愛の神 -Deus Concupiscentiae- 結
「ウェズ君……君は美しい……」
男は、暗い部屋にいた。
明かりはなく、自分の姿すら見ることはかなわない。
「……………………」
「もう君は、僕だけのものだ……」
暗い部屋に、男の声だけが響いている。
「これからは、ずっと僕のそばにいておくれ、ウェズ君」
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レノは歩いていた。
時刻はすでに夜遅く、外を出歩く人は少ない。
「こっちか………」
レノは自分の感覚を頼りに、ウェズのもとへ進んでいく。
「一、お互いのいる場所がわかる、ね。必要ないと思っていたけど、これは便利だ」
レノはいつもの黒いコートではなく、茶色いローブのようなものを羽織っていた。フードを被っているため、表情は伺えない。
「ここか」
レノはある建物の前に立っていた。
夜は更に深まり、道を歩く人影も見当たらない。
その建物は比較的小さな家が多いこの街では異様に大きい。
建物の電気は消えており、人がいるのかどうか外からではわからない。
レノは扉に手をかける。
鍵は閉まっていなかった。
ゆっくりと扉を開いた先にあったのは、
暗闇だった。
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「ウェズ君、どうやら、君の前の持ち主さんが来たようだよ………この街の人々は愛に敏感で、そして協力的だここまで上がってこられるといいけどね……」
「坊やが、あの刀の持ち主かい?」
暗闇から、声が響いた。
「はい」
「取りに来るとは律儀だねぇ……君の相棒を持ち去った刀鍛冶は上の階に隠れてるよ。勝手に取りに行ったらいい」
男が暗闇で何かを操作する音が響く。
突如ついた明かりに、レノが一瞬目をつぶり、そして開けると、声の主が立っていた。
三十代ほどの男は、引き締まった体を持ち、腰には幅広の剣を差している。
部屋は壁も、床も白一色。家具のようなものは見当たらなかった。
ただ、六角形の広い空間が広がっている。
「おや、こんなにかわいらしいおチビちゃんだったか」
「ボクはレノです。おチビちゃんではありません。」
男は少しだけ笑いながら、腰の刀をゆっくりと抜く。
「そうかい。これは失礼。さて、知ってるとは思うが、ここは愛の国、だ」
「愛する者のための行為なら、罪に問われないんですよね?」
レノが言う。フードの中に顔は隠れ、表情を伺うことはできない。
「そうさ、時に人間は好きな人、好きな物のために罪を犯す。それはどんなに法で規制したところでなくならなかった」
男は刀を持ったまま両手を広げ、話を続ける。
「だから国は規制することをやめた。好きに争え、と殺したければ殺せ、と。結果、それによって治安は良くなった多くの人が、奪ったら奪われる。という恐怖に襲われた。一般市民の間に争いは少なくなり、殺人件数は半分以下だ」
レノはその場から動かない。
「ただ、それは一般市民の間で、だ。金のある奴らは、俺みたいなやつを雇って、ほしい物を好きなだけ集めている。まぁ、俺も国が規制しなくなったおかげで職があるんだから、感謝しなくちゃな!」
男は、自らの持った刀を、いとおしそうに眺める。
「旅人を殺すの初めてだなぁ……」
「そうですか」
「ごめんな、これも仕事だからな」
男は剣を構えたまま、レノへ少しずつ近づいてくる。
「まさか丸腰ってことはないよな、そのローブの中に何隠してるんだ?」
ニヤニヤとした男に対し、レノは何も返さない。
「まぁ、何を持っていようと関係ないけどな!!」
すでに男とレノの距離は3メートルほど、男は大きく踏み込み。
その剣を振り下ろす。
レノは、左足を半歩引くようにしてそれを避ける。
男はそのまま前につんのめると、すぐに振り返り、剣を構え直す。
「流石は旅人だ。そりゃ、平和ボケした街の奴らとは違うよな」
男はどこか楽しそうに笑った。
男は再び距離を取り、剣を構え直す。
その構えに、迷いはなかった。
「次は本気でいく」
「そうですか、ではボクも」
レノはローブの中から手を出す。その手には、大ぶりのナイフが握られていた。
「ナイフ……か。そんなもんで俺の剣に勝てるとでも思ってるのか?射程も威力も桁違いだぞ?」
レノは表情を崩さない。
「ナイフ一本のチビを殺したとあっちゃあ多少心が痛むが……なにせ俺もこれで生活してるんでな、悪く思うなよ。」
そして勢い良く一歩を踏みだそうとして………足は前に出なかった。
男が自身の右足を見ると、その右足の甲には深々とナイフが突き刺さり、床と足を縫いつけている。
「あ、あぁぁあああ!」
「ちくしょう!なんだよ!全く見えなかった!」
男は驚きと痛みによってもだえる。
「確かに、射程も威力も桁違い。ですね。」
「はっ!?」
「ボクも、剣一本の人間を殺すのは、心が痛みます。降参してくれませんか?」
そう言うレノの手には、また別のナイフが握られていた。
「ふざけるなよ……俺がガキに負けてたまるかよぉ!!」
男は剣を振り回すが、レノは一定の距離をとり、その刃はレノには届かない。
「これ以上、あなたを傷つけたくありません。降参してくれませんか?」
レノは同じ言葉を繰り返す。
「くそっ、抜けねぇ、なんで抜けねぇんだよ……」
男が右足に突き刺さったナイフをどれだけ引っ張っても、抜ける気配はない。
「ですから……」
「うるせぇ!おぃガキ!てめぇは絶対にぶっ殺す!!」
レノは説得を諦め、あたりをキョロキョロと見まわす。
壁を触るようにして何かを確かめながら壁沿いを歩くと
「ここか」
ほんの僅か、よく目を凝らさなければわからない程度に色が違う壁を、蹴り飛ばした。
