1、消えない色
自分でも、要領のいい人間だと思う。
まあ、それが俺のウリのようなものだし。
ガキの頃から、ずっとそれでやってきた。
実際、要領よく立ちまわれなければ、弟の秋と2人生きてはこられなかったわけだし。
俺達を守る義務感なんて、あの女の頭にはあるわけなかっただろうし。
だけどまさか、その要領のよさが買われて。
日本でもトップクラスの売れっ子俳優のマネージャーの職につくなんて、思いもしなかったが。
結局、運がよかったって事で。
あの時。
ひとつ、夢をあきらめたら、悪くない人生が待っていた。
そんなところだ。
「木村さん、お疲れ様です。今日この間約束した合コン、19時から入れてますから。大丈夫ですよね?」
突然舞い込んだ仕事の打合せが終わり、訪れた東洋テレビの会議室が並ぶ廊下で、大手広告代理店東通の若林に声をかけられた。
「お疲れ様です。あれ?今日でしたっけ?」
そう言えば、先週そんな内容の電話がかかってきていたな。
芸能プロダクションの社員という職業柄、広告代理店の人間とも接点があるわけで。
その合コンの話も、付き合いで参加の返事をしていた。
「ええっ!?勘弁して下さいよー。ここの東洋テレビ局の女子アナ、木村さんが参加するっていう条件でOKもらっているんですから。」
結局、俺はエサかよ。
心の中でぼやきながらも、それとは反対の表情を作った。
「了解!今、女子アナって聞いて、一気にテンションあがったんで。場所は、どこですか?」
「あー、よかった!六本木です。ここからも近いし。場所は後でメール入れておきます。」
若林はホッとした表情をすると、約束の時間がせまっているのか腕時計に目を走らせ、手をあげて足早に奥の会議室へと去って行った。
俺は打合せが終わり、事務所へ戻るだけだったが、昼メシがまだだったので3階のカフェで食べて行くことにした。
既に14時近い。
どうりで腹が減っているはずだ。
打合せが長引いた原因を考えると、頭が痛くなってきた。
頭痛の種は、紺野丈治。
紺野は芸名で、本名は浜田。
俺より5歳下だが、わがままで態度がデカい。
幼馴染で弟とも同い年ということもあり、手のかかる弟的存在だ。
俺が勤める船津プロダクション所属の、現在国内外で注目されているジャズピアニストだ。
だけど、自由気ままな、管理される事を極端に嫌う面倒なヤツ。
社長も社長の兄の船津五郎さんも、何故か丈治を気に入っているから、かなりあいつは優遇され、自由奔放の離し飼い状態だ。
やりたくない仕事は、嫌だとはっきり自分の身分もわきまえずに言うから、始末が悪い。
まあ、確かに――
確かに、あいつのピアノは凄いが。
いや、凄いから・・・今回だって、こんなドデカいオファーがきたんだろう。
「カツサンド、ポークの方で。マスタードは大目に塗ってください。それから、オニオンサラダ、ドレッシングはゴマで・・・と、ホットコーヒー。コーヒーはブラック。あ、食後にお願いできますか?」
ウェイトレスが来たので腹も減っている事もあり、水がテーブルに置かれる前に手際よく注文をした。
だけど、それがよくなかったのか。
「カ・・・う?オニ・・・ええっ!?」
俺が早口で喋ったせいか、慌てて伝票に注文を書こうと、ウエィとレスがお盆を斜めにした。
勿論、水がテーブルに置かれる前だ。
「キャッ・・・「わっ・・・・っぶねぇ・・・・。」
とっさに、斜めになりかけたお盆を抑えた。
・・・このウエィトレス、すげぇな。
自分が持っているお盆にのせた水、普通忘れるか?
