唐突なスタート
2015年はこの偉大な祖国、日本人民共和国にとって建国以来最大の国難が訪れた年である。
南の日本国を僭称する資本主義国家とそれに付随する米国が、地上の楽園である我が共和国を滅ぼそうという狡猾な策謀を張り巡らせている状況で、革命の志を同じくする同志である朝鮮民主主義人民共和国、満州人民共和国と共に共産主義の勝利へと邁進していた我が国は、圧制と貧困が蔓延り人民を搾取し、隷従を強いる帝国主義者が跋扈する世界へと「転移」したのである。――日本人民共和国のとある新聞記事より。
「それ」が起きたのは、日本標準時2015年1月1日の0時0分丁度だった。
一番早く異変を察知したのは自身が運用している各種人工衛星及び24時間体制でホットラインを確保しているロシアや朝鮮との交信が途絶えた各官庁の通信部局であり、次に異変を察知したのは南日本の攻撃に備えて各地に待機している戦略潜水艦の何隻かと連絡が途絶えた統合参謀本部であった。
それぞれが政府に連絡を取ろうとしても応答が全く無いことから、各担当者の頭にはひとつの事態が思い浮かぶ。
そして、このような異常な事態に直面した各担当者は一つの結論に至り、事前の打ち合わせがあったかのように非常時用―核戦争用―の規定に従って行動を始めた。
通信部局は国民に対して避難命令と戦争開始を知らせる放送をラジオ、テレビ、イントラネットに一斉に流し、統合参謀本部は生き残っている戦略潜水艦部隊、国内に待機している戦略航空部隊、弾道弾部隊等の生存が確認される全ての戦略部隊にそれぞれの規定目標に対する攻撃準備と、併せて通信途絶時の指揮権の委譲を宣言。
更に全軍に規定の作戦に従っての侵攻作戦と発射されたであろう弾道弾の迎撃を指示した。
しかし、いつまでたっても弾道弾はおろか銃弾一発も国境の向こう側から飛んできていない状態に疑念が生まれ、目標地点に飛行中の戦略航空部隊からの報告によって疑念は確信に変わった。
「目標地点へのランドマークなし。」そして、地上で侵攻を開始した陸軍からも「地形が全く異なり、正体不明の生物群を撃破中。」との報告を受けた統合参謀本部は全戦略部隊に作戦中止を下命した。
幸いにも一部の部隊を除いては「報復」攻撃を行っておらず、攻撃を行った一部についてもグアムやアンカレッジといった遠方地域に対する「報復」であって直ちに共和国に放射能汚染等の影響はなかった。
後になって判明した事だが、本土に配備されている戦略航空部隊と弾道弾部隊は急な攻撃準備が間に合わず、本土より離れた位置にいた部隊についても、水爆哨戒を行っていた部隊や潜水艦は発射地点への移動中に中止命令が出されたことから、実際に「報復」を行ったのは偶然発射可能位置にいた潜水艦のみだったという事が判明している。
転移前の北日本が数百発単位の核弾頭を保持している事からすると、全て発射されなかったのは幸運であった。(それでも数十発単位の水爆が発射されたが)
それよりもいつまでたっても政府との連絡が取れないこと、前線に程近い要塞都市である釧路を筆頭に前線に程近い各地からの救援要請に統合参謀本部以下の官庁は忙殺され、「報復」に対する損害を考慮するのはそれらが落ち着いた大分後になってからである。
2015年1月1日 0時45分 釧路市郊外
国境線側の市街地は戦場になっている。街中を矢や火の玉と銃弾と催涙弾が飛び交い、辺りには火を点けられた建物から逃げ出そうとして殺された市民の死体があちこちに横たわっている。
その市街地で、警告灯を光らせサイレンを鳴らすパトカーの側には完全武装の警察官が謎の武装勢力を相手に防戦を続けている。
始めは、屋内退避を行っていた市民からの通報だった。
「鎧を着た男が建物に火をつけている」その通報を皮切りに市内各所から寄せられる同様の通報に、ただでさえ緊急避難と戦争開始で混乱している緊急時用の通話システムはパンク。
現場に駆け付けた警察官達は指揮もないまま個別に戦うことを強いられていた。