激しい音を立てて崩れ落ちる。
壁の先には、階段があった。
男に刺さっていたナイフが抜けたのと、レノが階段を見つけたのが、ほぼ同時。
男はナイフが抜けた瞬間、剣を握って走りだす。
「おいガキ!」
レノが、ゆっくりと振り返る。
「ガキ!死ね!」
男は剣を大きく振りかぶり、レノめがけて恐ろしい速度で振り下ろす。
しかしその剣は、レノの眼前数センチのところで動きを止め、その対象を切り裂くことはなかった。
「てめぇ……本当に人間かよ……」
レノは男の剣撃を、薄刃のナイフ一本、しかもそれを片腕で止めていた。
「…………………違いますよ」
レノの口が小さく動く。
「は?今、何て……」
男がそう言った瞬間、彼の頭に恐ろしい衝撃が走る。
男の意識は、白くフェードアウトし、深い闇の中へ落ちていった。
レノはナイフを再びローブの中へしまうと、ナイフの柄で殴打され、気絶している男を一瞥し、上階への階段を進んだ。
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二階へ上がると
そこには、刀鍛冶の男が佇んでいた。
「あ!レノだ、久しぶりー!」
男の腕の中から、ウェズの脳天気な声が聞こえる。
「ウェズを返してもらえますか?一応、相棒なので」
「ダメだ」
男が首を振る。
「ダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだ!!」
それは、少しずつ激しさを増していく。
「僕は、ウェズ君を愛している!」
「そうですか、それでも、返してもらわなければ困るので」
男はウェズを抱きかかえるようにしてしゃがみ込む。
「返していただけないなら、申し訳ありませんが……」
しゃがみこんだ男にレノが少しずつ近づいていく。
その手の中には、再びナイフが握られていた。
「わかったよ」
男がゆっくりと立ち上がる。
そして、ウェズを鞘から抜き、漆黒の刀身を下から上へ舐めるように見る。
「下の階にいた彼を倒したんだろ?ただの刀鍛冶の僕が、君に勝てるなんて思ってないさ」
レノの足が止まる。
男は、更にゆっくりとした動きでウェズの切っ先を自身の喉へと向ける。
「愛するものに殺されるのも悪くない。そうは思わないか?」
「わかりません。やめてください」
「僕は、ウェズ君に貫かれ、死に、そして一つになる」
レノは再び男の方へ向かって歩を進める。
「僕はウェズ君と一つになるんだ、ずっと一緒だよ」
「そんなことしても忘れるものは忘れちゃうけどなー」
当のウェズからはのんきな声が漏れる。
「やめてくれませんか?目の前で人が死ぬのは、気分がいいものではありません」
「うるさい!さぁ、いくよウェズ君!」
しかし、男がその手を強く握ったとき…………ウェズが消えた。
男の手の中からウェズは消え、その足元には黒い液体が溜まっていた。
「……………ウェズ……くん?」
何が起きたのか理解できていない男は、両手と足元の液体を交互に見る。
レノは男の目の前まで来ると、その場でしゃがみ込み、液体へと手を浸ける。
「帰るよ、ウェズ」
液体はレノの手の中で少しずつ形を取り戻してゆく。
程なくして黒い液体は再び元の刀の形へと変わった。
「あいー」
「……あ……あ………あ………」
未だ立ち尽くしている男に背を向け、レノは歩き出した。
「ウェズ、このローブ動きにくいんだけど、いつものお願い」
「あーい」
瞬時、ウェズの刀身が少しだけ短くなり、黒いコートが現れる。
レノは今まで着ていたローブを脱ぐと、コートに袖を通す。
「う、訴えてやるからな!恋路の邪魔をした者は懲役刑だぞ!」
レノは何も答えることなく、階下へと降りる。
一階で昏睡している男を一瞥すると、出口へと向かう。
ドアを開けると、空はすでに白み始めていた。
「次の国へ行こうか、ウェズ」
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城門には人だかりができていた。
「あいつだ!」
「鍛冶屋のおっちゃんのかたきだ!」
「いい刀だなぁ……」
二十人ほどが集まり、城門の前で固まっている。
「すごーい、あのおっちゃん人望あるんだねー」
「………めんどくさい」
レノは睨みつける住人を無視し、集団へと近づいていく。
「来たぞ!絶対通すな!」
「刀をおいていけ!」
「俺達は恋する人の味方だ!」
そして、口々に怒鳴りあげる人の目の前まで行くと
「ボクはウェズを愛しています。邪魔する人はどうなっても知りませんよ。」
そう言った。
「………………」
興奮していた群衆が静まり返る。
「たしか、愛する者のためなら何をしても罪に問われないんですよね?」
レノの右手が、背中に吊っているウェズへと伸びる。
「旅人さんも愛しているなら仕方がないのかもしれないな」
「そうね、仕方ないわ」
「旅人さん!これからも良い旅を!」
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城門が遠くに消え、赤い花が一面に咲く道を旅人がのんびりと歩いていた。
「いやぁレノ、刀が告白されるとは思ってなかったよ!レノにも愛されてるみたいだしね!」
「ものは言いようだよ。嘘も方便ってやつさ」
「ひっど!!いいもん!おっちゃんにはほんとに告白されたし!レノは恋しないの?」
レノは一瞬歩を止め、考えると口を開く。
「ボクは自分のことで精一杯、誰かを愛する余裕なんてないよ」
「そっかぁ、もし誰か好きな人ができたら言ってね。厳しく審査するから」
「よろしく頼むよ」
旅人が歩く道の両側は、真っ赤な薔薇で埋め尽くされていた。
―――――誰かを愛するのには、それ相応の覚悟が必要だ。