ロマリアの憂鬱
ロマリアの広大な大地は、彼らの言うところの「北方の蛮族」の侵攻と、北日本の行動によって、周辺諸国を巻き込んで数世紀前の戦乱状態に逆戻りしていた。
いや、状態はそれよりも遥かに酷かった。
なにせ、突然王朝が、権威を与える宗教の総本山ごと吹き飛んだのだ。
過去の王朝の衰退で起こっていた様な地方勢力の自立化、官僚制度の老朽化や腐敗による民度の低下といった問題が起こっていない中で、急にである。
その上で、ロマリアの大地の一角を支配する国家を通じて、今まで存在しなかった文物や思想が送り込まれてくるのだ。
その帰結として、各地での戦闘や政治は今までよりも遥かに残酷かつ無慈悲になりつつあった。
山奥にある何の変哲のない農村は、現在殺戮の舞台となっていた。
鎧を着た立派な男や、質の良いローブを着た女達が魔法やそれらの力を付与した剣や弓で、農民たちを家から炙り出し、切り裂いてゆく。
「お願いします!子供たちだけは助けてください!」
子供を後ろに隠し、そう懇願する農婦を男達は容赦なく切り殺し、女達は何かを唱えて炎を子供たちに向ける。
子供たちの絶叫を背後に、男は未だ生き残っている者が居ないか捜索する。
彼に与えられた任務は、共和主義者やそれを支援する者たちを地域から掃討する事であった。
レンダーを中心に、北部カルパルディア地域全域にその支配権を確立しつつある「ロマリア評議会連邦」は、その支配権を更に広げるべく、その思想をロマリア全域に広げていた。
その思想曰く、男は「人民を搾取する醜い豚。」であり「人民に隷従を強要した罪を死を以て償うべき。」そうだった。
そして、その村は「共和主義者」達の根拠地の1つだとされたことが、この村の運命を決定づけた。
彼と、その傭兵たちは農民との和解ではなく、敵の根絶やしを選んだのだ。
(散々「恩」を掛けてやったのに反旗を翻すとは、この恩知らずが!)
彼にとって、反乱を起こした農民たちを根絶やしにすることは何の抵抗も感じない行為であった。
何せ、農民とは、彼にとって見れば家畜同然の存在なのだ。
彼からすれば、彼らだけでは何も出来ない存在にも関わらず彼らを統治してやっているのだから。
それが反乱を起こすとは恩知らずも甚だしかった。
彼から見れば、農民たちが地代や教会税そして強欲な領主に囲まれ、抑圧された生活を送っていることなど想像にも及ばなかった。
(農民たち自身も、自身の環境がどういったものか比較すら出来なかった。)
そこで人伝に伝わる「人民革命」の勃発と、北日本産の様々な文物や思想が農民たちに大きな影響を与え始めた。
無論、農民たち自身が革命に参加するような大きな影響はなかった。
彼らにとっては、教会の司教の説教を聞いて、領主に年貢を納める生活は変わらなかったからである。
北日本やその陣営で主張されているように、極貧と極度の圧迫を伴う生活は彼らから自立心と反抗心を奪っていたし、宗教によって彼らは「満足な」生活を送っていたのだ。
しかし、司教や領主はそうは思わなかった。
彼らは彼らで、ロマリア評議会連邦の支配下から漏れ伝わる情報※1に恐慌をきたしていた。
曰く、農民や都市民によって貴族は貴族というだけで処刑される。
財産の殆どを接収され、家族ごと無理やりどこかの辺境の地の開拓に回される。
教会は存在自体が許されなくなり、関係者は強制的な還俗を余儀なくされる。
その上で、ロマリア評議会連邦の発行する書物※2には頻繁に「労働者・農民の革命」やら「革命は農村から」といった言葉が登場するのだ。
ただでさえ周辺国との紛争やロマリア評議会連邦との戦争に対処しなければならなくなった彼らが、自身の領内に居る農民たちに危機感を抱いた挙句、どこからか出てきた情報によって起こっているのが現在の惨劇であった。
傭兵団の隊長が、指揮官である騎士に話しかける。
「騎士爵閣下、生き残った者達はいません。敵の掃討は完了しました。」
