虎侍、猫女童に困惑す
主人公イメージイラスト
寒風吹きすさぶ野天の道場に、複数の野太い気合いの声が響いていた。
その声の主は、下は十から上は二十をいくつか超えたくらいの青少年達だ。
二人一組となり、尾をひらめかせ、獣の耳を研ぎ澄ませ、広い敷地の其処此処で縦横無尽に拳や木刀を交えていた。
師である男は黒に白の斑が入った耳をぴんと立てつつ、厳しい視線で眺めていたが、頃合いを見計らい声を張り上げた。
「よし、やめ! これにて今日の稽古は終了とする」
その声が聞こえるや否や青少年たちは組み打ちを止め、上がった息のまま、一斉に頭を下げた。
「ありがとうございました!」
そうして、汗みどろの彼らがわいわいと井戸へ去っていくのを、男も長い虎縞の尾を揺らめかせて見送ったのであった。
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「師匠!では失礼いたします!!」
「うむ」
最後まで道場の清掃をしていた少年が玄関で一礼するのに男がうなずくと、少年は頭頂部にぴんと伸びる兎耳を揺らして去っていった。
これで午後の稽古が終わったのだが、さてどうするかと、男――明虎は袖に手を入れて考え込む。
普段は町方から相談があったり、乞われて用心棒へ行ったりもするが、珍しくそう言った用事もなかった。
だが、ちと小腹がすいている。
「この季節ならおでんはうまそうだな。腹ごしらえに出るか」
そう算段した明虎は、身支度を整え刀を一本差しにすると、下駄を突っかけて町へ出かけた。
立春とはいえ、外はまだ寒かった。
一応、羽織を着、手拭いを首に巻いてはいたものの、着物の裾やら袖やらから冷気が忍び込み、明虎の虎耳と尾も思わず震える。
袖に手を入れ多少の暖を取りつつ、腰からのびる太い黄色に黒縞の尻尾を揺らして屋台を探してあてどもなく街を歩いていると、ふと空に雁の飛翔する様をみつけた。
動くものを見ると、少々血が騒ぐのは虎の性である。
明虎が思わず足を止めると、どて、と膝のあたりに衝撃を感じた。
続いて、どたっと、地面に転がる音。
下を向けば、白い猫耳の幼い童が地面に尻もちをついていた。
年は数えで5つか6つだろうか。
相当痛かったのかふくふくと愛らしい顔を盛大にゆがめ、かぎ状にまがった白いしっぽの先を揺らめかせている。
その目じりに涙が浮かんでいる事に気付いた明虎は、内心大慌てだったのだが、驚きすぎて木偶の棒のように突っ立っているばかりであった。
なにせ、明虎は道場に入門を求める10の少年にすら怯えられる強面である。
決して魁偉というわけではないのだが、にじみ出る気迫というものに気圧されるようで。
幼き頃より武と剣に打ち込んでいたせいか饒舌なたちではなく、明虎は丁度この童ほどの子供に恐ろしく受けが悪いのを自覚していた。
それでも悪いのはこの猫の子供に気づかなかった己であると奮起し、何とかその女童に声をかけた。
「……大丈夫か」
「痛い」
と、言いつつ、女童は目じりに涙をためたまま、明虎を見上げて言ったのだ。
「おじちゃん、ぶつかってごめんなさい。おそらのとりを見ていたの」
「いや、俺も気づかず悪かった」
咄嗟に返した明虎は、その女童の気概に感心した。
この年頃であれば、不精髭の生えた己の顔を見るだけで泣き出すのが常であるのに、この女童は驚きもせず、自分の非礼をわびたのだ。
二つ三つ上の少年でもできるかどうか。
しかも同じものを見つけての行動だったとは、きまり悪く思いつつ少々この女童に親しみを感じた。
ふと思いついて、明虎は道場に来る少年たちと同じように、女童の頭にぽんと手を置く。
「痛みを耐えられるとは、えらいな」
そのままぐりぐりと撫でて褒めたつもりなのだが、逆効果だったらしい。
「ふえ……」
女童はその白い猫耳と尻尾の毛を一気に逆立たせたかと思うと、耐えていたものを吐き出すように盛大に泣き出したのだ。
今度こそ明虎は途方にくれた。
