祝う神 -Sollemnitas Domini est- 序
「観光と休養を目的に入国を希望します」
無表情で淡々と述べる旅人に対し、入国審査員は屈託のない笑顔を見せる。
「ようこそ旅人さん!では、こちらの書類に必要次事項を記入してください」
レノが書類に記入している間、男はずっとニコニコとしていた。
数分後、すべての記入を終え、レノが書類を提出する。
「旅人さんは”お花見”の時期に合わせていらっしゃったんですよね。本当によくいらっしゃいました!」
「”お花見”ってなんですか?」
首をかしげるレノを見て、入国審査官が驚いた表情を浮かべる。
「まさか知らないでいらっしゃったんですか!?”お花見”は一年のこの時期にしか咲かない花を見ながら親しい友人や家族と食事、お酒などを楽しむものです!」
「一般にその花はサクラって呼ばれて、冬が終わったあと、暖かくなってきた頃に咲くんだ、昔は春が来たことを祝う風習だったみたいだね」
「私たちの街は、神”ドミニ”様によって治められ、ほぼ毎日のようにお祭り騒ぎをしております。ぜひ楽しんでいってください!」
入国審査官とウェズが言う。
レノはウェズを一瞥し、口を開く。
「ボクは、この街に友達がいないので関係ないと思うんですが」
レノはそう言いながら書き終わった書類を入国審査官へと返却する。
「"お花見"の期間中は国中が大騒ぎですし、旅人さんの話を聞きたい住人も多いと思います。きっと、食事に誘われますよ」
入国審査官は書類に不備がないことを確認すると、門を開けた。
「国へ入って、まっすぐ進んでいけば、一番大きな桜の木があります。他にも何箇所かお花見をできる場所がありますので、ぜひ回ってみてくださいね」
門をくぐると、正面、かなりの距離はあるものの巨大で満開の花をつけた桜の木が確認できた。
宿屋へ入ったレノを迎えたのは、恰幅のいい女性。
宿屋の二階に吊るされたのぼりには(お花見6日目!思う存分楽しみましょう!!)と大きく書かれていた。
「あんた見ない顔だね!旅人さんかい?はるばるよく来たね、お代はいいからゆっくりしていきな!」
「……いいんですか?」
「いいのいいの!ただし、次に来た時も家に泊まっておくれよ?忘れるんじゃないよっ」
木造の家々が建ち並ぶ道を、桜の方へ向けて歩いてゆく。
桜の根本につくと、そこは大量の人でうめつくされていた。
桜の下へビニール製のシートを敷き、その上にあぐらをかいてご飯やお酒を楽しんでいた。
レノを見つけると、住人達は大きく手を振り笑顔で近づいてくる。
「旅人さん!ご飯でもどうだい?うちの飯は忘れられないぐらいうまいぜ!」
「花見っつったら酒だろ!……なに?酒は飲めない?ならジュースだ、ほら飲め飲め!」
「うちの嫁が作った肉料理は絶品なんだ!温かいうちに食べてくれよ!」
「私の作ったデザートも食べて!ほっぺたが落ちちゃうんだから!」
レノはたくさんの人に話しかけられ、そしてそのすべてを断らなかった。
宿屋へ戻ったレノはお腹をさすりながらベッドへと腰掛ける。
「ふぅ………満腹だ……お花見、いいお祭りだね」
「食べ過ぎだよまったく!そういえばさ、レノ。最後のおっちゃんと何か話し込んでなかった?」
レノは思い出すように上を見上げ、あぁ、と言って話しだした。
「あの人、何故か右半身がびしょ濡れだったんだ。アルコールの匂いがしたから、多分お酒。それで、なんで濡れてるんですか?って聞いたのさ」
「それで?」
「仕事の部下の人にかけられたんだって。無礼講だ、っていって笑ってた。ウェズ、無礼講って知ってるかい?」
「 地位や身分の上下を取り払い楽しむという趣旨の宴会。まぁ一般には身分の下の人が、自分より立場が上の人に粗相をしても怒られないって感じかな 」
「ふーん」
レノはコートを脱ぐと、そのまま肌着だけになり、ウェズを抱きかかえるようにしてベッドへ寝転ぶ。
「変わった文化だね。……なんだかお腹いっぱいで眠くなってきたよ。おやすみウェズ」
「おやすみ。でもね、食べてすぐに寝ると…………」
しばらくの間、部屋にはウェズの声が響いていたが、やがてそれも止み、小さな寝息が聞こえるのみとなった。
翌朝、目覚めたレノは着替えとシャワーを済ませると、昨日と同じく桜の木の方へと向かった。
のぼりは(お花見最終日!最後まで楽しく!!)に、変わっていた。
中央公園につくと、早朝にも関わらず、人だかりができていた。
しかし座って食事をする様子もなく、何かを中心にただ大量の人が立って様子を見ているようだった。
レノは人だかりに近づくと、男性へと話しかける。
「何かあったんですか?」
「あぁ、旅人さん。実はね、人が殺されたんだ」
人だかりの中心には、二人の男性がいた。
一人は顔が赤い、若めの男、かなりの量のアルコールを摂取しているようで、ふらふらとふらつきながら薄い笑みを浮かべている。
もう一人は腹が赤い、壮年の男、男の脇腹には深々と刃物が刺さっており、滲みだした血によって白いシャツは真っ赤に染まっていた。
酔っている男は、倒れている男をニヤニヤと見ている。
