソ連の崩壊までの北日本軍の戦略は南日本に侵攻するソ連軍の支援であって、北日本軍に求められる規模や能力もそれに準ずる程度でしかなかった。……しかし、ソ連崩壊から事態は変化する。
北日本軍は自力で南日本を解放する、或いは自国を防衛する軍備を整える必要に迫られたのだ。
故に、北日本海軍は購入した原子力空母2隻、通常動力型空母(航空巡洋艦)1隻を基幹とする大規模な水上戦力を有している(その編成表の中には戦艦すら未だに存在する程だ)し、空軍は爆撃機やステルス戦闘機を導入する等の拡張を続け、陸軍に至っては冷戦期そのままの師団編制で軍の近代化を進めている。
その努力もあって、北日本は人口4千万人の国家ながら並みの地域大国以上の軍備を揃える事に成功していた。背後にいる独立国家共同体、同盟国の満州、朝鮮を合わせれば、アメリカすら簡単には戦争を選べない程度には強力な戦術型軍備を揃えたのだ。
……そして、その様な過ぎた規模の正面兵力を保有したツケは他の分野に回ることになる。
強大で見栄えの良い洋上戦力を保有した結果、機雷の処理や海上航路の警備といった能力は海軍から殆ど失われてしまい、海軍の総合的な能力は大きく損なわれている。
ステルス機や爆撃機の導入は、航空基地の防備や防空網の整備といった分野が疎かになる結果を生み、陸軍に至っては新型兵器を始めとする正面装備の導入を優先するあまり、予備部品すら不足する事態に陥っていた。
そうして短期戦闘に特化した軍隊は転移という事態に直面し、今まで検討してこなかった長期戦の実施を迫られる事になる。
北日本にとって長期戦という行為は、自滅行為であり軍部が恐れる最たるものだった。
豊原市街地の一等地に存在する海軍司令部の一室は、空調が入っている筈なのに、妙に寒かった。
恐らくそれは気のせいで、気分的なものが大きく影響しているのだろう。
頭の中では、今考えるべきことから自分が逃げ出している事がわかってはいるが、同時にこの現実がそれほどまでに厳しいものである事を認識していた。
転移という事態を聞いたとき、初めは正直な所ありがたいと感じていた。
世界第一位と第二位の海軍とそれ相応の規模を有する空軍を相手にするという現実から逃げれるというのは、もう一度やり直せるというのは個人的には嬉しかった。
当時は何度、そう何度となく対南日本・アメリカの戦術演習を行っても結論は北日本海軍の「消滅」の一つしかなかった。日本海と太平洋に展開している米国と南日本の空母機動部隊を一つづつ奇襲と飽和攻撃で殲滅した後は、1週間と経たずに強力無比な潜水艦隊と洋上艦隊、空軍によって北日本海軍は潜水艦を含めて「消滅」する運命にあったのだ。
彼女はそんなことを思ったが、暫くすると現実に戻される。
なにせ、地球では既にやる必要のなくなっていた航路整備や海上警備をもう一度始めからやらねばならないのだから。
そして、共和国海軍は艦隊に随伴する補給艦や工作艦はおろか、掃海部隊・測量船すら満足に保有していないのだ。
つまりそれは、航路整備や海上警備のノウハウも軍備も有してはいないことを意味しており、現状においてそれは致命的な事態を招きかねなかった。いや、招いていた。
「現状でやるべきことは多岐に渡るが、燃料が必要量あると仮定した場合、探査に使用できる艦艇の数はどれくらいだ?」
この中ではトップの大野海軍中将が後方主任参謀に対し質問し、参謀がそれに対して答える。
……現在の艦隊規模からは考えられない動員可能艦艇の少なさに、驚きが走る。
それはそうだろう。何せ共和国海軍には補給艦が二隻存在するのみでそれだけでは到底艦隊の行動を支える事が出来ないのだから。
それに、海軍にはその仮想敵国の海軍とは異なり沿岸防護用のワークホースとしての小型艦艇は存在しないのだ。
海上警備や掃海任務は、国防軍に押し付けられて今では顧みられる事は殆どなくなっていた。
ふと、疑問に感じた私は参謀に質問する。
「空母や大型艦艇を探査に廻すというのは?共和国軍の主力艦艇の搭載量では充分探査は可能だと考えますが。」
