選択する神 -Deus eligendi- 結
そこには長い、長い階段だけがあった。幅は約5メートル、白く艷やかな階段が数百段にわたって続いている。
どこか神秘的な空間に、足音が響いている。
「ねー、ほんとにこの先に神様がいるのかな? 神様に会うの初めてだ、わくわくするなぁ」
「神様ってどんな感じなのかなー。かっこいいのかな?」
「ねー、レノぉ?神様に会ってどうするの?」
ウェズの声が階段に響いている。
「ボクは、ボクがやらなきゃならないことをするだけさ。さぁ、着いたみたいだ」
階段を登り切ると、そこにも白く美しい装飾の施された扉があった。
レノは、位置を確認するようにウェズに軽く触れる。
そして、ゆっくりと、その扉を開いた。
■ ■ ■ ■ ■
それから数刻前、森の中にある小さな広場は、その土を赤黒く染め、十個の死体を横たえていた。
思い思いの死に方で息絶えている山賊の死体が八つ、首を切られた少年のしたいが一つ。そして、ついさっき息絶えた青年の死体が一つ。
ラスティと名乗っていた青年の心臓は、その鼓動を停止し、剣を握っていた手はひらかれ、四肢は力なく垂れ下がっていた。
横に旅人が一人。レノは胸に手を当て、一人黙祷を捧げている。
そんなレノを遠くから見るように、複数の男女が立っていた。
彼らの服はドロで汚れ、一様に手足には縄で縛られたような跡が残っていた。彼らは動くことなく、ただ青年を哀れんだような目でじっと見つめていた。
黙祷を終えたレノが顔を上げると、老人が近づいてくる。
「説明、してもらえますか」
レノの言葉に怒気は無かった。
「もちろんだよ。君がそれを望むというなら。私たちにはそれをする義務がある」
老人は一度振り返り他の人が顔を伏せたのを確認すると、ゆっくりと話し始めた。
「まず、私たちの街の制度から説明しなければならないね。私達の街では、エリッジ様がやってきた数百年前から、ある制度がスタートした。それは、エリッジ様がこの街を守ってくださる代わりに、年に一人、エリッジ様の選んだ住人を”使徒”として献上すること。使徒として選ばれた者は、エリッジ様の生活のお世話をしたり、ご勅令を聞かなければならないんだ。そして、使徒の多くは、一年で解放される。そこにいる青年のようにね」
「彼が使徒だったと?」
「あぁ、彼は使徒だよ。そして、今日が使徒になってから一年目だ」
老人は言葉に詰まるように顔を伏せた。
「彼の邪魔をすることはできなかったんだ……邪魔をすれば、私たちまで街を追い出されてしまう。この街を追い出されたら私たちに生きていく術などないのだから……」
「彼に与えられたその勅令、というのは何だったんですか?」
「彼に与えられた勅令は……次に訪れた旅人の前で死ね。だよ」
「……つまりラスティさんはボクがこの街に来た時点で、ボクの前で死ぬしかなかったと?」
「そうだね、そういうことになる。だけど……」
老人は一瞬、言葉を切る。
「――――それがこの街のルールだから。」
老人はラスティの胸元を探ると、星形のペンダントを取り出した。それを握ると、何かを探すように空を見渡した。
「それは?」
「使徒の証だよ。それは、たった今から、君のものだ」
老人はニッコリと笑う。
「次の使徒は、旅人さん、君だよ。」
「なぜボクなんですか?ボクはこの街の人ではありませんが?」
「エリッジ様が、そう決めたからだよ。これは君がこの街に来る前から決まっていたことなんだ」
「拒否権は?」
「ないよ。そして、そろそろ勅令が下る頃だ……」
老人がそう言った時、上空から声が響いた。野太い男のような声、決して聞き取りやすいとは言えないが、その声はまるで頭の中に直接話しかけるように響いてきた。
「次の使徒は旅人、お前だ。招待してやるから早く来い」
レノが老人を見ると、彼はゆっくりと街の方を指さした。
「エリッジ様は街の中央の神殿にいらっしゃるよ……」
■ ■ ■ ■ ■
町の中央に位置する大きな聖堂の中、そこは小さなホールのようになっていた。
窓が数個あるだけの円形、サッカーコートの半分ほどの広さがあるその場所に生活感はなく、ただ階段と同じように滑らかに作られた床が広がっているだけ。
「よく来たな。旅人、俺がこの街を治めている神だ」
その男は、まさに鋼鉄だった。鍛えあげられた三メートル近い巨体で、肩や腕は筋肉によって盛り上がっている。黒く焼けた肌はその筋肉をさらに誇張しているようだった。
男は部屋の中央付近、唯一置かれている家具である椅子に座って何かを飲んでいるようだった。