アホさ加減に少し引いた。
だけど。
「す、す、す、す、すみませ、んっ。」
体を『く』の字に・・・いや、『∩』の字…数学の積集合の記号のような形にして、謝る姿は・・・。
いや、いいけど。
このウエィトレス、お盆から完全に手を離しているし。
つまり、俺がお盆を持っているっていうことだ。
よほど焦っていたのだろう。
その事に、暫くして気がついたようで、また、カミながら必死で謝ってきた。
・・・俺は、カミながら必死で謝る、ウェイトレスの姿に笑いがこぼれ、何だか不思議と癒された。
いや、それよりも。
なかなかいないよな・・・今時、こんなドンくさいヤツ。
俺を含め、この業界・・・要領のイイヤツと、調子のイイヤツばかりで。
時々、うんざりする。
さっきだって、合コンが面倒だって思いながらも、女子アナでテンションあがるって調子こいた自分に、どこかうんざりしていた。
その後。
注文してやってきたカツサンドが、いつもより旨いと思ったのは、気のせいだろうか?
「わ・・・!凄く素敵な空の色!・・・これぇ、どこで撮ったんですかぁ?」
洋風居酒屋の個室で男女4人ずつの飲み会の最中、隣に座った女がメアド交換をしようとして、俺のスマホの待ち受けを覗き込んだ。
メアドを聞かれて、いつものようにノリで交換しようとしていたが、その言葉で・・・一瞬にしてその気が失せた。
質問してきたのは、確か入社2年目の高木っていう女子アナで。
高ピーというニックネームで、今東洋テレビで一番人気の女子アナだそうだ。
確かにすらりとしたスレンダーなスタイルに、目が大きく綺麗な顔立ち。
清楚感があり、お洒落なスーツとナチュラル仕立てのメイクと巻き髪は完璧だ。
多分、自分でもその外見がどう男に効果的なのかを理解しているのだろう。
さっきの質問から、そんな彼女の計算まで鼻につきだし。
合コンさえも、面倒になった。
そう思うとたまらなくなって、俺は立ちあがった。
「え、木村さん?」
高木が、驚いた表情で俺を見上げた。
「あ、申し訳ない。連絡入れないといけないところがあったんです。ちょっと、席外しますね?」
そう彼女に柔らかく言うと、俺は入口近くに座っていた先ほどの大手広告代理店、東通の若林君に仕事の連絡があるから席を外すと断り、部屋を出た。
もちろん、彼は今日の幹事役だ。
いつも合コンは、付き合いで参加するようなものだ。
まあ、付き合いで参加したって、気が向けばお持ち帰りをすることはあるが。
36にもなって、自分でも何やってんだと突っ込みたくなる時はあるが。
だけど、今更パートナーを作る気はないし。
一生、このままで行くんだろうと、なんとなく将来が見えている。
というのは、多分こうなるぞ、という将来像が身近にあるからで。
丈治の父親の、浜田さん・・・。
安易に想像しやすかったりする。
何となく、あの時の思いが蘇ってきて、息苦しくなり店外へと俺は出た。
見上げれば、鬱陶しいくらいの満月。
俺は、月が好きじゃない。
レイちゃんは、『月は平等に照らしてくれるから好き』と、哲学的なことを言うが。
まあ、あの人は頭がいいからな。
だけど、俺は。
月を見て、哲学的な気持ちになんかとてもなれない。
俺にとっての月は。
いつだって――
『諦め』の象徴だからだ。
店の入り口の前の歩道に取りつけてある、ガードレールに腰を下ろした。
俺は身長が185センチあるから、腰かけるにはガードレールの高さは丁度いい。
月を見ないように、俯く。
だけど・・・此処まで、考えると必ず思い出す存在。
赤いルージュと爪。
華やかなパーマのかかった長い髪。
潤んだ大きな瞳と、泣きぼくろ。
形の良い、小作りの鼻。
誰もが心を奪われる容姿をしていた、俺の―――
母親。
毒々しくて、最低な。
母親――
