アースティア大戦史・歴史紀行・第10回
西暦2030年 5月20日。博多港の出航から約8時間。
コヨミ半島の周辺の海底の地形と海流に注意しながら日本異世界外交大陸調査派遣団たる護衛艦隊は、遂に目的地である万代藩、万代港に到着しました。
現地に到着しからの予定では、竜史ら日本国使節団一行は紅葉の案内で、万代藩の居城である万代青葉山城に登城する事に成って居ました。
その万代港ではコヨミ水軍東部方面軍・万代藩水軍所属の高雄瑞樹水軍大将と愛宕千棘水軍中将に出迎えられ事に成るのです。
上陸するのに当たって各輸送艦からは、第1師団と第10師団。
そして、全国から集められた陸自混成派遣師団の車両と物資が下ろされて行きました。
日本国使節団一行は、チャーターした民間船から、陸自隊員等が続々と下りて居り、主力を担う第2師団、第7師団、第5旅団からなる北部方面隊混成派遣師団は、輸送艦に乗船させていた車両と共に戦車を中心とした車両部隊を降ろし、南の自衛隊基地の駐機場へと移動させ、宿舎へと移動をしたと防衛省の映像記録が残って居ます。
自衛隊北部方面隊の派遣は、ソ連時代から続いて居たロシアの仮想敵国として意味が消えた事と北方の大陸国家がコヨミ皇国の同盟国家と判明した事での大規模な機甲師団の派遣が決まったのです。
この日、日本国使節団を出迎えた高雄瑞樹は、後にコヨミ皇国海軍大将と成り、愛宕千棘はコヨミ皇国海軍中将と成る。
この二人は、後に行われる日帝東洋戦役と言う日本近海海戦の戦争に措いて、日本を中心とした連合艦隊の一員として参加する事に成ります。
特に彼女達が有名と成る切っ掛けは、異世界各国が初めて配備される近代式戦艦の指揮を取って戦い、歴史に知られる存在と成るのです。
特にこの時の面白いエピソードとして、愛宕千棘と言う人物は、見る人に由ってはバインバインと言った擬音やティンパニーを叩く音にも聞えてしまうほどに豊満なバストを有して居ました。
それ位の印象に残る女性将校だった為か、そんな彼女の容姿に対して、だらしなく見とれている陸海空の若い自衛官を叱責する自衛隊統合派遣隊の最高指揮官・羽佐間道直海上幕僚長が怒鳴り声を上げと言う記録が残って居ます。
コヨミ皇国の現地自治藩政府と現地駐留軍らの出迎えを受けた日本国使節団は、万代藩の政治中心地たる万代城へと向かえました。
再開発前の万代市と万代城の様相は、日本国の仙台市市立博物館の記録資料に残る江戸時代の仙台とそっくりそのままだったと言われて居ます。
今は旧市街地と万代城周辺地域を除く万代市市街地は、高層ビル等が立ち並んでいる近代化都市では在りますが、竜史・紅葉・愛美らの尽力により江戸時代の様な街並みは、文化遺産として保存され、今もなお万代市民と観光客らに親しまれて居ります。
さて、その万代城へと向かう道すがらでは、万代市民達が物珍しそうな顔つきで、日本国使節団と自衛隊護衛車両部隊の後進を見て居り、日本と関わり合いが薄かった市民達でごった返して居たそうです。
当時、万代市では、紅葉の仲介で始まった日本国との国交開設へ向けての準備に措いて、南西国藩の藩都・加古島市と同じく、日暦合同での近代化沿岸都市として再開発事業の真っ最中でした。
この時、多く万代市民やコヨミ皇国国民達が、日本国の技術者から指導を受け、日本国の国家資格を取得し、同時にコヨミ皇国で制定された国外特定技術資格保持者法によりコヨミ皇国も認可した認定証を受けて居ました。
この人々が後にコヨミ皇国の近代化を担う人材に成ったのは言うまでも在りません。




