序話
森には魔法の力がある、という。
森に一歩足を踏み入れれば、埃と排気ガスにまみれた現世の喧騒から切り離されて、全てから自由になった気分になれるのだ、と。
こころなしか肩に背負っていた重いものがすっかり抜け落ちて、全身が浮くような心地になるのだ、と。
それは、古くから人間が足を延ばし、大昔から人間に寄り添ってきた森たちが、しぜんと人間に心を開いている印かもしれない。あるいは、訪れる者になりふり構わず愛想を振りまき、気に入ってもらおう、守ってもらおうとする森たちの下心の表れかもしれない。
どちらにせよ、人間にとって森というのは、どこか神秘的で、幻想的で、しかし必ず何かをあたえてくれる存在だ。
ならば、人間が生きる遥か以前、太古から何人にも触れられず、立ち入らせず、ひっそりとたたずんできた森はどうだろう。彼らは誰にも心を開かず、ただ太陽の恩恵だけを受けている。人間の目に映っていなくとも、気付かれずとも、彼らは確かにそこにいる。
ミコク森もまた、そういう森の一つだった。昔から山間の小さな村の淵に、人知れず立っている森だった。深い森なのか、林に近い森なのか、今生きている村民で知る者はほとんどいない。木造の家々と田んぼが立ち並ぶのどかな光景に向かって、ただその小さな口をぽっかりと開けている。その口すらもまるで目隠しが掛けられているようで、まれに通りがかる村民も、誰一人として見向きもしない。
それでもたまに、本当にごく稀に、ミコク森の入り口の前に立ち止まって、一瞥をくれる者もいるが、すぐに顔を背けて立ち去ってしまう。無理もない、入り口は不自然に暗く、青々とした木々が立ち並ぶパノラマ写真に、そこだけ穴が空いてしまったかのようだから。もっとも、立ち止まる人はそんな浮世離れした景色ではなく、入り口の草むらの中央に、ポツンと一つ立っている看板に目を向けているのだが。
「このさき ミコクモリ 立ち入るべからず」
「立ち入り禁止」なんて軽いものじゃないのは確かだ。「立ち入るべからず」。その単純ながら厳格な威嚇の文句に、人々は従わざるを得ない。
この村の多くの人は、看板を見るまでもなく、「立ち入るべからず」という意識は刻み込まれているのだが。
「いいかい。ミコク森には、お空が降ってきても逃げ込んじゃいけないよ。」
それがこの「ミコク村」の、古くからの言い伝えだった。