思い出してしまった自分に腹が立ち、イライラとタバコを咥えた。
ライターで火をつける。
深く吸い込んで、ため息のように煙を吐いた。
ニコチンの摂取で、少し気持ちが落ち着く。
まあ、気のせいかも知れないが。
本当は、タバコなんて好きではない。
他人が吸うタバコはもっと嫌だ。
だけど、時々無性にタバコが吸いたくなる。
まるで、過去の呪縛から逃れられないかのように―――
タバコを1本吸い終わると、部屋に戻る気持ちはなくなってしまった。
急用ができたと言って、金を多めに置いて帰れば問題はないだろう。
この業界、特に俺の様な人気俳優、瀬野将のチーフマネージャーをやっていると、そういう場合も実際にあるわけで。
まあ、将は、真面目だから、時間も下準備も俳優としての気持ちの作り方も申し分ないほどきっちりしているから、面倒はかけないが。
1年前に結婚したレイちゃんともうまくいっているし、英語を習得するって張り切っているから、ますます真面目だし。
本当に、申し分のないプロ意識だ。
それに、比べ・・・丈治のやつは・・・。
去年結婚した頃から、仕事を渋るようになった。
嫁の綾乃ちゃんと片時も離れていたくないと、あの強面の俺様顔で平気で言う。
本当に我儘な奴だ。
そろそろヤキ入れないといけないかな。
だけど、あいつは強いからな。
いわゆる、馬鹿力ってやつだ。
本当に、女に関しては・・・家庭環境のせいか・・・クールな男だったのに、綾乃ちゃんに出会ってからは別人かと思うほどの溺愛ぶりだ。
まあ、確かに。
一見完璧な出来る女と見せかけて、素があんなに可愛いんじゃ・・・しかたがないとは思うが。
見た目も性格も丈治のドストライクだしな。
俺でさえ・・・あの、甘えっぷりは・・・確かにうらやましい。
しかも、普段は全部丈治がしきって、綾乃ちゃんが頼っているというスタイルだもんな。
はあ・・・。
丈治とことごとくタイプがカブる俺としちゃ、理想像なんだよな。
パートナーを別に求めちゃいないが、綾乃ちゃんだったら俺もイケるんだけどな・・・。
なんて、丈治に殺されるか・・・。
そんな不毛な事を考えていたら、目の前にタクシーが停まった。
何気なく目をやると。
後部座席からは、似合わないファッションに金をかけた、中年の赤ら顔の小太りの男と。
園田カオリと、小太りと同年代の顎がしゃくれたスーツの男と、助手席からは華奢でショートボブスタイルの女子が降りてきた。
面倒くさい事になった・・・というのは、全員顔見知りだからだ。
そして俺は、合コンの席から、タクシーから降りてきたグループの飲み会へ移動になった。
結局、面倒からは解放されていない。
いや、ますます面倒になったのかもしれない。
「木村さん、瀬野さんは元気にしてる?いや、結婚披露宴にうかがって以来、会ってないしさー。いや、披露宴出席のお礼は丁寧に電話頂いたけど・・・丁度、いいドラマの企画があってさ・・・瀬野さんにどうかと思って。」
顎スーツが、俺にビールを勧めながら仕事の話をしてきた。
この顎スーツは、東洋テレビ局のドラマ部門のプロデューサーをしている。
こんな顔をしているが、結構良い作品を作る。
将も何度も、仕事ではこの人に世話になった。
「ありがとうございます。では、明日にでもそちらへ企画を頂きにあがります。」
そう言うと、赤ら顔の小太りが、手帳を開いて時間の打合せを始めた。
この赤ら顔の小太りはドラマ部門のディレクターで、顎スーツの部下だ。
その様子をつまらなそうに見ている若手女優の園田カオリと。
うまそうに生ビールを飲んでいる、俺の目の前に座る東洋テレビ局3階のカフェの店員。
そう、この目の前の女は。
さっき、俺がカフェで昼食をオーダーしたドンくさい店員だった・・・。
一体、どういう繋がりなんだ?
