アースティア大戦史・歴史紀行・第37回
アースティア暦 1000年・西暦2030年・5月28日・午前9時44分頃のことでした。
日本国・北海道・札幌市・札幌駅にて、とある出来事が有りました。
この時のラクロアナ王国のフランシェスカ・アブヒム・ラクロアナ王女は、父親であるレビル・アブヒム・ラクロアナ国王の療養中の見舞いも兼ねて、日本国に非公式訪問をして居ましたが、その後は時期を見計らって正式訪問をして居る事を公表します。
アースティア暦 1000年・西暦2030年・5月28日からアースティア暦 1000年・西暦2030年・8月3日までの約二ヶ月間もの間を北海道視察旅行に費やして居たそうです。
ラクロアナ王国のフランシェスカ・アブヒム・ラクロアナ王女は、外務大臣のエマリー・ロズリーを伴って、港町であるニュウヤーク市より、日本の海上保安庁の大型巡視船に乗り込んで、日本国・北海道の小樽港から密かに来日して来てらしく、
ラクロアナ王国内には、東京サミットの開催が発表されまでの間だけ、地方視察に1月ほど向うと発表されて居たそうです。
この時点では、東京サミットの開催と言うのは、未だ正式には決まっては居らず、その開催の是非と言うのは、ダバ派遣艦隊の動向次第と成って居る為、東京サミットの開催や反帝国同盟諸国と中立地域諸国らの国家元首と外交使節団等が、日本国へと向かうかも知れないとの大っぴらな情報公開をする訳にも行かなかったようなのです。
そんなフラン王女とエマリー外務大臣の二人が、日本国へと入国する為にも、日本の厳しい防疫検査と一ヶ月に亘る健康診断の結果、入国しても問題無しとの連絡を受けると直ぐに、日本への入国申請を出したそうです。
その返事は思いのほか簡単に許可が得られたらしいのですが、そのままの身分だと、当時の国内情勢下では、二人の訪問が過激派や反戦団体に妨害される恐れと療養中のレビル国王の所在地がばれてしまい兼ねないと言う事から政府公認で偽造身分証明書が作成される事に成りました。
東京サミットの開催が決まるまでのフラン王女とエマリー外務大臣達二人の表向きの身分証は、サンクトペテルブルク市から日本国へと旅行にやって来たロシア人の友人同士で、不幸な事に転移災害に巻き込まれてしまった結果。
帰国する事が叶わず、今後の身の振り方を決めて居ない為、北海道への帰化かウラジオストク市へと移住するかの二択を日本国とロシア共和国から如何したいのかを聞かれて居ると言う設定の人物とする事に成って居たそうです。
小樽港のフェリー乗り場に着いた大型巡視船に架かった桟橋から降り立ったフランとエマリーの二人は、此処で別れる事に成ります。
ラクロナ王国外務大臣であるエマリー・ロズリーは、福岡市東側郊外地域・神部町・異世界国家交流総合支援省・第1会議で行われる予定のアセリナ王国・アルガス公国・ラクロナ王国・ダバード・ロード王国の4カ国から、日本との国交開設交渉及び安全保障条約締結交渉の全権委任大使でした。
この4カ国の各政府は、警備上の理由から大臣クラスの要人を直ぐには、大勢送り出す余裕は無い為、日本から地理的に近いラクロナ王国外務大臣であるエマリーを各国は推挙して派遣を決定したそうです。
この世界の今の状況下では、妄りに国の要人が会議の為に他国へ行くと言う情報を流すと、帝国が何をして来るのが分からないので、事を進めるのには慎重を期す必要が有ったのでした。
その会議に臨むべく、彼女は札幌駅から北海道・東北新幹線と東海道・山陽新幹線を使って、福岡市へと向かいました。
一方のフラン王女は、札幌市内に在る札幌医科大学付属総合病院で療養中のレビル国王のお見舞いに向かいました。
札幌医科大学付属総合病院に着くと護衛警察官たちとと供に特別病棟へと向かいました。
レビル国王は、その身分であるが故に、秘匿されるべき人物である為、日本政府の手によって特別病棟に入院させられて居りました。