人通りは少ないものの、泣き出した女童の目の前に立ち尽くす大の男というのは非常によろしくないのである。
そうで無くても己のせいで泣かせたものである。何とか泣き止んでもらいたい。
助けを求め、右に左にと視線を巡らせていた明虎は、その虎耳に行商の声を聴いて振り返った。
「あまざけー、甘酒だよーって、おや? どうしたんだい」
暢気な呼び声を響かせながら天秤を担いで通りかかった狸の甘酒屋が、訝し気にそのふさりとしたまる長いしっぽを揺らめかせつつ足を止めた。
明虎は救われた気分で、懐から小銭入れを出しつつ言った。
「甘酒屋、甘酒を二つ所望したい」
「あいよー。こんな嬢ちゃん泣かせちまって。虎の旦那よ。なんか悪さをしたんじゃないだろうね」
ねめつけられて居心地の悪い思いをするが、黙って耐える。
そうして甘酒屋が手際よく天秤を降し、片側にある火鉢にかかった窯のふたを開けると湯気と共にほわりと甘い香りが辺りに漂った。
女童の泣き声が、少し小さくなった気がした。
「ほい、ふたつで12文だ。ネコ科の旦那たちに合わせてちょいとぬるめにしといたぜ」
「たすかった」
甘酒屋から椀を二つ受け取ると、明虎は泣きじゃくる女童の前に膝をつき、椀の一つを差し出した。
ほこほこと湯気を立ち昇らせる椀を、猫耳の童は涙にぬれた瞳できょとりと見る。
「泣かせて悪かった」
「……のんで、いいの?」
明虎がうなずくと、女童は小さな手でおずおずと椀を受け取る。
「おっと猫の嬢ちゃん、ぬるめにしてあるとはいえ熱いからゆっくり飲みなせえ」
甘酒屋の忠告にこっくりとうなずいた女童は、ふうと熱を冷ますように息を吹きかけてから、そのとろりとした飲み物を口に運んだ。
こくり、こくりと喉が鳴る。
明虎が緊張しながら眺めている中、椀を元に戻した女童は、その顔にほんわりとした笑みを浮かべていた。
「あまい」
「そうか」
その幸せそうな表情にようやく一息ついた明虎も立ち上がって椀を傾ける。
なるほど、確かに猫舌の己にも優しい温かみであった。
舌にまとわりつくような濃厚な甘味がとろりと喉に通っていき、程よいぬくもりが胃の腑に広がった。
「うまいな」
「うちはちゃんと糀から作っていますからね。この甘みが苦手だって言う旦那衆も居ますが、強面に似合わず虎の旦那はだいじょうぶなんですねえ」
「まあな」
弟子たちには内緒でこっそり菓子屋に行って大福を買うのがたまの楽しみなのだ。
大の大人が甘いもの好きとは少々決まりが悪く、コホンと咳をしてごまかしていると。
くんと、裾が引っ張られた。
見ると、涙の跡が残る頬が赤く染まった女童が大きな瞳をまん丸にして見上げていた。
「おじちゃんも、あまいものすきなの?」
「……ああ」
「そっか、じゃあこれ、あげる!」
ごそごそと袖を探って取り出したのは、色鮮やかな飴玉だ。
明虎が思わず腰をかがめて受け取ると、女童はそれはにっこりと晴れやかに笑った。
「あまざけのおれい! ごちそうさま!!」
呆気にとられているうちに、女童はぱっと身をひるがえすと、白いかぎしっぽを楽しげに揺らめかせて去っていった。
明虎は、己の手に転がる飴玉を見つめる。
「……」
「旦那、尻尾が揺れてますぜ」
明虎は勝手に振れていた尻尾を収めると、甘酒屋に言った。
「世話になった」
「へえ」
そうして甘酒屋が天秤を担いで去っていくのと別れると、明虎は貰った飴玉を口に放り込み、懐手にして歩きはじめる。
「……あまいな」
からりころりと、まあるい飴玉を口の中で転がす明虎の口元は、ほのかに綻んでいた。
冒頭の明虎イメージイラストはゆうこ様です。
そもそもはこのイラストが先にあり、私がこの虎のおっさまを見た瞬間、幼女に泣かれて困る姿までの妄想が駆け巡った結果、このSSが生まれました。
そうしてこのSSをゆうこ様に差し上げましたところ、逆に公開してみませんかと共作のお誘いをいただき、こうして投稿することと相成りました。
ゆうこ様、ありがとうございます(深々
そして読んでいただいた皆さま、ありがとうございました!