「抵抗するものは殺して構わん! 女は犯してもいい、戦利品は好きに取れ!」
杖を持った男がそう叫ぶと、その部下らしき男たちが下卑た声を上げて阻止線に近づいてくる。
俺は樺太自動車製のパトカーを盾にしつつ自身が持つマカロフPMで阻止する。
「畜生!軍隊はなにしていやがる!」市民の各場所への待避指示を行っていたら謎の軍勢の市内への侵入の報を同僚から受け、応援に駆けつけたらこの有様。
中世の騎士の格好をしたやつと、饐えた臭いのする男どもが無辜の市民を殺し、威嚇射撃を行った同僚を躊躇無く殺したことで、こっちはパトカーに載せてあるありとあらゆる武装で犯罪者どもに反撃している最中だった。
「応援はまだなのか!?」パトカーに火の玉が直撃した結果、無線機が使い物にならなくなった同僚が、敵の矢に応戦しつつ叫ぶ。
「無線が錯綜している! 分かっている事は市内各所でこいつらが出没していることと駐屯地の部隊が応援に駆けつけていることだけだ!」無線機を使って本部と会話している同僚が答える。
市の郊外にある釧路駐屯地に駐留しているのは陸軍の第114空中突撃旅団というヘリ部隊と国防軍の2個大隊、それだけあれば市内から敵を掃討できそうだ。
俺はそう安心しつつ、杖を持ち火の玉をこちらにぶつけている男に対してMP133のショットシェルを見舞ってやる。
お返しとばかりにこちらに火の玉がぶつけられ、不運にもパトカーとそれを盾にしていた同僚が吹っ飛ぶ。
「畜生め! 援護してくれ!」俺はそう叫ぶと、杖を持っている男に向かって特殊警棒片手に走り出す。「頭をかち割ってやる!」、銃声に身を屈めていた男が俺に気が付いたが、もう遅い。
驚愕したような顔をしているそいつの目に向かって特殊警棒を突き刺す。
そこで、冷たい痛覚が腹から身体中に走る。氷が自身の身体を貫いていた。「こいつら魔法使いかよ」俺の意識はそこで途絶えた。
国境上に位置するトーチカの中で何人かのローブを着た者たちが話していた。
彼らの率いる軍勢は奇襲によってトーチカに居た現地人の兵士たちを皆殺しにした後、そこから召喚した大地内部に浸透を開始していた。
それ以外にも各方面での侵攻作戦は行われており、可及的速やかに現地を制圧した後に現地人達を奴隷として連れ帰らねばならなかった。
その為に彼らの祖国は召喚魔法を使って異世界の魔法の使えない蛮族を呼び出したのだから。
「導師マルコル、召喚した大地をどう思いますか?」部下の一人から尋ねられたマルコルは、暗い顔をして答える「蛮族にしては随分高い技術を持っているようだ。部下たちになにも無ければよいが」
そう答えつつトーチカに置かれていた光る板と文字盤が付随しているもの―ノートパソコン―を手に取りつつ答える。
「こういう物を作れる職人ならば家臣として召抱えてもいいかもしれん」と他の同僚が言うと部下は笑う。何せ、灯り程度は魔法であっても児戯にも等しい簡易な技術なのだから。
その中で、マルコルはこの地の異様さを恐らく侵攻軍の誰よりも理解していた。
鉄条網に無個性な建物は兎も角、建物の中にあるガラスのコップや本といった文物や綺麗に舗装されている道路は彼ら基準でみても魔道先進国に勝るとも劣らないものだ。
気を引き締めたような顔をしたマルコルは文物を調査し始める。
科学というものの情報に触れたとき、魔法使いというこの世界を動かす地位にある者たちは一笑に付した。あんな非力な技術でなにができるものか、と。
彼らの無知を責めるのは酷だろう、なにせ彼らは魔法という物が存在する世界で生きてきたのだから。
それ以外の技術体系が存在する、または存在するとしても魔法よりも下の存在だとの偏見を持っても仕方がなかった。
実際、魔法のなかには現代の我々の科学技術に匹敵するものも存在しているのだ。この世界の科学技術が進んでいる地域でも18世紀初頭、遅れている地域ではメソポタミア文明期の水準であることを考慮するならば、彼らが魔法を至上の技術と見なすのも無理は無かった。
しかし、そんな彼らの常識はそう遠くない将来に裏切られる事になる。