因みに札幌医科大学付属総合病院とは、札幌市内に在る札幌医科大学の付属病院の事で、普段は札幌市民が心身ともに身体が病んだ時に癒しを求めて通院する事で知られて居る札幌市の地域医療を担う地域病院の一つでした。
しかしながら、この時の札幌市・旭川市・函館市・千歳市を中心にして、反戦キャンペーンを訴えるデモ行列行進が行われ、『戦争反対っ!!』『シベリナ連合各国との国交樹立反対っ!!』『戦争して居る国との国交反対っ!!』
『ローラーナ帝国との賠償交渉し講和すべきっ!!』と、随分と乱暴な訴えをする者達の声が聞えて来るとレビル国王の不安な声が回顧録で語られて居たそうです。
護衛が厳重でも不安が拭えない中での、異国王女の訪問は危険性を伴う物でしたが、親子の対面は恙なく済んだらしく、父親であるレビル国王は、娘に北海道視察を勧め、留学も考えてみてはどうかと言ったそうです。
ラクロアナ王国は、北海道と良く似た気候風土らしく、北海道で盛んな近代産業を自国にも取り入られると考えたようなのです。
フラン王女は、父親であるレビル国王の勧めに従って、北海道視察旅行に出かける事にしました。
そんな北海道の各地をフラン王女は、旅行客のフリをしながら二か月間を掛けて回り、ラクロアナ王国の国政改革に役立てる様と必死に勉強をして回って居さうです。
一時期は各地域の有力者達にお願いをして、農業大学の農場や講義を受けたり、手を汚しながらも水産加工場で実地研修をさせて貰ったり、はたまた漁協組合に頼み込んで、漁に出掛けて行く漁船に乗り込み、大の男でも厳しい漁業を体験したり、更にはお菓子工房で菓子作りを学んだりと忙しい毎日を送って居た。
札幌農業大学にて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この日、札幌市内のに在る北海道大学・農学部で、見慣れない赤く染まったロングストレートヘアースタイルと物静でお淑やかな雰囲気の風貌の顔付きで、ボデイスタイルは背がやや高めであり、凹凸の在る完成された身体付きは、誰が見ても羨む見姿と言える女性がノートを片手に講義を受けて居た。
北海道大学は、北海道札幌市に本部を置く日本の国立大学である。
1876年(明治9年)創立の札幌農学校を前身とする国内の旧帝国大学7校の一つであり、THE大学ランキング日本版2022では国内第6位で、社会貢献の取り組みを示すインパクトランキングでは世界10位・国内1位に数えられており、愛称の呼び名として北大の名で知られて居ます。
フラン王女は、農業経済学を中心に一週間ほどの体験見学をする事にした。
農学部
生物資源科学科
応用生命科学科
生物機能化学科
森林科学科
畜産科学科
生物環境工学科
農業経済学
「おいっ!!アレって誰だ?」
「アレって?」
「だから、窓際側の一番後ろの席に居る赤く染まったロングストレートヘアースタイルと物静でお淑やかな雰囲気の風貌の顔付きをした女の子だよっ!!」
「それに、他にも二人の見慣れない金髪ショートヘアースタイルの女の子と銀髪ホブヘアースタイルの女の子も気に成るしっ!!」
「確かになぁ~、あんな子たち・・・新学期が始まった時には居なかったしなぁ~」と呟くのは、今年の一年生たちの男子学生たちだった。
講義が終わると、気に成る男子たちらは、早速ナンパを仕掛けると言う物。
「ねえねえ、君たちって入学式の時には居なかったよねっ!!」
「何所から来たのっ!!」
「この後、暇かな?」
「学食かどこかの喫茶店でお茶しないっ!?」と声を掛けて来ると、フランの周りに居るロシア人に扮して居る護衛任務の女騎士たちがの表情が豹変する。
「お前たちっ!」
「フランお嬢様は、お忙しいのだっ!」と声を荒げてしまう。
「二人ともっ!」
「「ですがっ!」」