レノの顔よりも大きいのではないかという右手には、酒樽がそのまま握られていた。エリッジは樽の蓋を壊すと、樽ごと傾けて中にある液体を口へ流し込んだ。辺りには発酵酒の独特な匂いが広がる。口元についた雫を左手で無造作に拭うと、エリッジは口を開いた。
「あの、ラスティとかいう男が死んで驚いたか?」
まるでサプライズに成功した少年が両親の反応を楽しみにしているような顔、いたずらっ子のような素振りだった
「特には、ボクはもっとひどい国も見てきましたので」
レノは表情を変えずに告げる。
それを聞いたエリッジは心底残念した様子で肩を落とす。
「まぁ、失血死だったってのがパンチなかったからな………。前回のは良かったんだよ!縛り付けて馬に跨らせてちょっと大きな音を出したら馬が暴れ始めてさ、そいつ馬から落ちてボロボロになった上、そのまま顔を踏まれて原型も残ってねぇでやんの!傑作だったな!」
レノの眉が少しだけ動いた。
エリッジは、そんなことには気づかず、話を続ける。
「その前も良かったんだ、足に石をつけて湖に沈めたんだ、5分耐えたら助けてやるって言って。まぁ助けるわけねぇのにな!苦しんでる顔は最高に面白かったよ。その前もなぁ………」
「ボクを呼んだ理由はなんですか?そんな話をするためじゃないですよね?」
エリッジは豪快に笑う。
「なんだ、怒って斬りかかってくるかと思ったが……意外に冷静か?」
「…………」
「まあ、なんだ。山賊との戦い、ここで見ていたぞ?素晴らしかった、あっという間に六人を殺して人質を開放。圧倒的な力は愉快だろう!」
「ボクは、できれば誰も殺したくはありませんし、それを褒められても嬉しくありません。そして、あなたのように殺すのを楽しいと思う人は好きではありません」
エリッジは、少し眉をひそめる
「俺が嫌いか!本人を目の前にしてよく言えるものだ。背中の刀も同意見か?」
一瞬の静寂。次に聞こえたのは明らかな場違いなあっけらかんとした声だった。
「おっちゃんよくわかったねー!はじめまして!」
「ウェズは黙っててくれるかい?」
「えー!オイラの声が聞こえる人は珍しいのに!!」
「まぁ、人じゃないからね…」
レノがそこまで言うと、エリッジはなにかを思い出したかな様な顔を浮かべる。
「そういえば忘れていた。旅人、貴様への勅令だ、その刀を俺によこせ」
レノが答えないままでいると、エリッジは酒を飲み干し、持っていた樽を部屋の奥へと投げ捨てた。それは今までにも同じように捨てられたのであろう別の樽にあたって大きな音を立てる。
そして、ゆっくりと立ち上がると、しっかりとレノを見据えながら言葉を続ける。
「できないのなら……聞いているだろう?」
「その刀の切れ味、普通じゃないな。俺が効率的に使ってやる。旅人である貴様を殺しても面白くないからな。それともなんだ?その喋る刀、貴様のしもべか?部下は渡せんとでも言うつもりか?」
エリッジは終始ニヤニヤしている。
レノは背中からウェズを抜くと、その刀身に手を添える。
「またまたよくわかったね~!おっちゃん!」
「えぇ。ウェズは―――」
添えた左手を刃先から根元の方へと動かすと、微かな靄に包まれながらその漆黒の刀身は姿を消していく。
全ての刀身が消え失せ、それが晴れた時、レノの右手には刀ではなく、銃が握られていた。
「―――ボクの、友達です。ですので、お渡しすることはできません。」
その口元にはかすかな笑みが浮かんでいる。
「ますます気に入った!その刀、ここにおいてゆけ!!渡さないのなら、殺してでも奪うぞ」
エリッジは酒樽を投げ捨て、レノの上半身ほどもありそうな巨大な手のひらを伸ばす。
「お断りします」
「上に同じー」
レノが言うか早いか、エリッジは出していた手を握り、殴り掛かってくる。
レノはそれをバックステップで躱す。
「それにしてもさー。おっちゃんが呼んでくれて助かったよ。どうやって会おうか迷ってたんだもんね。」
「ほぅ………俺に会いに来たと?なぜだ」
レノは銃口をエリッジの眉間へと照準を合わせる。
「あなたを、裁くためですよ」
「ふっ、神である、この俺を裁くと………?俺に何の罪があるという?」
「住人を不当に蹂躙し、殺害。利益の独占。短い時間でこれだけあれば、他にもあるでしょうね」
「ふはは……俺は神だぞ? 人間ごときに神が裁けるものかっ!」
エリッジの言葉が終わる前に、レノは駆け出していた。
前に出ながら、エリッジの頭部めがけて銃を撃つ。