しばらくしてやってきた警察官らしき人に、男は連れられていく
「君、お酒飲んでるね」
「あぁ、飲んれるねぇ………」
「あそこに倒れている人、君が殺したのか?」
「あぁ、そうらよ。あいつが悪いんら俺を叱りやがって、だから殺してやった。無礼講らろ?」
男は何やら喚きながら死んでいる男の方へ行き、突如、その顔へと嘔吐した。
「へへ、すいません。無礼講なんで許してくらさいね……」
警察官は酔っている男のもとまで行くと、両肩を掴んで睨みながら大声を上げる。
「君は!自分が何をしているのかわかっているのか!」
怒鳴られている最中も男はヘラヘラと警察官を見ている。
「すいません。怒鳴らないでくれます?頭痛くなっちゃいますよ?俺、もう行きますねー」
警察官は引き留めようとしたが、男は飄々と人の間を縫うようにして去っていった。
少し離れた場所でそれを見ていたレノが、口を開く。
「逮捕、しないんですか?」
話しかけられた男は、さも当然のような顔を向ける。
「しないよ。だって無礼講、だろ?お花見の期間中、無礼講なら何をしても許されるんだ。だから毎年歳をとった人や会社の上司なんかは殺されないかビクビクしてるよ」
「まぁ、さっきの人も………」
男はブツブツ言いながら離れていった。
集まっていた人たちも、騒ぎが一段落すると次第に去っていく。
「ボク達も行こうか」
レノも、別の桜の木がある場所へと向かう。そこでも、沢山の人にご飯に誘われ、そして断らなかった。
ホテルへと帰ってきたレノは、昨日と同じくベットへと腰掛ける。
「この国の人達はみんな料理が上手だなぁ……」
「食べ過ぎです。お土産までもらってるし」
ウェズがやれやれ、と言った様子で話す。
レノの脇にはおみやげとして持たされたお菓子の詰め合わせがおいてあった。
「そもそも、レノはおいらと合体している半神で、食べる必要なんてないじゃん!!なんでそんなに苦しくなるまで食べちゃうのさ」
「おいしいから」
即答したレノはおみやげの袋を漁ると、手のひらほどの大きさのお菓子を取り出し、食べ始める。
「また食べてるし……なにそれ」
「小麦粉でできた生地を中子空洞になるように焼いて、その空洞に甘いクリームを詰めたお菓子。しゅーくりーむって言うらしい。とてもおいしい」
「……………ずるい。あ、そういえばさ」
「ん?」
「昨日言えなかったこと、今日もだったから、確実だね」
「ふぁにが……?」
レノは一つ目のシュークリームを口にほうばり、二つ目へと手を伸ばす。
「昨日も今日も、レノに食べ物をくれた人が言ってたこと。ほとんどの人に言われてたのに気づかなかった?」
「ふぁしかに………もぐもぐ」
二つ目のシュークリームを食べ終わると、レノは名残惜しそうに袋を冷蔵庫の中へとしまう。
「覚えてろよ。と、忘れるな。でしょ?気づいてるよ」
「どうしてそんなこと言うんだろうね」
「うーん……」
「そんなに忘れて欲しくないのかな?寂しがりやさん、とか?」
レノはベッドへと戻ると、コートを脱ぎ始める。
「そうかもね………でも」
「でも?」
「どうせ考えてもわからないし、お腹いっぱいで幸せなボクは寝ることにするよ。おやすみ」
レノは電気を消して布団へと潜り込んだ。
「……………この街でレノは絶対に太る。絶対。」
ウェズの呆れた声と共に、夜は更けていく。
夜中、人のいない桜の木の下に幾人かの人影があった。
「わるかった!!あの時は酔ってたんだ!すまん!反省してる!」
昼間、赤い顔で人を殺した男は対照的に涙を流しながら頭を地面にこすりつけながら土下座している。
「君は、なぜ人のものを盗んではいけないかわかるかい?」
別の男の声が問いかける。
「えっ………?」
「それは、自分が盗まれないためさ。人にしたことは自分に帰ってくるんだ、いいことも、悪いことも」
土下座する男の前には、明らかに自分より体の大きな、屈強な男が三人立っている。
「無礼講だ。君は法律では裁けない。だから、俺達はせめて、殺された人がしたかったであろうことを、叶えることにした」
男の顔は引きつり、土下座をやめて少しづつ後ずさりしていく。
「もう日付も変わった。お花見は終わりだ………これからは………」
「あ、あ、あぁ…………」
次の日の早朝、壮年の男が死んでいた場所に別の死体があった。
全く同じ形で、脇腹にナイフが刺さって死んでいる男の顔は、驚きと恐怖で見開かれたまま。
昨日まで(お花見最終日!最後まで楽しく!!)だったのぼりの文字は (やられたらやり返せ、売った恩は買い戻せ!復習祭!!) に変わっていた。
「……コンコン。」
ドアをノックされ、レノが目覚める。
「旅人さん!おはよう!私よ!覚えてるー?」
レノはコートを着ると、寝ぼけた目のままドアノブを握る。
扉を開けると、そこには昨日、一昨日とレノに食べ物を分けてくれた人が立っていた。
手には凶器を持ちながら。
「旅人さんに売った恩を返してもらいに来たわ!私達のストレス発散に付き合ってね」
一昨日、デザートを振る舞った女性は、生地を伸ばすために使われる木の棒をレノの頭めがけて、振り下ろした。
----------to be continue