それを証明するかのように、傭兵たちは早速農村からの略奪を始めていた。
「わかった。戦利品の回収が終わったら、村に火を付けて畑に塩を撒いておけ。未だ隠れる背教者共には良い見せしめになる。」
そう騎士が言うと、隊長も戦利品の回収に参加し始める。
本来なら自分たちが守護すべき、自分たちの生活を支えるであろう農民たちを瑣末な密告で村ごと殲滅する。
それはつまり、自分たちの首を真綿で締めていく事に繋がるが、短期間の間に追い詰められ、正常な判断力を失って武力を濫用する彼らにはもはや理解ができなくなっていた。
他方、既存の特権階級から恐怖と憎悪の対象とされたロマリア評議会連邦も施政権内に大量に存在する貴族や騎士、ギルドや教会関係者に対して同様の制裁を「市民」と共に課していた。
ただし、制裁は飽くまでも既存の特権階級のみに限られていた。
共有地として農地を有していた農民や私有財産を有する富農、都市参議会等で貴族や騎士等を除く一般人とされた者等に対しては、ロマリア人民党と北日本は医療や公衆衛生の提供などの手厚い援助を行っていたし、数カ月後に実施が予定されていた選挙に於いて、彼ら自身の立候補の支援すら行っていた。
北日本は、ロマリア人民党にロシア内戦時のボリシェヴィキの轍を踏ませるつもりは無かったし、ロマリア評議会連邦の統治の正統性を示すには、可能な限り多くの民衆の支持を集める必要があったからだ。(ただし、このことがロマリア人民党に大きな問題を生じさせる事になるとは、このときに知る由も無かった。)
北日本はロマリアから排斥される者の中で有益そうな人物を移民という形で有用な人材をロマリア評議会連邦に割譲させた沿岸部の島々や、ボヘミア本島に居住させ、魔導研究に必要な人材を確保していた。
北日本は、当初の目論見通りにボヘミアやロマリアに友好的な政権を樹立すると共に急速な工業化を行い資源の自給、市場の確保の目処を付けつつあった。
ロマリアの社会主義政権は緩やかだが順調な統治範囲の拡大を行い、その沿岸部には軽工業中心であるものの、工業化、産業革命が起こりつつあった。
ボヘミアは、既に北日本の下請けとして機能し始めており、作りたての巨大な工業地帯と、大陸から逃れた勤勉で有能な人々によって北日本市民が必要とするそれなりに高度な性能を有する民需品や軍需製品の一部等の生産が開始されていた。
デルモンターレスの協力もあり、数十年単位で進んでいる技術の分析も始まり、北日本が滅亡しないような手立ても考えられ始めた。
北日本にとって、漸く前途が順調になり始めていた。
しかし、暗雲若しくは嵐が北日本へ迫っていた。
※1この情報は、基本的に正しかった。
ロマリア評議会の憲法は全人民に対して公正な裁判と適正手続を保障しているものの、裁判において裁判官を務めるのは「抽選」で選ばれた人民階級の者達と、北日本による即席教育を受けた裁判官であった為、特にその初期においては非常に乱暴な判決が連発していた。
また、取調においても情実や拷問がまかり通っていたのだ。
ごく初期では、裁判は1審制で法典は北日本のそれと比べてかなり薄く、条文も非常にざっくりしたものであった。(人を殺したものは誰であれ死刑 等。それでも、ロマリア連合王国時代に比べれば法律自体は進化していたが。)
更に、評議会や北日本の意向によって教会の廃止や財産の接収、身柄の北日本への引き渡し等は日常茶飯事として行われていた。
これらの司法の形骸化は、国家体制の整備が進み北日本から派遣された司法官達による教育が進む事で改善されてゆく事になる。
※2 ロマリア人民党は「文盲からの解放」を標語として、各地に大量の学校や図書室を設置し、子供から成人までに殆ど強制的に読み書きと初歩的な計算の修得を義務付けていた。
その一環として、教科書や練習ノートと共に、プロパガンダポスターや政治的な書物も大量に配布されていた。