その質問に、気まずい空気が流れるのを感じながらも、参謀が答える。
「大型艦艇だと座礁の危険があります。また、測量船の数も足りていません。それに、大型艦艇単体では防御力に難があり、必然的に艦隊を組む必要があります。それを考えますと……」
そういって参謀は俯く。
それを聞いた私は笑うしかなかった。空母や大型戦闘艦艇の導入を推し進めてきた結果、北日本海軍は仮想敵国の海軍と艦隊決戦を行う以外の能力が極端に弱い海軍になってしまっていた。
これが国を傾けるほどの軍事費を掛けて建造した海軍とは……。
転移直前には、新型空母の竣工を迎え、護衛艦艇や人員を無視して(洋上艦隊増強の為に潜水艦隊の縮小や予備艦艇を売却してまで)二番艦の起工を始めていたのだ。
現状では、冗談抜きで核砲弾搭載の戦艦や戦術核兵器を満載した原子力空母を海賊対策や航路警備に回さねばならなくなりそうだった。
……結局、我が国は南日本には勝てなかったのか。
そこまで頭が回り、彼女は思い至る。兵士の食事から、衛星通信ネットワークの構築までを後回しにし、ひたすらハードウェアだけでも対等に戦えるようにしていた我が海軍は、表面上では南日本の1/3程度の戦力を揃えた。いや、正確には彼らの言うところの《連合艦隊》に所属する洋上艦艇の1/3に匹敵する数を揃えたのだ。
そうして揃えた戦力を使って、南日本を含む西側のマスメディアは勿論の事、盟友の朝鮮や満州ですら我が国の空母機動部隊を盛んに報道して、西側の一般市民や自陣営の市民に、さも強い能力があるように見せかけることに成功していた。ただし、仮想敵国の同業者にはその実態を看破されていたが。
まぁ、主力たる空母や戦艦を護衛する艦艇やそれらを支援する艦艇が絶望的なまでに少ないのだからそうなる。
--無茶な戦略と軍拡のツケがこれか--
彼女はそう自嘲しつつも、この国が生きていく方法を考える。それこそが彼女の仕事なのだから。
北海道 釧路 戒厳令地区
市内の敵は第114空中突撃旅団によって掃討され、僕達国防軍は残敵の掃討及び現地の警備に当たっていた。
豊田軍曹と僕が所属していた隊は……残念ながら壊滅していた。
だから、僕と豊田軍曹は他の部隊の残余で臨時に編成された部隊に配属されて、市街地の敵部隊掃討任務に当たっていた。
「軍曹、お腹すきましたね」
目の前で行われている炊き出しの様子を見つつ、僕達は街角に立っている。
人民防衛軍の兵士達もその様子を和やかに見ている。
……パパパン。隣の道路から聞こえた銃声に驚き、炊き出しに並んでいた市民の一人がボルシチをこぼす。
血の様に赤いボルシチが道路に広がるのを見て、僕は漸く銃を構えながら銃声の聞こえた箇所へ向かう。「ーーで銃声、敵を発見、交戦中!ーー」
銃を撃つ兵士の横で大きな携帯無線機にがなりたてる兵士を見ながら、僕はシールドかなにかを出した男が、道路の真ん中で甲羅のように踞っているのが見えた。
初めは青色だった結界の色が、徐々に赤色に染まって行く。
ふと、敵の口を見る、何かを叫ぶと共に白いハンカチを振っている。
--降伏の意思?--
そうだと直感的に思い味方に言う。
「降伏するといっています‼攻撃を止めましょう‼」
味方は嫌々ながらも攻撃を止め、僕と豊田軍曹は銃を向けつつ敵に向かう。
「杖を捨てろ!」豊田軍曹が敵の額に銃口を着けつつ敵にそう言う。
屈辱に歪んだ敵の男が「わかった」そういって杖を下ろそうとした瞬間閃光が走り、視界が眩む。
「逃げ出したぞ‼」
味方が叫び、再び銃を連射する。
倒れ伏す敵と、近寄る味方。
どうやら足を撃たれたらしく、敵は呻き声をあげながら、僕たちに怨嗟の声をぶつける。
「召喚物が‼身の程を知れ‼」
喚いているなか、味方兵が持っていたAk74の銃床で相手を殴打し気絶させる。
「この程度で済むことに感謝するんだな。」
そういって、無線で本部に敵を確保したことを伝える。もし、敵が僕の事を攻撃していたら。
僕は、頭のなかで思い描いていた戦場との落差になれない自分をもどかしく感じていた。