って、園田カオリは何となくわかるけど。
つまり、営業だ・・・枕の。
園田カオリの事務所はアイドルが多いが、ほとんど枕営業をさせる方針だ。
ウチの事務所に8年くらい前に移籍してきた、人気女優の志摩アイナも前はこの事務所だったから、営業をさせられたのだろう。
まあ、この業界ではめずらしくもないが。
20歳そこそこの清純派女優の園田カオリがこういう営業をするというのは、少し大人としてどうかとも思うが。
でも、結局。
本人もわかっての営業だろうから、俺が何か言う事ではないのだ。
そして、ウチの事務所ではそういう事が一切なくて、本当に良かったと思うのは偽善だろうか。
と言っても、事務所の所属タレントは、男が4人で女が2人・・・しかも志摩アイナと将の奥さんのレイちゃんだから、そんな営業をするわけないが。
「えーと、東洋テレビの3階の『オリエント』のお店の人ですよね?」
ビールをうまそうに煽りグラスを空にした彼女に、ピッチャーで新たにビールを注ぎながら話しかけた。
彼女は、頷くと首を傾げた。
「え、と・・・お客様で・・・いらっしゃったこと、あるのでしょうか?」
との返答。
「・・・・・・。」
びっくりだ。
昼間、あんなすげぇドジ踏んだ癖に、すっかり記憶にないというのか。
俺が固まっていると、目の前の女は、ハッとして。
「す、すみませんっ。その感じだと、私、ご迷惑おかけしたんですね?す、すみませんっ。」
突然、女が謝り出すのと、園田カオリが噴き出すのが同時だった。
「ぷっ、椿・・・あんた、また何かやらかしたの?」
園田の言葉に赤面する女に、何となく状況を理解した。
つまり、ああいうドンくさい出来事は、彼女にとって珍しい事ではないということか。
オロオロする、彼女に俺は笑顔で口を開いた。
「カツサンドは、ポークの方。マスタードは大目に。オニオンサラダ、ドレッシングはゴマ食後に、ホットコーヒー。コーヒーはブラック。」
俺の言葉に、女がハッ、とした。
「ああっ、昼間・・・・やたら注文が多かった、お客様!」
「よかった、ようやく思い出してくれたみたいで。」
「あ、あ、あ、先ほどは本当にすみませんでしたっ。」
また、深々と頭を下げる。
そんなに、一生懸命謝らなくてもいいのに。
どうせ、バイトだろうし・・・。
まあ、そんなことは言わないけど。
「いや、もう、そんなに気にしないで?それより、自己紹介していい?」
俺は、いつものようにそつのない笑顔で、名刺を差し出した。
しかし、よく飲むな。
俺は、社長に将のドラマの企画を簡単に説明するメールを送ると、黙々とビールをあおる目の前の女を半ば呆れ顔でみつめた。
女は、日向野椿という名前で、今月から東洋テレビの3階カフェでバイトを始めたそうだ。
「・・・私、ビールが好きなんです。」
突然。
何の脈絡もなく。
俺の視線を感じたのか、そっけない口調で日向野がそう言った。
「・・・え?」
「カオリが同席すればビール飲ませてくれるって言うので来たのです。明らかに、私場違いですけど・・・。」
向かいの席で、園田カオリは顎スーツと赤ら顔の小太りと楽しそうに、話をしている。
成程・・・漸く理解が出来た。
園田カオリが女1人では、清純派だし周りの目を気にして、日向野を誘ったってことか。
日向野は見たところ園田カオリとは同年代のようだが、タイプが違う。
いや、見た目は共通点があるが、中身のタイプが・・・。
だけど、友達なのだろう。
女特有のベタベタしたお友達関係ではなさそうだが、信頼が存在するような空気感が2人の間にはある。
と、そんな事を考えていたら。
テーブルの上のスマホがメール着信を告げた。
社長からで、とりあえず明日企画打ち合わせに同行するから事務所へ一度出社するようにということだった。
将も結婚をしたし、今後の方向性をしっかり考えたいというところなのだろう。
了解の返事を送り、スマホをテーブルに置いた。
何となくホッとして、飲みかけの焼酎のグラスに手を伸ばすと。
「LAですね・・・。」
ボソリ、と隣の日向野がつぶやいた。
その、ワードに過剰反応した俺は。
日向野を見た。
そして、その日向野の視線をたどると。
やはり。
「何が?」
今日は月のせいで、思い出したくないことを思い出してしまったので。
もう、その手の話は避けたくて、はぐらかそうと思ったが。
無駄だったようで、日向野は真顔でそんな俺の、とぼけた言葉をスルーした。
「待ち受け。LAの空ですよね。」
「・・・・・・。」
「あの青は、特別。」
そう言って、日向野が待ち受けをじっとのぞきこんだ。
なんとなく。
その目は・・・俺と似ていると、思った。
こいつも、俺みたいにこの青は。
心から消えない、色なのだろうか――