「マリー、ローズっ!此処は二ホンなのですよ。それにわたくし達は、異国人なのです。二ホン人とケンカ腰に成って、騒いでしまっては、他の同胞国人に迷惑に成ります。」
「「はい、お嬢様っ!」」と居直る二人。
それに気圧されてしまったナンパ男たちは啞然として居た。
どうやら目の前に居る女の子たちらは、どこぞのご令嬢たちらしい事が分かったが、どう言った事情の女の子たちなのかが、全くの謎であった。
其処に、とある一年生の女子学生のグループが現れた。
「やっほー、フラン。迎えに来たよぉ~」とショートヘアースタイルの快活な女の子が現れた。
「ホノカ?何かご用かしら?」
「今朝、言ったでしょ?札幌市内を案内するってね?」とウインクする。
フランは迎えに来たほのかなる女子学生の思惑を察し、その申し出を受ける事にした。
因みにほのか成る人物は、北海道知事の鈴代直道知事の娘さんで、北海道大学に通って居る20歳の女子学生であった。
「鈴代さんって、この外人さんたちと知り合いなの?」
「ウラジオストクからのお客さんよ、そんでもって家のお父さんのお客様。こちらのお嬢様たちのお父さんとは、昔からの知り合い。今度ね、北海道大学の留学を考えて居るから、その前に見学に来て居るのよ。」
「ああ、それで見かけない顔だったんだ~」と納得する男子たち。
「フラン・シェスーカーと申します。ウラジオストクで農場と水産加工会社を経営して居る父親から、ほのかのお父さまを通じて、北海道大学に見学会にやって来ましたわ。この二人は、幼馴染みで、家の社員の娘さんたちです。」と紹介する。
「マリー・アントワーネットだ。」
「ローズ・リツレクアです。」と成り合った。
「・・・と言う訳よ。だからナンパは控えて欲しいなぁ~」とほのか言う。
男子学生たちらが女の子たちの事を良く見ると、北海道・札幌市内の名家・著名人や自衛隊に海保、それに警察関係者の娘さんたちが居並んで居た事に気が付く。
(おい、不味いって、よく見たら北海道の政財界やら、自衛隊に警察に・・海保の幹部関係者の娘さんたたばかりだぜっ!!)
(有識者・・・権力云々と言うより。マジに手を出すなって事だろう。)
(だな。此処は知らなかったで済ませたほうが無難だろう。)と言って男子学生たちらは引き下がって行くのであった。
「助かりました、ホノカ殿。」
「ええ、正直言って軍人である我らに、二ホン人の民間人の扱い方は、祖国に居た時と違って、勝手が違い、不慣れでしたので・・・・」
「ちょっとちょっとっ!!二人とも、それだとまだまだ硬いって、それじゃ、せっかくアタシたちがフォローしても、世間さまに言えない身分がバレバレだよぉ~、此処に居るあたしらは、タメなんだから、もっと砕けた態度で良いからさ~」と、ほのかは言う。
既に此処に居る女学生たちらは、それぞれの父親たちからの紹介で顔合わせを済ませていた為、ほのか達・・・女子学生たちらは、フランたちとは同年代であった。
「そうですよ、硬い口調だと、何所の誰なのかと疑われてしまいますわ。ねぇ、ホノカ?」
「ほらほらほら、肝心のフランお嬢様は、アタシたちにフランクでしょう?」
「はぁ~、分かりました。ホノカ。これで良いのだろう?」
「それで、ホノカ。これからわたし達を何所へ案内してくれるのかしら?」
「それじゃ、お昼ご飯に札幌市名物のスープカレーでも行きましょう。」と言う人に成り、北海道大学近くの専門店へと行くのであった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・と言うエピソードが有ったそうです。
この後、フラン王女は、ロシア人留学生のフラン・シェスーカーとして、北海道大学に留学生して居た事は、卒業後に発表されて、多くの札幌市民たちを驚かせる事に成になり、鈴代ほのからとのの友人関係は、末永く続いたとの事です。