5回の発砲音によって放たれた弾丸は、どれも漆黒だった。
腕で顔を守り、エリッジの視界が遮られた一瞬。
レノはその懐へ入り込み、銃身を手で握ると、そのグリップ部分で股間を思い切り殴打する。
そのままガンスピンの要領で再びグリップを握り直すと、今度は下から顎へ向けて連射する。
「お、ぉぉおおぉぁあっっ!?」
下からの衝撃で、後ろにたたらを踏んだエリッジは、のけぞった反動のまま、レノを捕まえようと腕を大きく広げる。
「なかなかやるな!!それでこそ殺しがいがある!!」
レノはその腕をさらに懐に飛び込むような形で避けると、そのまま足の下をくぐり、エリッジの後ろ側へと回りこむ。
その手には再び刀に戻ったウェズが握られていた。
振り向き、巨大な膝と、足首裏の腱を切断する。
「ぬがぁぁあぁぁあぁぁあぁ!」
エリッジが膝をつき、そのまま地面へと横たわる。
その首元には、冷たい刃が当てられていた。
「殺しがいがある…? 戦いは楽しくなんかありませんよ。」
「貴様、その強さ………人間か? それにその刀………神の体を切る刀など聞いたことがないぞ!」
「………………………」
レノは表情を崩さず、ただエリッジを見下ろしている。
その手に力がこもり、エリッジの首筋から一筋の血が流れる。
「ま、待てっ!俺を殺したら街の奴らはどうする!主を失った奴らは路頭に迷うことになるぞ?」
「後から来たのはあなた達でしょう?人は頼るものがなければ自然と生きて適応していくものですよ。」
「――――人は、強いですから」
レノは達観したような、少し悲しい表情を浮かべていた。
「そんなのは妄想だ!そもそも人間が神であるこの俺を殺せるわけがない!貴様がやっているのは悪だぞ!」
「何が悪かはあなたが決めることじゃありませんよ。」
「俺のやっている人殺しは悪いことなんだろう!?ならば貴様のやっている神殺しも同じじゃないのか!俺をさばくのなら貴様も裁かれるべきだ!」
「神を殺した人間がどうなるのか知っているのか?ほかの神に八つ裂きにされるぞ!やめたほうがいいんじゃないのか?」
その顔に、もはや神としての威厳や余裕は消え失せていた。
あるのは生きたいという執念と、レノに対する憎悪。
「ボクのしていることだって、正しくなんてありませんよ。ボクは、ボクのエゴであなたを裁きます」
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そして、その部屋から、声が消えた。
もう動くことのない、かつて神だった物を見下ろす。
「これで、よかったのかな?」
「いーんじゃない?少なくとも、アイツとの約束は守ってるよねー」
深く、息を吐く音が響く。
「そうだね」
血の染み付いた手袋を、片方ずつ脱いでいく
右手、現れた白い肌と細い指は少女のそれだった。
次いで現れた左手、そこには節も爪もなく、ただ手の形をした、黒い塊があった。
レノはそれを見ると、自嘲するような表情を浮かべる。
「………レノが、早く人に戻れるといいね」
「…………ボクは、人だったことなんてないよ、今も、昔も………」
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エリッジが、死んだことが知られるのは、レノ達が出国してから少し後の事。
数日間、混乱に包まれた街だったが、これ以上人が無下に死ぬことがないと知った住人の顔は、一様に晴れやかだった。
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レノは再び森の中にいた。
短い間ともに旅をした、かつての使徒を丁寧に埋葬すると、彼の剣を墓標のかわりに地面へと突き刺す。
「ねぇ、レノ」
「ん?」
「この街の人たちはさ、エリッジが死んで本当に良かったのかな?」
「なぜそう思うんだい?」
「一応はさ、街の統治者として、エリッジは必要だった。いなくなって、これから先、街の人たちはやっていけるのかな?
ひょっとしたら、あのままの方が、幸せな生活をおくれてたんじゃない?」
「さぁね。もしかしたら、ウェズの言うとおりかもしれない。でも、ボクは思うんだ。 人間を本当に幸せにするのは神様じゃない―――――」
「―――――――人を幸せにするのは人、いつだって自分自身さ。」
空には、澄み切った青が広がっている。
街はいっときの動揺やざわめきを残しつつ、前へと進み始める。
旅人の行方は、誰も知らない。
選択する神 ーDeus eligendiー 完